第3話 どうやら公爵さまが体調を崩したようです

 

 翌日、随分ずいぶんとゆっくり柔らかいベッドを堪能たんのうしていた私をよそに公爵邸はバタバタとしていた。


 どうやら公爵さまが倒れたらしい。



 ああ、やっぱり。と思った。


 別に私が毒を放ったというわけではない。

 恐らく、あの黒い精霊たちの影響だろう。


(いくら体が丈夫な人でも黒い精霊の魔力にさらされ続ければ体調を崩すのは当たり前よ)


 精霊が見えている私からしたら当然のことなのだが、見えていない人からすれば「呪われた令嬢」がやってきたと同時に公爵さまが倒れたということになるわけで。


 案の定、屋敷の中では私が公爵さまに呪いを移したのではないかという噂が流れていた。


 という訳で今は部屋に軟禁なんきんされている。


(こういう噂には慣れているけれど、疑われるのは困るわ)


 全くの言いがかりで迫害はくがいでもされたらたまったものじゃない。

 伯爵邸での二の舞になるのはごめんだ。


(……いっそのこともう逃げちゃう?)


 とはいっても公爵さまが倒れた状態で逃げ出してしまえば領内で指名手配される未来しか見えない。


 土地勘もないし、お金もない。

 それにまだ私の味方になってくれるような精霊たちとコネクションもとれていないし、さすがに無謀むぼうすぎるだろう。


「はあ……流れ弾がこっちに来なければいいけれど」


 この体質を10年もやっていると、何か少しでも不吉なことが身の回りで起こると全てが私のせいにされるという経験を嫌という程してきた。


 キャラルの成績が上がらないのも私のせい、お兄さまの事業がうまくいかなかったのも私のせい。

 それどころか使用人の家族がスリにあったのも、伯爵領の隅でボヤ騒ぎがあったのも全て私のせい。


(そんなわけあるかって話よ)


 私に直接なにかできる訳がないからドアの前から聞こえる様に嫌味を言われるだけだったけど、それでも伯爵邸にいた人間はすべてが私の敵だった。


 思い出したら腹がたってきてため息がもれてしまう。


(やめましょう。今はそれより現実の方が問題だわ)


 現状はとても悪い。

 さすがに今回はタイミングが悪すぎる。


「……まあ私の話なんてまともに聞いてくれる可能性なんてほとんどないだろうけど」


 ――コンコン


 そうつぶやいた時、部屋のドアが叩かれた。


「!!」

「奥様、執事のディグナーです。旦那様がお呼びですので御支度ごしたくいただけますでしょうか?」


 掛けられた声は昨日屋敷を案内してくれた執事さんのものだ。


 どうやら早くも今回の騒動そうどうの責任を問われることになるかもしれない。


「……はあ」


 私はもはや諦めの境地だった。



 ◇


 しっかりとヴェールを被り手袋をして露出をなくした私は、執事さんに連れられて今度は公爵さまの私室に足を運んでいた。


 執事さんは何やら準備があるとかで先に部屋へと入ってしまい、その間廊下でぽつんとたたずんでいる。


(ん?)


 ふと廊下の角から突き刺さるような鋭い視線を感じた。

 伯爵邸でもおなじみだった敵意のある視線だ。


 やはりここでも同じことになりそうだなと思いちらりと視線をたどると廊下の角から私をじっと見ている複数の女の姿がある。


(メイドさんよね?)


 一応公爵夫人としてこの家に来たはずなのだが、すでに使用人にすら見下されるようになったようだ。


 この結婚に期待していたわけではないが、生活状況の改善も望まない方がいいかもしれない。


(やっぱり少しでも早くこの家を抜け出せるようにしないとだわ! そのためにも……)


 私は視線を戻し、公爵さまの部屋を見据えた。


(今から何をされるかは分からないけど、うまく切り抜けないとね!)




 それから数分後私は部屋へと招かれた。


「うっ」


 そしてすぐに後悔した。


 精霊の数が昨日より増えていたからだ。

 恐らく10匹は超えているだろう。


 つい口をついて悲鳴が出てしまったが部屋のありさまを見たら仕方がない。


「来てもらっておきながらこんな格好ですまない」


 そういう公爵さまだが、はっきり言って私には既に彼の恰好など判別がつかない。

 それほどまでに精霊たちに群がられ、体中に黒いモヤが鱗粉りんぷんのようについている。


 かろうじて顔だけは分かるくらいだ。



 正直あんなに黒で覆われているのに起き上がれるのが不思議なほどだ。

 普通だったら寝込んで生死の境を彷徨さまようことになるだろう。



 呆然ぼうぜんと公爵さまを見つめているとディグナーさんが声をかけてきた。


「今この場にはわたくしと旦那様、そして奥様しかおりません。奥様。正直にお答えくださると助かります」


 ディグナーさんは私を真っ直ぐに見つめた。

 尋問じんもんでもするかのような視線にさらされて息がつまる。


 きっと呪いをかけたのかどうか疑われているのだろう。


「奥様の目には、一体何が映っておりますか?」

「はい?」


 ディグナーさんの質問の意図いとが分からない。


 何が映っているか?

 それを聞いてどうするのだろう。



 ……どうせ信じられないのに。


 戸惑とまどう私にディグナーさんは続ける。


「わたくしは、旦那様には良くないものがついており、奥様にはそれがみえていらっしゃるのではないかと考えております」

「……」

「旦那様は5年に1度この状態になり、1週間程苦しまれます。ちょうど昨日あたりからその予兆よちょうは見て取れました。ですのでわたくしどもは奥様を疑っているわけではございません」


 ご安心くださいと微笑ほほえまれるが、何も安心できない。



 私が呪いをかけたと疑われているわけではないようだが、定期的に黒の精霊達にまとわりつかれる人と夫婦関係にいるなんて不安しかない。

 一体何をしたらそんなことになるのだろう。


 というか、そんな定期的にまとわりつかれるだなんてどう考えてもおかしい。

 それこそ私と同じようにそういう呪いが掛けられているのではないかとすら疑ってしまう。


「奥様は昨夜旦那様を見た時、そして先ほども何かが見えているかのような反応をされておりました。そしてそれはわたくしどもには見えない、旦那様を苦しめる要因がそこにいるということではないかと邪推じゃすいしてしまったのです」


 ディグナーさんは私の元に歩いてくると、手を取った。

 力強く握られる。



「!? な、なにして」

「どうかお願いいたします。旦那様を苦しめているものが見えているのなら、お力をお貸し頂けないでしょうか」

「は、離して! 毒が!!」


 いくら振り払おうとして叫んでも全く放してくれない。



 毒が……! なんで手を!?

 私が怖くないというの? でも早く離さないとどうなるか!



「わかりましたから! 早く手を離してください!!」

「本当ですか!」


 パニックに陥った私は気が付いたら口にしていた。

 途端に嬉しそうに笑顔を向けられ、解放される。


 ドクドクと激しく脈打つ心臓の音が体を震わせる。


 無意識に息を止めていたようで息苦しい。

 はあはあと肩で呼吸をして何とか息を整えた。


(な、なんて人なの……。毒があると知りながら触れてきた人なんていなかったのに!)


 私は恐れおののいた。


 いくら手袋をしているからと言って絶対に大丈夫かなんて分からない。

 私だってこの毒で人を傷つけたいわけじゃないのだ。



 ここで公爵さまを見なければ、今度は追いすがられるかもしれない。

 だから私はおとなしく公爵さまを見ることにした。


 相変わらず顔だけを残して黒に覆われた彼の顔は倒れてしまいそうなほど青い。




 手が触れられる距離までよれば、公爵さまの荒い息遣いが聞こえてくる。

 聞いているだけでつらくなるような吐息だ。



 ふと悪寒おかんが大きくなった。

 ゾワリとした冷気が公爵さまの体からただよってくる。


 ――ズルリ


 ふと聞こえた音に目線を落とせば、公爵さまの体から赤黒い小さな蛇のようなものが出てきていた。

 それは黒い精霊たちを口に含むと少しずつ大きくなっていくように見える。


(な、にあれ!?)


 その正体などわかるわけもないが、黒の精霊が可愛く見える程その蛇が禍々まがまがしいものだということだけは分かった。


 きっとあれにこれ以上力を与えてはいけない。

 直感的にそう感じた。





 気が付いたら公爵さまの体に引っ付いていた精霊を掴んで一息に引っこ抜いていた。

 いつの間にか手袋も外していたようで、素肌に触れた精霊からはぽろぽろと黒が剥がれ落ちていく。


「……え?」


 数秒後には黒かった精霊が元の色を取り戻して飛んで行った。

 毒で死んでしまうかと思っていた私は目を瞬かせることしかできなかった。


 何が起こったのか分からずに呆然と公爵さまを見れば、先ほどよりも顔色がよくなっていることに気が付く。


 恐らく黒の精霊が減ったからだろう。


(え? な、なんで……。なぜ精霊が死なずに元の色を取り戻したのかは分からないけど……公爵さまも精霊たちも助かるのならやらないという手はないわよね!)



 そう結論付けると私は蛇に食べられてしまう前に精霊を引っこ抜くべく作業を開始した。


 私の力が傷をつけることではない、誰かを助けることができるかもしれないという希望を抱いて。


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