嘘 / ディ・セクタム区17章13節連棟住宅殺人事件 - 2

 聖兵長アーウィン殿の連絡に、皆は大いに不満の声を上げた。


「また夜警すか!? しかもそんないきなり!?」

 ヴォールトの声も大きい。最年少なのに気後れがないのは良い所である。

「先月やったばっかり! ノルヴェイドの教会ってそんな人いないんすか?」

「うっさいぞ~ヴォー~ルト」

 それを諫めたのは半笑いのアーキだったが、彼もあまり笑っていない眼をアーウィン殿に向けている。

「やると決まったらやるのが仕事なんだ。たとえどんな不服なことでもなぁ。ねえ、アーウィン聖兵長?」


 ノルヴェイドにおいて、市街警備を行う教会所属の聖兵には、一日を四分して四つの勤務シフトが存在する。

 それを複数の班でローテーションするのが、聖兵の基本だ(夜間活動に秀でた亜人からなる常夜勤班もあるが、これは別枠である)。

 そのうちの一つ、常人には向かず、生活サイクルも大きく乱れるのであまり歓迎されない夜警シフトをいきなり割り当てられたのが、今回の騒ぎの原因である。


「……それって他の班には任せられないんですか? アーウィン聖兵長ならできますよね?」

 リーアルが普段とそう変わらない様子で、しかし不服がなければ出てこない提案を口にした。対するアーウィン殿は、普段通りの仏頂面だ。

「正当な理由あり参加できないものは報告しろ。そうでなければ規定通り、明日からの夜警シフトに備えろ。自信のないものは術師に時限睡眠クロックスリープの魔法をかけてもらい、詰所で寝ろ。以上」



(相変わらず上から無茶を振られているのか)

『均衡調和会』の時にアーウィン殿の吐いた嘘言からして、彼とその上層がうまく付き合えていないのは明確だ。

 今回の件も大方、他班の班長である副聖兵長辺り――しかもアーウィン殿と比べて、うまく上層と付き合えているやつ――が何か無理を通した結果だろう。実際、過去の赴任でそういったこともあった。

『マザリン』の一件で、俺はアーウィン殿の能力と人格を少なからず信用している。そんな彼の振ってくる無茶も多少の範囲であれば、黙って受けてやるのが部下なりの人情というものだ。


 その後俺は、皆の愚痴を聞きつつ流しつつでしばらく時間を過ごし、帰路へとついた。


(こういう時のためにあの連棟住宅テラスハウスを選んだ訳だしな)

 今回のように急なものでなくとも、夜警に関わらずにいられる聖兵などいない。それを予期して、俺はあの地下室付きの部屋を借りたのである。

 入居者以外に開けることのできない、魔法の鍵付きの地下室。俺はそこに、万に一つも見られたくない審明官関連の資料といくばくかの現金、そして睡眠用の設備を置いている。

 外の光も音も入らないこの場所は、速やかで妨げられない睡眠を取るのにぴったりだった。時限睡眠の魔法も、自分にかける分には問題ない程度には修めている。



 ディ・セクタム区17章13節、連棟住宅2号室。

 適切な睡眠時間を計算しながら、垂直の梯子を降りて地下室で横になる。

(……ルレアは危ないことを書いてある本を保存していると言っていたな)

 暗闇の中、時限睡眠を自らに施し、眠りに就くまでの時間で思い出す。

(あのいつも酔っ払ってるビネロ婆さんは、酒を保存していると聞いた……ベルメジは魔法媒介の栽培をしていたとか。しかし、じゃあソールガラは何に使ってるんだ……?)

 魔法による睡眠特有の、眠る自分を下から客観視しているような錯覚。

(まあ、後で聞けば――)



   *   *



 翌晩。

 聖兵の詰所に集まっていた面々は、やはりまだ不満な顔が多かった。


「やっぱ絶対ぇ~何かあると思うんすよね」

 と、口をとがらすヴォールト。

「昨日帰る前に過去の日誌見てたんすけど、こんな急な夜警シフトへの変更、少なくとも三年はなかったっすよ」

「……わざわざ調べたのか?」

「うす。そしたらいきなり夜警することになったときの心得とかあるかと思って」

 最年少聖兵ヴォールト。直情的なきらいはあるが、素直で真面目な男である。


「しかし、そんなに長らくなかったのか……俺が来る以前、アーウィン聖兵長はそこまで急な命令をするタイプじゃなかったのか?」

「どーですかね。オレの感覚が、上位聖兵のアスカルさん的にどうかは分かんないすけど」

 いつも通りふらふら笑いつつアーキが答える。

「突然キツめの命令してきたり、上からの規則だとかでゴリ押ししてくることはけっこーありますよ。ほら、この前もアスカルさん、蝋人形やらされてたでしょ」

「え! なんすかそれ!」

「ああ……」

 確かに俺が『マザリン』で蝋人形役をすることになったのも、元を質せばアーウィン殿の店主へ護衛をつけろという急な命令が発端だった。これは『突然キツめな命令』に当たるかもしれない。

(ただ、そこは別に理不尽ではなかったからな……)


「……言われてみると、元々あった命令をいきなり変えるみたいなことは確かになかった気がしますね」

 アーキも、いつの間にかじっと真面目な表情になっていた。そこへリーアルが寄ってくる。

「悪口の集いしてる?」

「してないす! 時限睡眠の魔法、マジありがとうございました!」

「その様子だと上手く寝れたんだ。実験台になってくれて助かったよ」


「アーウィン聖兵長の話だ」

 俺が切り出すと、なんだ、とリーアルは返してくる。

「やっぱり悪口の集いじゃないですか」

「悪口じゃないすよ。アスカルさんが蝋人形になってた話を……」

「アーウィン聖兵長の話だって言っただろ。リーアルは、最近変とか気付かなかったか? 聖兵長が上からの命令に困ってそうだとか……」

「どうですかね。聖兵長が急に変わったってことはない気はします……けど」

「けど?」


 アーキが訊くと、リーアルは少し躊躇するような様子を見せたが、結局話し始めた。

「上。ノルヴェイドの衛兵隊が変な動きしてるってのは、実は聞いてます」

「……へえ?」

「なんだって? ……どういう話だ?」

「なんか深淵教の集団を北の方で見かけたとかで、それで色々指示が行き交ってるらしいです。冒険者まで巻き込んで」


 深淵教。

 俺たち『教団』こと聖丘教にとって最大の怨敵。

 信仰することそのものが教団の教義に反し、各国に対しても法律レベルでの規制を働きかけ続けているにも関わらず、なお根絶に至らない。邪教の中の邪教である。

 未踏の暗闇を聖地として定める彼らの教義は、限界の超越と法則の破壊。そのためであれば、あらゆる犠牲を厭わない。


「お遊びグループの均衡調和会なんか目じゃない連中だぞ。そりゃ混乱もするだろうが……」

「それで色々、優先するべきことがごちゃごちゃになってるんですって。街道の魔獣を手懐けた敵性亜人に手こずってるとか、後回しにしてもいいような破壊された橋の修復に無駄に手を回してるとか」

「え。てかリーアルさん何でそんなこと知ってるんすか」

「父親がそのへんで働いてるのよ。まあ、そもそもこんな話が今回の私たちに関係しているかどうかは……」


 リーアルの言葉が区切れた。

 理由は分かっている。俺が急に口元を押さえて、深刻な表情になったせいだろう。


(……重要度の低い、破壊された橋を、先に直している?)

 俺はその話を知っている。それに駆り出された奴を一人、知っている。

『北の方にある、遺跡いくつかに繋がる大きな橋が落ちたとかで』

 ソールガラだ。彼女は――

『修復の人員に指名されたんだよ』

 急な工事の人員として、名指しで招集されていた。



「アスカルさん?」

(いや……いやまさか)

 急に降って湧いたその情報に、頭が混乱している。

 考えないではなかった。ソールガラがしばらく部屋を空け、俺も夜警となれば、あの連棟住宅には夜間、ルレアとビネロ婆さんしかいなくなる。

 ただそうなろうと、連棟住宅は部屋ごとに鍵があるし、夜警だって巡回している。無闇にそれを不安がるのは、極端な心配性だ。


(……だがそれが、誰かの意図によって仕組まれた状態だったら?)

 たとえば、聖兵の命令系統における『上』、ノルヴェイド衛兵隊上層の誰かに。



 アーウィン聖兵長が詰所に現れ、その日の夜警計画について説明している間も、不安は消えてくれなかった。

 普段の俺であれば切り捨てられた不安だ。何の根拠もない、偶然の一致から始まった誇大妄想であると。

(だが、もしこれが正しければ危ないのはルレアだ……)


 この妄想が間違いか、正解か……どちらでも良いので、何かもっと確たる手掛かりが欲しかった。

 しかし、考えども考えども思い浮かばない。不安ばかりがいたずらに膨れ上がる――



「アスカル」

「は……はい!」

 おもむろに名を呼ばれ、勢いよく返事をしてしまった。教練時代に染み付いた反射だ。周囲のぎょっとした視線を受け、居住まいを正す。

「心ここにあらずという様だな。どうかしたか」

 アーウィン殿だけが普段どおり、冷たい石のような顔で俺を見ている。


(駄目だ)

 腰から提げた剣杖トランシオンを強く握る。

(俺は正しいことをしなければならない……正しくあらなければならない)

 そんな俺が、根拠に欠ける不安に駆られて仕事を放棄するなど、有り得ない。


『何でもありません』という返事が喉元まで出かかり、ぎりぎりで留まる。

(……嘘だ。それは、嘘だ)

 俺に課せられた『門焚』の制約が、その発言を看過するとは思えなかった。この場で口にするべきは、嘘にはならない誤魔化しだ。

(『問題ありません』……も、嘘になるんじゃないか。『任務に支障はありません』……これは含みがありすぎて却って追求されそうな……)


「来い、アスカル」

 口ごもっている俺へ、アーウィン殿が与えた言葉はそれだった。

「……は」

「他の者は支度にかかり順次夜警に入れ」



 詰所の一室にアーウィン殿は入り、俺も続いた。小さな休憩室で、他に人はいない。

 アーウィン殿は気だるそうに壁へともたれかかる。そうすると、俺はおのず彼の顔を見下ろすような格好になって、何だか居づらい気持ちになった。


「俺はお前を信用していない」

 開口一番の言葉はそれだった。アーウィン殿は仏頂面のまま話を続ける。

「お前には秘密がある。しかもそれは個人的な秘密ではない……バートリア司教と何か共謀しているな」

「……!」

 息を呑む。それは紛れもない事実だ。

 バートリア司教。エルフ種亜人の、ノルヴェイド教会責任者。彼とは、俺が審明官候補として『真実の門焚』を宿しているという秘密の共有者である。

(気付かれていたのか。いつからだ……!?)


「だがそれをことさら追求しようとは思わん」

 アーウィン殿は言葉を続ける。石のように冷たいが、しかし刺々しさはない。

ΦΦΦΦΦΦΦ……と言うと嘘になるが、別に構わん。お前は良く働く。成果も出す。そういうところは信頼している」

「……ありがとうございます」


「しかし今日のお前は信頼できん」

 その眼光に射すくめられ、う、と情けない声が俺の喉から漏れた。

「あの有様はなんだ。任命されたばかりのヴォールトにも劣る落ち着きなさだ」

「それは……申し訳ありません」


「もっとも望むものを思い浮かべろ」

 有無を言わせぬ語気。疑問を差し挟むより前に、ルレアの顔が思い浮かんだ。花のように笑う少女。

「そのために必要なことはなんだ」

「それ、は……」

「言え。聖兵長の権限の及ぶ範囲で、今日限り叶えてやる」

「……」

「いつまでその腑抜けたツラを俺に見せつけるつもりだ?」



 俺は長く溜息を吐いた。

 観念の溜息だ。望むものを思い浮かべろと言われた時に、答えは出ていた。

 その時に思い浮かべたものが、審明官の栄誉を得た俺の姿でなく、ルレアの笑みだった時点で……俺がどうするべきかは。

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