第9話 消え去った遠慮
ガタゴトと馬車の車輪が回る音がする。
俺たちはあれから
帰り道という訳で俺ももちろんフラリア用の馬車に乗り込んでいる。
だがフラリアと一緒にいるというのに浮かれられないほど俺の思考は先ほどの出来事で埋め尽くされていた。
フラリアの血縁だというあの男。
自らを精霊王と言ったあの男。
あの男のことを考えると頭に血が上って仕方がない。
今も額には青筋が浮かび
(フラリアをさらうに飽き足らず、フラリアを対価に差し出すのなら呪いを解いてやるだなんてバカげた提案をしてくるとは……)
フラリアをさらった時点であの男からの提案を飲むつもりなどなかったが、あの言葉で完全に殺意が生まれたのは間違いない。
いやむしろあの提案を告げるより前に男の首を落としておけばよかったと後悔すらしている。
(次に会ったら必ず今日の報いを受けてもらう)
今日は残念ながら止められてしまったからその決意は果たせなかったが次の機会があれば絶対に5発くらいの拳をお見舞いしてやる。
そんな意気込みが顔に出ていたのか前に座っていたフラリアが気づかわし気に声をかけてきた。
「あの、ノルヴィス様」
「ん?」
その瞳は何を言えばいいのか思案するように慌ただしく動いている。
その揺れが収まるのを黙って待つこと数秒。
フラリアは意を決して口を開いた。
「元気を出してくださいね! おじいさまは対価が用意できれば呪いを解いてくださると思うんです。今はその対価に何を差し出せばいいのか分からないですけど、きっと!」
「えっ」
フラリアの口から出たのは励ましの言葉だった。
よどみのない眼差しは俺の心配をしているのだとまっすぐに告げてくる。
「……俺の心配をしてくれるのか?」
「それは……もちろんです!」
先ほどまでありありと存在していた額の青筋も眉間のしわも、この言葉を受けてなくならないわけがない。
俺の顔はすぐさま穏やかなものになった。
どうやらフラリアは俺が
今も気づかわし気に様子を伺っている。
その様子があまりにも愛らしくて頬がゆるむ。
(機嫌が悪かったのは呪いが解けないと言われたことよりもフラリアにべたべた触っていたことへの怒りしかないのだが……)
あれほど解きたかった呪いを解く手段が一つ潰れたことへの落胆は確かにあったが、それよりもあの男に対する拒絶が強い。
むしろあんな奴に頼るなどごめんだとすら思っている。
フラリアを差し出せばたぶん呪いを解いてもらえていたのだろう。
けれど俺にとってはもはや呪いを解くことよりもフラリアを失うことの方が恐ろしくなっていた。
(どうやら自分で思っているよりもフラリアを愛しているのだな)
前まででも確かに愛情はあった。
始めは俺の呪いを抑えられる存在として傍に置いておきたいという考えで俺に
いつも自分のできることを真っ直ぐにやろうとする姿に。
自分が嫌な思いをするのは慣れているくせに人を傷つけない様にと必死で
短命だと知っても俺を拒絶しなかったその
気が付けばいつも目で追うようになっていた。
それは今も――。
「……ふっ」
「え?」
フラリアの顔を見ていたら大抵の悩み事は解決してしまうのではないかと思えて笑みがこぼれてしまった。
急に笑い出した俺を見てフラリアはおどおどとしている。
そんなところも可愛くて仕方がない。
「ふふ、心配しなくてもいう程ショックは受けていないさ」
「え? で、でも」
「俺が不機嫌だったのはお前をさらった上にあんな提案までだしてきたあの男に対してどう対処するか考えていたからだ。むしろすまなかったな。お前をみすみすさらわれてしまった」
「いえ! あれは私も気が付いたら別の場所だったので……仕方がないというか、危害を加えられたわけでもありませんし」
頭を下げればよりおろおろとするフラリア。
いろんなことがあって自分も疲れているだろうに、俺のことばかり優先しようとする。
その腕を捕まえて引き寄せる。
「な、な、なっ!」
ポスンと胸に収まったフラリアは今度は一気に顔を赤くしてパクパクと口を開いている。
その顔にいたずらな笑みを向けて髪を撫でる。
「お前の言う通り、落ち込んでばかりもいられないな。……まあ精霊王がダメならやはり正攻法で行くしかないよな?」
ニコリと微笑めば、フラリアはしまったというような顔をした。
恐らくもう気が付いただろう。
俺自身にもう遠慮がなくなったということを。
今までは彼女の気持ちをはっきりと聞いていなかったから俺の気持ちも押し込めていたが、今日、彼女の口からはっきりと聞いた。
(俺との縁を切るつもりはない、と)
少なくとも今は。
屋敷に来たばかりのフラリアだったらきっと精霊王の提案を飲んでいただろう。
だけど彼女は俺を選んでくれた。
ならば少しはうぬぼれてもいいのだろう。
だったらアプローチあるのみだ。
フラリアの唇を指でなぞってやれば面白いほどびくりと震える愛おしい存在。
その目は
「……もう手加減はしてやれそうにないなぁ」
「ま、ままま待ってください! 私には毒がありましてね!? ダメですよ!?」
これからなにをされるのか感づいたようにわたわたしているがすぐに振り払おうとしないということは、つまりそう言うことだろう。
それに――。
「精霊王に生み出されたその精霊がいれば触れ合っても問題ないのだろう? それなら俺がお前に触れてもいいはずだ」
「それはそう、ですけれど。でもまだ精霊との
「それは分かっているが……俺はお前に触れたい。……嫌か?」
彼女の頬を撫でながらそう問えばぐっと言葉を詰まらせた。
「……む」
「む?」
「むむむ無理でーす!! 心の準備がっ!!」
「ぐえ」
俺の口に両手を重ねて押しやる彼女の抵抗にすぐさま離してやる。
心臓の辺りを抑えて赤い顔で俺を睨む彼女に思わず笑ってしまう。
だってそんな甘い顔で睨まれても説得力の
「はははっ! まあお前の嫌がることはしないがその様子だとすべてが嫌という訳ではなさそうだな。……これから覚悟しておくんだな?」
つい悪戯心が芽生えてそう意地悪く笑った。
馬車は屋敷へともどっていく。
俺たちの変えるべき場所に――。
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