第16話 握られた手

 


 ――ガシッ!!



 その時、私の腕を誰かが掴んだ。


 驚いて振り返れば息を切らして焦った表情の公爵さまがいる。


「こ、うしゃくさま……なんで」


 気が付けば周りにあれだけいた精霊たちが遠く離れたところまで逃げてしまっていた。



 トニだけは警戒したまま上空で待っている。


 どうやら私が彼を振り払うのを待っているようだ。

 私は何とか振り払おうともがくけれど、腕が自由になることはなかった。


 むしろより強い力で引き寄せられ抱きしめられてしまう。


「公爵さま!! はな、離してください!」


 驚きに目を見開くけれど、自分の恰好を思い出してしまって恐怖がつのる。


 今はパジャマのままなのだ。

 当然いつもよりも露出がある。


 何かの拍子ひょうしに公爵さまが毒をくらってしまうかもしれない。

 今はただ、それが信じられないほど恐ろしい。



「お願いです! 離して……離してぇ!!」

「落ち着けフラリア!」

「いやぁ!」


 拒絶きょぜつの言葉と共に赤いモヤが立ち上る。

 ハッとして見ると既にモヤは公爵さまにまとわりついていた。


「ぐぅ……っ」


 このままでは公爵さまもただでは済まない。


 さあっと血の気が引いていく。



「ぁ……や、やだ。嫌っ! そんなのいや!!」



 私は半狂乱はんきょうらんになりながら必死に距離を取ろうとする。


 駄々っ子のようにいやいやと首を振ることしかできない私に、それでも離れようとしない公爵さま。

 その手が頭に周り、あやすように撫でられる。


「っぁ……」


 その手の優しさに泣きたくなってしまう。


 私のせいで、今も苦しいはずなのに。

 どうしてそんな優しくできるのだろう。


「大丈夫……大丈夫だから。頼むから、逃げないでくれ」


 まるで懇願こんがんするかのように弱弱しい声に恐る恐る彼の顔を見ると、彼は今にも泣いてしまいそうな顔をしていた。


 いつもの公爵さまからは想像もつかないような、幼い子供の様な顔。


 こぼれる涙も忘れたように、動きを止めじっと見つめ続ける。



(こんな表情……見たことない)


 私はその顔から目を反らせなくなっていた。

 


 一体なんで彼はこんな泣きそうな顔になっているの……?


 そのことに気を取られたのか、赤いモヤもいつの間にか消えていった。


「ようやく俺を……呪いを恐れずに話してくれる人を見つけたのに失いたくない。俺から離れようとしないでくれ……頼むから」


 細い声でつむがれるのは公爵さまの本心なのだろう。

 顔を背けずに真っ直ぐと見つめられる瞳に嘘や打算は見当たらない。



「っ! わかりました。逃げません。逃げませんから、少し離れて。危ないから……」

「離したら逃げないか?」

「逃げませんって」


 尚も疑いの目を向けてくる公爵さまを安心させるためにトニにお願いして力を解除してもらう。

 私の体が地面へと降り立つとようやく体が解放された。



 ……手だけはがっちりと握られたままだが。


 その状態のまま数分無言の時間が流れた。

 何を話していいのか分からないのだ。


 公爵さまが小さく息を吸う音が聞こえてようやく向き合った。


「――あのメイドたちとそれに組する者達は全て解雇した。あの屋敷にはもうお前の呪いのことをとやかくいうものなどいない」

「……そう、ですか」


「……すまない。もっと早くにこうしておくべきだった」


 項垂うなだれる様に肩を落とした公爵さまはゆっくりと心の内を話しだす。


「……この家は随分前からおかしくなっていた。解けるかどうかも分からない短命の呪いに怯えながらも必死に生きようとしていた。でも祖父も父も結局解けずに死んでいった。真実の愛など見つかるはずもなく裏切られ続けて……」



 シルヴェート公爵家の過去を、自分の過去を、そして親兄弟のことを……。


 公爵家に嫁いできた歴代の人間たちは皆呪いのことを知ると掌を返したように寄り付かなくなり、悪態をつくような人ばかりだったと。


 公爵家に夢を見て嫁いできたというのに30歳までしか生きられないと知ってなげき悲しんだと。



「俺の母親もそうだった。呪いのことを知るや否や手が付けられないほどの破壊衝動はかいしょうどうに駆られ、生れてくる子供すら殺そうとした。当然父は真実の愛を手に入れるという名目で他の女に手を出し続け子供ばかりが増えていく」


 親は子供をかえりみようとしない。

 だから長男だった彼が兄弟たちの面倒を見てきたのだと。


 先代は呪いを解くことに躍起やっきになっていて彼を見ようとはしないし、母親は殺そうとしてくる。



 誰も彼のことを愛してくれる人はいなかった。

 そんな環境の中で彼は育ったのだ。


「だから俺は両親を反面教師にした。こうはなってたまるかと、死に物狂いで研究に励んださ。彼らを見ていれば真実の愛だなんて幻想に過ぎないと思っていたから」



 初めて会ったあの夜、とても近寄りがたい雰囲気ふんいきだったのはそれが理由だったようだ。


 胸が締め付けられた。

 幼少期から愛を受けられずに、自分を親をそして一族の歴史を疑い続けて生きてきたのだとようやく分かった。


 彼は心に深い傷を負って、他人を信じることをやめてしまったのだ。



「だけどお前だけは他の人間たちとは違う。呪いを知って癇癪かんしゃくを起こすどころか呪いを解く方法を共に探してくれる。それが俺にとってどれほど嬉しいことか、お前は知らないだろう」


 もちろん俺がそう仕向けてしまったのだが、と申し訳なさそうにこちらを見てくるのには笑ってしまった。


 心の内を隠さずに話してくれる彼はなんだかとても幼く見える。

 でもこの姿が彼の本当の姿なのかもしれない。


 掴まれていた腕を離し、改めて手を重ねられる。

 しっかりと向き合った彼はとても真剣な表情をしていた。


「そんなお前だからこそ、俺は正直に心を打ち明けようと思えたんだ。……今となってはお前の存在は大きい。それこそ失っては壊れてしまう程にな」


 もう片方の手で頬をするりと撫でられる。

 彼の指は涙の痕をなぞるようにするすると動くので少しくすぐったい。


「お前は俺が……怖いか?」


 合わされた目が不安げに揺れている。

 迷子にでもなった子供のように。


 どうか泣かないでほしい。

 心からそう思った。


「……違います。あなたは怖くない。でも……私の毒で誰かが傷ついてしまうのが怖いの。それが優しくしてくれた公爵家の人たちならなおさら」


 ジワリと涙が滲む。


 公爵さまのことは怖くない。

 それは本当だ。


 ネルを切りつけた時は怖かったけれど、私の為に怒ってくれているというのが分かっていたから。


 私が本当に恐れているのは私自身なのだ。


「だからここにいちゃいけないと、そう思って……ごめんなさい」


 目を反らすこともうつむくこともできずにぽろぽろと涙を零す。


「……それなら心配いらない」

「え?」


 公爵さまは安心したように笑った。

 そして涙をぬぐってくれる。


「お前が心配しなくてもいいように徹底する。使用人達の接し方も改める。必ず安心して住めるようにするから……俺のことを愛してくれとは言わない。ただ離れていかないでくれ。傍に……いてほしい」


 繋がれた手からはわずかな震えが伝わってくる。


 緊張しながらも私の答えをひたすらに待ってくれているのだ。


(いいのかな……。私は人を傷つけてしまう化け物なのに)


 でも不安や恐怖以上にこみ上げてくる感情がある。

 これはきっと喜び。


 私が傍にいてもいいというのなら、私だって傍にいたい。

 そう。いつの間にか思ってしまった。


「……はい。よろしくお願いします」


 私は溢れてくる涙もそのままに笑みを零すと公爵さまも安心したように微笑んで抱きしめてくれた。


 私を必要としてくれる人がいるという事実が嬉しい。


(この人が私を必要としてくれるのなら、私は必ず妖精王を見つけ出してみせよう)


 初めて芽生えたこの感情が何というのか、まだ分からない。

 けれど私はこの人を失いたくないとはっきり感じている。


 誰かに抱きしめられるなんて、母が死んだあの日以来一度もなかった。

 だからこの体温が離れてしまわないようにと、私は心から祈ったのだった。



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