第2話 どうやら契約結婚のようです
それから揺れのひどい馬車で丸三日が経った時、ようやく公爵邸にたどり着いた。
崖の上に建っていて背景には雷でも落ちていそうな
馬車から眺めるには広すぎる……ついでに
ついたのが夜も更けたタイミングだったのもあって雰囲気が……その。何というかまがまがしい。
え? 本当にここに人間が住んでいますか? という疑問が浮かんだほどだ。
私は黒いヴェールの下で死んだ目をしていた。
元から表情はとぼしい方なのだけど、今ほど表情が抜け落ちている時はないと思う。
……
改めて自分の格好を見る。
真っ黒の長袖のドレスに手袋、そして真っ黒のヴェールを被っていて露出ゼロ。
これはお兄さまに呼び出されたときに着て来いと命令されたものだ。
本当は無視したかったが、人前に出られるような服がなかったから仕方がなく着ている。
この状況に……ある意味ではたいへんマッチしているけれど。
その……悪の組織的な意味で。
こんな格好の嫁が来てしまった公爵に同情さえ感じる。
むしろお兄さまとしては公爵さまの
「……そんな気がするわ」
噂通りの公爵ならば出会い頭に切り捨てられそうである。
はあ、とため息しか出てこないがいつまでも屋敷の前にいる訳にもいかない。
私は意を決して門をたたいた。
ぎいっと音を立てて重そうなドアが開く。
中から出てきたのは執事のような恰好をした老紳士だった。
彼は私を見るとにこりと微笑んだ。
「フラリア・ノーレイン伯爵令嬢様ですね」
「あ、はい」
「お待ちしておりました。旦那様がお待ちですのでご案内いたします」
執事さんに連れられて歩いていると、使用人たちの視線が突き刺さる。
そりゃあ気になるわよね。私でも気になるもの。
いたたまれない気持ちになりつつついていくと執事さんはある部屋の前で止まった。
「こちらです」
たどり着いたのは執務室のようだった。
奥をみると一人の男性が執務机に向っている。
柔らかそうな黒髪の毛先の方にはところどころシルバーが混じっていて妙に色気を感じさせるが
彼が血塗られた公爵――ノルヴィス・シルヴェート公爵……。
血も涙もないと噂の、そして私の呪いに興味を示した変わり者。
「――っうわっ」
だけど私は公爵の見た目よりも目を奪うものを見てしまった。
思わず声が出る程
――シルヴェート公爵の周りには黒いモヤのようなものが数匹とんでいたから。
見間違えるはずもない。
あれは小さなころから慣れ親しんだ存在。
(
精霊とは人には見えない伝説上の生き物で超次元的な力を持つとされ、気まぐれに
私は生まれつきその精霊たちが見え、力を借りることもできた。
物置き部屋に集まってくる精霊たちに食べ物をもらったり、風邪を引かないように火の精霊と共に寝たりしていた。
色とりどりな精霊たちはいつだって私の味方をしてくれた。
だが今公爵に群がっている精霊たちにはその色がない。
真っ黒な精霊たちだった。
精霊は本来1匹につき1つの能力を持っていて、青は水関係、赤は火関係といった具合にそれぞれが持つ色に深く関係している。
だが黒だけは別物だった。
(黒の精霊は堕ちた証……。悪意をため込んだ精霊。だからあんなにいたら人体に悪影響を与えるはずじゃ……)
ちらりと見れば公爵の顔色は悪い気がする。
まじまじと見ていたらヴェール越しなのにぱちりと目が合ってしまったように感じて慌てて頭を下げた。
しまった。
精霊に気をとられすぎて今目の前にいる男があの血塗られた公爵だということを忘れていた。
声ももれてっしまったし、このまま切り捨てられてしまうかもしれない。
「お前が俺の妻となるフラリア・ノーレイン伯爵令嬢か。出迎えに行けなくてすまない。急ぎのようがあってな」
ちらりと様子を伺うと公爵さまは薄く笑っていた。
ただ目は全く笑っておらず品定めをするように光っている。
(のまれちゃダメよ!)
公爵さまがどんな人なのかは分からないが、ここで公爵さまの不興を買ってしまえば切られる可能性が上がってしまう。
それは避けなければならない。
気を取り直して挨拶をする。
「お初にお目にかかります。フラリア・ノーレイン、ただいま参りました。これからよろしくお願いいたします」
公爵は
執務室には私と公爵さま、そしてここまで案内してくれた執事さんだけだ。
その執事さんは誰も入ってこないようにかドアの前に陣取っている。
ということは今からする話はこの面子以外には聞かれるとまずいということ。
恐らく呪いや研究についての話だろう。
私はごくりと唾を呑みこんで腰を掛けた。
公爵さまは一枚の契約書を持ち出し机に置いた。
「俺とお前はこの契約書をもって夫婦となる。だが夫婦らしいことは期待するな。俺の目的はお前にかかっているとされる呪いを調べることだからな」
両手を机の上で組み顎を乗せる公爵さまは冷たい笑みを称えて私を見据える。
「お前に望んでいるのは俺に協力してもらうことだけだ」
「ええ、存じております」
脅しにもとれるその言葉に傷つく……訳もなく、私は同意の言葉を口にした。
「……随分と物分かりがいいんだな」
少しだけ以外そうな表情を見せた彼はじっとこちらを見つめている。
「ええ。毒持ちの女など好んで妻にしたい物好きなどいるはずもありませんもの。うっかりでも素肌に触れれば毒をくらうことになるのですから。夫婦の営みごとなどできるはずがありませんし」
「……それもそうか。分かっているのなら良い。この契約書を読んで内容を頭に叩き込め。これを
私は机の上にあった紙をとり目を通す。
一つ、ここで知り得た情報を外に出すことを禁ず
一つ、研究に協力することを約束する
一つ、過度な接触は禁ず
一つ、どうしても参加しなくてはならない行事ごとの際は夫婦として振舞うこと
以上が大体の内容のようだ。
思っていたよりも少ない。
情報を外に出すことについては知り合いも友人もいない私にそんな心配は無用だ。
過度な接触などはむしろ公爵さまを守る上では当然のこと。
研究協力は何をさせられるのか分からないが、まあ協力と言っているならすぐに命が危険になるということはなさそうだし。
問題は……。
「……おおむね承知いたしますが、行事ごとに参加するのは難しいかと……」
そう私は人前に出ることなどできない。
毒でその場にいる人間の息の根を止めてしまう可能性があるのだから。
「ふむ。そういえばお前の呪いは毒なんだったな。まあいいだろう。その項目についてはまた明日考えるとしよう。……けほっ」
ちらりと見れば公爵さまは小さく咳をしていた。
随分と体調が悪いようだ。
やはり黒の精霊がいるからだろう。
「こほっ。……とりあえずここは除外するからそれ以外に納得したのならサインをしてもう下がれ」
屋敷についたのが真夜中だったこともあって、その日はそれで部屋へと通された。
私にあてがわれた部屋は屋敷の端にある部屋だった。
公爵さまの部屋とは真反対に位置するそうだ。
だが今までの物置き部屋とは
なんの不満もない。
しんと静まり返った部屋の中、私はようやくヴェールを脱いだ。
隅に置かれていたドレッサーに載せると、鏡に自分が写った。
陽の光に当たったことがほとんどない不自然なほど白い肌にふわふわな深緑の髪、そして紫色の瞳の中には星が無数に散らばっている。
その瞳を鏡越しに撫でる。
「お母さま……。私ここで生きていられるかしら?」
私の外見はお母さまにとても似ている。
今も生きていればきっと双子だと言われていただろう。
けれど10年前に、毒を盛られて死んでしまった。
ちょうどそのくらいだ。私に毒が宿ったのは。
だから、私の呪いはお母さまに掛けられたものなのだろう。
そしてこれはきっとお母さまからのお守り。
私はそう思っている。
そっと目を伏せた。
「……弱気になっていちゃダメよね! やれることをやる。これが私の生き方なんだから! ……まあでも危ない目に遭いそうなら逃げ出せそうな場所を探しておかなきゃ」
自分に言い聞かせるようにつぶやくと、ふと思う。
「そういえばあの黒い精霊以外、普通の精霊を見かけていないわね。伯爵邸にはいたのに……」
この部屋に行くまで、屋敷の中を結構歩いた。
けれども精霊は一匹もおらず、執務室で公爵さまに群がっていたあの精霊たちしか目にしていない。
もしかしたら公爵さまが怖くて近寄れないとか?
「……あり得るわね。精霊たちは基本的に人間を避けているし、特に公爵さまなんて良くないものを引き寄せているみたいだし」
できれば私もあまり彼には近寄りたくない。
過度な接触はしないって言っていたし、研究もそんなにずっと引っ付いてやるわけではなさそうだし。
それなら自由時間もあるわよね?
「よし決めた! 当分の目標は力を貸してくれそうな精霊を見つけること!」
もしも力を貸してくれるほどでなくても、精霊がいるのならここがどんなところか知ることができるはず。
いつか逃げ出すのなら地形を把握しておくのは重要なのだ。
「そうと決まればさっそく明日から精霊を探さないとね」
人に見つからないようにこっそりと。
大丈夫。私ならやれるわ。
そう。自分の身を守るためにも。
「……ふわ」
当面の目標が決まったら急激に眠くなってきた。
3日間もぼろ馬車に揺られていた疲労が今になって来たようだ。
私はそのまま気絶するようにベッドに倒れ込んだのだった。
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