第13話 勘違い

 


「恐れながら旦那様、こちらには奥様もいらっしゃいますので場所をお変えになった方がよろしいかと」

「……ふん」


 ディグナーさんが私の方をちらりと見てからそう口にすると、公爵さまはようやく剣を納める。


「こいつらを拘束こうそくして地下牢ちかろうに放り込んでおけ」

「はっ」


 その言葉ですぐに連れていかれるネルたち4人は公爵さまの迫力に圧倒されて抵抗もせずにつれていかれた。


 周りを見回すとあれだけの騒ぎだったにも関わらず使用人たちに怯えや焦りなどは見られなかった。

 ディグナーさんもマイクも、他の人たちも平気な顔で仕事をしている。



 だけど私はすぐに動くことができなかった。


 血なまぐさいことに慣れている訳でもないし、人が傷つくところを見慣れている訳でもない。

 鮮血をみたのだって久しぶりなのだ。


 今になってようやく心臓が嫌な音を立てていてどっと汗がにじんできた。



 足に根っこが生えたように動けないでいると公爵さまがこちらへと向かってきて手を伸ばしてきた。



(――っ! 殴られる!?)



 騒ぎを起こしてしまったのは私もだから、もしかすると屋敷から追い出されるかもしれない。

 私はびくついてしまってぎゅうっと目をつぶった。



 ……が次に来たのは頭への軽い重みだった。

 恐る恐る目を開けると、申し訳なさそうな表情の公爵さまが頭をなでていた。


「……公爵さま?」

「すまないフラリア。怖い思いをさせたな。……勘違いをしているようだから訂正させてくれ。俺は断じてあの女と特別な関係にはない」

「……え。でもネルは旦那様に雇われて、その、お部屋にも呼ばれていると言っていました。お気に入りだったのは間違いないのでは?」


 言われたことを思い出す。


 自分をお気に入りだと自信満々に言っていた彼女。

 それに周りの使用人たちもどう扱っていいのか分からないという顔をしていたのに……。


「……確かに雇ったのは名義上俺だが、別に個人的に頼み込んだわけではない。募集を掛けた時に来ていたから使用人への登用試験を受けてもらっただけだ。それに部屋に呼んだっていうのは語弊ごへいがありすぎる。大方使用人が減った時に補助として部屋へ立ち入った程度だろう。世話などは信頼できる者にしか任せないからな」


「……本当に?」


 頭に手を置かれたまま上目遣いで見上げれば優しく微笑ほほえまれる。


「ああもちろん。俺の部屋や執務室、書斎などは立ち入った人間の行動は記録をつけているから心配なら見るといい」



 まるで愛おしいものを見るかのような優しい目をしていた。

 とてもではないが嘘をついているようには見えない。


 少しだけ心のモヤが晴れたような気がした。


「……わかりました。信じます」

「そうか。ありがとう」


 公爵さまは私の額に手を置くとその上に口付けた。


「……っ!? っダメです! 毒が! 死にたいんですか!?」


 毒があるのに平気な顔で近寄ってくる彼から慌てて距離をとる。

 バクバクと心臓がうるさい。


「フラリアは優しいな。手袋をしているから大丈夫さ」

「そういう問題じゃ……今し方使用人さんたちに毒を向けたと疑われていたのに、危ないとは思わないんですか!?」


「ん? お前はそんなことしないさ。もししたとしても何か理由があってのことだろう? なら何の問題もない。ここの者達もそれは分かっている」


 目元を緩めてそう言う公爵さまはからからと笑っている。


(問題ないって、なんで……。もしかして私を信じているの?)


 まるで初めから私を疑ってすらいないとでもいうように笑う彼に心臓が余計に高鳴っていく。



 慈愛のような眼差しを向けられて、私のことを信じてくれる。

 幼い時に見た母の姿と重なるそれは、私がずっと望んでいたものだった。


(そんな人、いる訳ないと思っていたのに……)


 ――いてくれたんだ



 彼は確かに冷徹な一面もあるかもしれない。

 けれども少なくとも私にとってはとても大切な人に違いない。


 胸に温かいものが流れ込んできて、ジワリと視界がぼやける。



 きっとこの先どんなことがあっても今日のことは忘れられないだろう。

 私にはこの思い出だけで十分だ。


「さて、今日はもう疲れただろう。後の処理はやっておくから部屋に戻ってゆっくりと休むといい」

「……ええ、そうさせていただきます」


 確かにとても疲れた。

 体力も既に限界を超えている。


 もう戻って休まなければならないだろう。


 最後に彼の顔をジイっと目に焼き付けて、私はその場を後にした。




 ――そうしてその日の夜、私は屋敷を逃げ出した。


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