第9話 帰るべき場所

 


 ―――

 ――

 ―


 どれだけそうしていたのだろう。

 ほんの一瞬かもしれないし、永遠に感じる程長い時間だったかもしれない。



 俺は呆然ぼうぜんとしながらもフラリアの言葉を思い出していた。


『諦めないで』


 泣きそうな声で、それでも笑いながら。


 彼女が残した最後の言葉がそれならば……。


「……」


 俺は重たい体を引き摺るように外を目指す。

 傷は癒えていても血を流し過ぎたせいでふらつく体を意地で保ちながら、懸命に進む。


 彼女との約束をはたす。そのためだけに。


 諦めてはいけないのだ。




 けれど意志とは裏腹に、俺の意識はどんどんと暗くなっていった。


 意識を手放す少し前、俺の耳にいくつかの足音と誰かが叫ぶ声が聞こえてきた。

 視線だけ前に向ければ見慣れた制服が見えた。


 どうやら公爵家の騎士たちのようだ。


 俺はそれだけを確認すると闇に落ちていった。



 ◇


 何日経ったのだろう。

 気が付くと公爵領にまでやってきていた。


 見慣れた景色が見える。


 体が揺れているのは馬車に乗せられているからだろうか。

 まだぼうっとする頭ではわからなかった。



 けれど、久しぶりに見た屋敷はひどく色あせて見えた。


(あそこに帰ったら……)


 俺はフラリアのことを知ることになるだろう。


 報告は「消えた」だろうか。

 それとも「息を引き取った」だろうか。


「……っ」


 怖い。

 全てを知るのが。


 でもそれ以上に確かめたかった。


 フラリアの無事を。


 それだけが俺を突き動かす。



 門が見えてきた。







「あっ! 帰ってきましたよ、奥様!!」


 門の近くまでくると、ふいにそんな声が聞こえた。

 場違いなほど明るい声はそんな言葉を紡ぐ。


(……奥様?)



 顔を上げた瞬間、信じがたいものを見た。


「っ!」



 門の前に侍女に肩を支えられて立つ女性の姿が映った。



 深い森を思わせる緑色の髪が風に舞い、見透かすような輝きを放つ少しツリ目がちの紫の目が、こちらをじっと見ていたのだ。


 彼女が微笑んでいる。

 俺の、最愛の人が――。



 気が付くと駆け出していた。

 とまっていた馬車から滑り落ちる様にして地に足をつけ、動きがぎこちない体に鞭打って懸命けんめいに走る。


「――ッフラリア!!」


 侍女に支えられて立つ彼女を抱きしめる。


 ――温かい。


 彼女の温もりだ。


 涙が滲む。



「フラリア……フラリア……」


 存在を確かめるように何度も何度も名を呼ぶ。

 彼女はただ背に手を回してくれた。



 あやすように、けれども少しぎこちない動きで、ゆっくりと撫で続けている。

 それでようやく彼女が生きていると実感できた。


「フラリア……。お前、大丈夫なのか? どこも痛くないか? 変なところは?」


「……だい、じょうぶです。ノルヴィス様は?」


「お前が治してくれたから平気だ」



 傷自体は何ともない。

 流した血だけはなかったことにはできないようで、貧血状態ではあるがなんの問題もなかった。


「……良かった」


 フラリアはそう言うと柔らかく微笑んだ。


 唇に触れるだけのキスをして――


「……おかえりなさい」


 俺が聞きたかった言葉を投げかけてくれた。


「――あぁ。ただいま」


 もう一度深く口付ける。

 お互いの存在を確かめ合うように、深く深く。


 あの時確かに消えてしまったはずだった。

 けれど確かにここにいて触れることができる。


 なぜ生きているのかなんて分からなかった。



 だが、今この時だけは。



 大切な人を胸に抱いていられる。

 それだけで十分だ。


 もう無くさないように、手放さないように。

 強く強く抱きしめたのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る