第4話 単騎

 

 俺は眼下がんかに広がる荒れ果てた土地を静かに眺めていた。



 緑は枯れ地面は干上がりいくつもの地割れを起こし、かと思えば川が氾濫はんらんした形跡けいせきもあった。

 流された家屋やガラクタもところどころに積みあがっている。



 もはやこの地で生きていくことなど不可能だと断言できる。


 それが、現在のノーレイン伯爵領の姿だった。



「あそこか」


 静かに目線を先へ向ける。

 そこには庭もない屋敷がぽつんと構えられていた。


 かつては立派な庭があったのだろうそこには今は大きな木がゴロゴロと倒れ、めくれ上がった土が整えられたレンガを突き破って掘り返された様に荒れている。


 屋敷の壁もボロボロに崩れてどうにか建っている状態だった。




 その屋敷の一室、少しだけ開いた窓からは黒いモヤが立ち上っている。

 俺の目にはその正体が映し出されていた。


「あれが堕ちた精霊……」


 自分の目でアコニ以外の精霊を見たのはこれが初めてだった。

 はっきりと見えるのはアコニが右目に宿ってくれているからだろう。



 モヤでできた道の中を真っ直ぐに飛んでいく黒い精霊たち。

 羽の音を聞いているだけで不安と不快がごちゃまぜになった感覚におちいりそうだ。



 彼らの向かう先は、今し方自分がやって来た方向。

 モヤの道は、シルヴェート公爵家から真っ直ぐにここまで繋がっていた。


 俺はそれを辿ってここまでやって来たのだ。



「間違いなく、ノーレインが原因だな」



 堕ちた精霊は人に害を与えると言っていた。

 その痛みを、俺は身をもって知っている。


 それは生きたまま体の内側を焼かれるような痛みだ。

 常人であればすぐに気が狂い、その命のともしびを消すことになる。



 フラリアは堕ちた精霊ですら癒して元の状態に戻すことができるらしいが、これほど多くの精霊が押し寄せてしまってはそれもできないだろう。


 今はその稀有けうな力で持ちこたえてはいる。

 けれど、それも時間の問題だろう。


 彼女の置かれた状況を思うと胸が張りさけそうだ。


 ギリリとつかを握る手に力が籠った。


「待っていろ。すぐに終わらせるからな」



 公爵家の騎士たちは置いてきた。

 準備を待っている間にもになってしまうかもしれないから。


(間に合わないで後悔するのは、もうおしまいだ)


 目の前に広がる光景を見たら制止を振り切って単騎乗り込んできてよかったと思う。



 俺は精霊たちが出てくる屋敷をにらみ、音もなく駆け出した。




 ◇


 屋敷に立ち入ると精霊のモノとは違う異質な空気が肌をさす。

 まとわりつくように重く、肌が粟立あわたつほど神経を逆なでする空気だ。


 屋敷の中は日の光が入らないにしても異様いようなほど薄暗く、常に誰かに見られているかのように感じられる。


 比喩ひゆではない。


 アコニを通して見る景色は無数の悪意の流れを映し、その悪意が視線となって降り注いでいた。

 屋敷中が悪意に満ちていた。



 その中を一人、目的の場所へと真っ直ぐに進む。


 右手には抜き放った剣を携えて、鋭い剣気けんきをまとわせた。



 剣気は練り上げた闘気とうきそのもの。


 初代公爵も使っていたとされ、剣気をまとうことで「天災てんさいの大蛇」と戦うことができたとされている。


 いわば超常的なものを切ることのできる力だ。


 何が起こるか分からない今は、常時発動させておいた方がいいだろう。



 一歩進むごとに悪意の密度が増し、圧がかかるがそんなもの気にしていられない。

 少しでも早くやめさせなければ。


 ――カツン、カツン


 あえて足音は消さない。

 少しでも自分に気を向けてくれるように。



 目的の部屋が見えた。

 薄暗い廊下の先にある、光がもれている部屋。


 そこからは楽し気な声が聞こえてきた。



「――あはっ! 来ているんでしょう? 入っていらっしゃいな」


「……」


 甲高い声に誘われるまま部屋へと足をふみ入れる。

 右の目に映るその部屋は、真っ黒に染まっていた。


 部屋の中心に黒が渦を巻いている部分があり、そこに辛うじて人型の何かがいるのだと分かる。

 それがもそりと動き、こちらを振り返った。


「いらっしゃい。”血塗られた公爵”さん?」


 右目を閉じてみれば、小首を傾げたままいびつに笑う女がそこにいた。

 その足元には見覚えのある男と老婆が重なり合うようにして転がっている。


 うつぶせでわかりにくいが、恐らくノーレイン伯爵とその母親だろう。



 そして一人笑っている女が元凶――キャラル・ノーレイン。



 どうやったのかは分からないが、フラリアの不調に深く関わっていることだけは確かな女。



 ただの人間が超常的存在である精霊を意のままに操るなど不可能だとは思うが、堕ちた精霊たちは他には見向きもせずにフラリアへと向かってきていた。


 それが意味するのはこの女の意志に精霊が従っているということ。


 あなどって掛かっては命取りになるだろう。

 ひどく冴えた頭でそう判断をつけるとにらみつけた。



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