第2話 ノーレイン
「奥様たいへんです!!」
ドアを勢いよく開けて入ってきたのは青い顔をしたイニスだった。
見るからにただ事ではなさそうな様子で息を切らしている。
「ど、どうしたのイニス?」
「~~が!」
「え?」
「ノーレインを名乗る女が!!」
その言葉を聞いた瞬間、私は門へと走り出した。
ノーレインを名乗る女と言えば真っ先に出てくるのは妹のキャラルだ。
走っているのはなにも会いたかったからというわけじゃない。
だた純粋に怖かったのだ。
もしも本当にキャラルなのだとしたら、公爵家に迷惑がかかってしまうかもしれない。
だってキャラルは私を苦しめるのを生きがいにしていたところがあるから。
そんな彼女がわざわざ私に会いに来るなど、いい予感がしないのは当然だった。
それに今はまだノルヴィス様も外出中で家を取り仕切るのは私の役目。
逃げることはできない。
門の付近は既に騒がしくなっていた。
その中にディグナーの姿を見つけて駆け寄る。
彼は私に気が付くと
「奥様、申し訳ありません。私どもでは対処が困難で……」
女主人の
彼らからしたらやりにくいことこの上もない相手だ。
「いいわ。むしろごめんなさい。それで、その女というのは?」
「それが……」
「ちょっと! 出てきたんならさっさとこの
屋敷から出ると途端にキンとする覚えのある声が聞こえてきた。
見れば兵に取り押さえられているキャラルの姿があった。
「えっ!? キャ、キャラル!?」
私は目を疑った。
女は確かにキャラルだった。
けれどその姿はかつてのキラキラしさの欠片もなく、きめ細やかだった肌は乾燥でひび割れ髪もボサボサだ。
その女がキャラルと同じ敵意を向けてこなければ、それがキャラルだとは気が付かなかっただろう。
それほどの変わりようだった。
だがそんなこと些細な問題だった。
……おびただしい数の堕ちた精霊がキャラルにまとわりついていることに比べれば。
(な、なんで……)
ノルヴィス様に黒の精霊がついていたのは堕神が呼び寄せていたから。
それでもここまで多くはなかったというのに……。
(いったい、何があったの……?)
普通の生活をしていれば堕ちた精霊などつくはずがない。
よほど強い恨みがあれば数匹集まってくることはあるけれど、キャラルは貴族であり家族に愛されて豪華な暮らしをしていたはずだ。
それに私を売ったおかげですべてが解決したはず。
そんな恨みなどあるわけが……。
(いえ、それよりも今はどう切り抜けるか考えなくては!!)
だって、もしもこのまま屋敷に入れてしまえば……。
最悪な想像をしてしまい慌てて顔を振る。
そうさせないのが私の役目だ。
「ちょっと! いい加減こいつらをどかせなさいよ!」
キャラルがなんのつもりでここまで来たのかはもはや関係ない。
ノルヴィス様に害となる以前にこれだけ多くの堕ちた精霊をまとっている人間を公爵邸に入れてしまえばどんな悪影響があるか分からない。
たぶんノルヴィス様だけでなくここにいる人たちにも悪影響を与えるに違いないだろう。
キャラルを押さえてくれている兵たちの顔色が悪くなってきているのがその証拠だ。
絶対に中に入れる訳にはいかなかった。
私は兵たちに礼を言ってキャラルから離れさせ、彼女の目の前に立つ。
ぐっと力を入れていないと震え出しそうになる体を落ち着けて声が震えないように喉に力を込めた。
「……なんの用かしら?」
「あらまあ。せっかくあたしが訪ねてきてあげてるのに随分な歓迎じゃない。いったいいつからそんな人になったのかしら?」
「用は?」
いつもの調子で
くだらない問答をするつもりはない、と態度で表してやれば彼女はぐっと堪えた顔をした。
「様子を見に来ただけよ。お姉様がどんな生活をしているのかをね。さあ早く入れてちょうだい?」
「……ダメよ」
「は?」
きっぱりと断る。
今判断を誤れば取り返しのつかないことになりかねない。
「……私はノーレイン家から追い出され売り払われた身。あなた達との関わりもあの時になくなっているわ。だって莫大なお金で所有権はこのシルヴェート公爵家に移っているもの」
「……」
「だからあなたを家にあげる義理はない。交流のない者を、しかも約束もなくやって来たものを入れる訳にはいかないというのは貴族なのだから分かっているでしょう?」
親しき中にも礼儀ありという言葉があるように(別に親しくないけど)、突然訪問されても困るのだ。
そんなことが許されるのはよほど仲が良い人からのサプライズか、緊急の用件がある人くらい。
キャラルはそのどちらでもない。
だから取り付く島もなく断ると、彼女はフルフルと震えだした。
「……あは! まあ酷い。さすがは呪われた子ね。いや、もう死んでいるのなら幽霊女かしら? そうよね、まだ生きているわけないわ。あの血なまぐさい公爵にとっくに切られているはずだもの!」
「なっ」
「そうよそうだわ! ノーレイン領があんなことになったのは全部あんたの呪いのせいよ! あたしがあんな目にあってるっていうのにあんたがピンピンしているなんて可笑しいもの! 許せない許せない! 責任を取りなさいよ! この魔女!!」
目を血走らせてにじり寄るキャラルは傍からみても異常だったらしい。
私についてきてくれていた騎士たちが
「どきなさいよ! 伯爵領はそいつに呪われたんだ! だからそいつに責任をとらせるの! あはははは!!」
狂ったように笑い出すキャラル。
その目には確かに憎しみの色が出ていた。
(ノーレイン領が呪われた?)
一体何を言っているのだろう。
私には彼女の言葉の意味が分からなかった。
私自身が呪われているというのはあながち間違いでもないからこの際無視するとして、私に呪う力などありはしないのだけは確かだ。
だっておじいさまは言っていた。
呪うのは相当の悪意がなければできないと。
私にはノーレインに対する感情などない。
恨みも、憎しみも、持ち合わせていないのだ。
だから、やってもいないことの責任なんてとらされるのはごめんだ。
「……私に呪いなんて使えないわ」
「うそばっかり! じゃあなんであんなことになるのよ!」
「あんなことがどんなことか知らないけど、経営がうまくいっていないのだったらそれはお兄さまのせいでしょう? 私には関係ないわ。それにノルヴィス様を悪く言ったあなたの相手をこれ以上する価値もない。もう二度と来ないで」
私は騎士にお願いしてキャラルを領の外へと放り出すことにした。
騎士には負担をかけてしまって申し訳ないが、彼女を領内にとどめておくわけにはいかない。
「あたしは絶対に
遠くなるキャラルの姿。
そう言い残した声が耳にいつまでも残る。
ねばついてこびり付くような重たい悪意が、私に絡みついてくる嫌な気配がする。
黒い何かがひらりと舞い上がった気がした。
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