真実の門焚 / ディ・セクタム区17章13節連棟住宅死体遺棄 - 4
死体の発見された6号室の隣、5号室に、ベルメジ・ファンシュは住んでいる。
『魔法で占ってあげましょうか?
ノアーティを指しこんな嘘を吐いた、小柄な女魔法使いだ。
この発言にどんな嘘が含まれているかは、様々に解釈できる。『絶対に悪いかは分からないが、話を早く終わらせるためこう発言した』のかもしれないし、『そもそも犯人を当てるほどの占いの技術がなく、だから犯人であるノアーティが悪いという結果が出るとは限らない』という可能性もある。『占う』だけであれば、技能がなくとも可能であり、よって前段の発言は嘘にならないという具合だ。
事実として、人間はそういった程度の嘘は気軽に吐く。
真実の門焚を授かった当初は、世に満ちる嘘に驚いたものだ。
しかもその多くは、大した悪意を持たない。面倒事を避けようとか、少し話を大げさにしようとか、そういった程度のことで嘘は生まれる。
だが、6号室の火かき棒に付着していた胞子が、5号室の魔法使い、ベルメジが6号室に出入りしていた――死体を持ち込んだ犯人であるという証拠なれば。
ベルメジの『嘘』がそういった気軽なものではなく、明確な悪意によるものであろうということは、俺の中でほとんど確定していた。
自らの罪を隠し、他人に罪を擦り付けようという、看過し難い悪意によるものであると。
『お前は、正しいことをするんだ……アスカル』
もちろんだ。
俺は正しいことをする。
* *
「ベルメジさんー」
ルレアが5号室の扉を叩き、入居者の名を呼んでいるのが聞こえる。
「いいですか? ちょっとお伺いしたいことがあるんです」
ベルメジが出てきた様子はない。俺は準備をしながら、ルレアの言葉を思い出していた。
『ベルメジさん、魔法使いの中でも研究寄りの人で……キノコを媒介に使う魔法を特に研究してるんですよ』
彼女の話す所によれば、以前もベルメジは研究材料の胞子を『発芽』させたことでバーバラ管理人にきつく叱られ、平謝りしていたのだという。
『その時の胞子も、ああいう暗い色で、魔力の感じも似ていましたから……間違いないと思います』
『……見るだけで魔力の質が分かるんですね?』
『あっ、はい。その辺りは少し、敏感なんです』
その言葉に嘘は含まれていなかった。真実とすれば、彼女の魔法に対する適性はかなり高いものということだが、今は置いておこう。
俺とルレアの推理はこうだ。
死体を6号室へ運び込む際に、ベルメジはキノコの胞子を用いて何らかの――恐らくは人の認識をそらすような魔法を使っていた。
その後、室内を掃除して魔術に使っていた胞子をあらかた拭き取ったが、玄関脇に立てかけていた火かき棒だけは見逃してしまった――あるいは彼女自身もその魔術の効果を受けて、掃除の対象から見落としてしまったのかもしれない。
死体を運び込んだ手段は依然として不明だが、火かき棒に付着している胞子とそれに伴う魔力が、証拠としてかなり大きい。彼女を追求するには十分だろう。
(……『探偵騎士シャルロック』なら、真実までもう一ひねりありそうな所だが)
ルレアが正面の扉をノックする音を尻目に、5号室の勝手口が開いた。中からこそこそと、黒く存在感のある影が姿を表す。
逃げ出す気だろう。予想通りだ。
(この世は推理小説じゃあないらしい)
俺は身を潜めていた屋根の上から、忍び足のベルメジの眼前へ飛び降りる。
「ひ」
「話を聞かせてもらえますね」
彼女の肩を掴もうとする……が、その手応えが奇妙に滑った。黒いローブ越しに、確かにその中身を掴んだのに、ずるりとした感触と共に、肝心のベルメジは俺の横をすり抜けていった。
(これは)
ローブの内側からぬめったキノコがこぼれ落ちる。逃げて行くベルメジは薄着で、俺の掴んでいなかった方の腕に、同じようなキノコが生えていた。
(体にキノコを生やす魔法で、捕縛を免れた? 研究家らしい妙な魔法を……!)
「きっ、《菌糸よ》」
駆けながらベルメジが魔法の詠唱に入った。
「《菌糸よ》《埋め尽くせ》《陽射す――うあっ」
その声が止まったのは、俺が投げた短剣が彼女の肩口を掠めたからだ。痛みをこらえ、再び詠唱に入ろうとして、口をぱくつかせるベルメジ。
「――」
「声が出ないでしょう?」
その表情が困惑、そして動揺に移ろっていく所へ、俺は改めて手を伸ばす。今度こそその肩をしっかりと捕らえ、細い身を壁へ押し付ける。両腕を背中側へ強く引き、後ろ手を組ませ押さえ込む。
その最中も、やはり悲鳴のようなものは一切上がらない。
地面に落ちた短剣を横目で見る。鋭くまっすぐな刃を持つそれは、俺の私物だ。
銘を
魔法を発動させる時は、その前に詠唱しなくてはならない(火に例えるなら、詠唱は空気のようなものだ)。この大原則がある以上、この短剣は魔法使いに対して無類の効果を発揮する。
『……もしベルメジさんが表から出てきてくれたら、説得させてください』
『友達……と言えるかは分からないですけど、知ってる人ですから』
『穏やかに済ませたいんです』
ルレアの言葉を思い出し、俺は強めに警告する。
「どうか諦めてください。抵抗するようなら、また痛い目に遭わせなきゃいけない」
そう言うと、ベルメジは観念した表情になった。手にしていた粉袋も落とし、抵抗の意志がないことを示す。
それを見て、俺はと言えば少しだけ――
(――残念だな)
落胆する。
* *
捕まってしまえばベルメジも素直なもので、ルレアが巡回官が連れて来るまでに、おおよその経緯を聞き出すことができた。
「……余分な魔力の混ざっていない、人間の朽ちた死体を、実験に使いたかったんです」
動機を一言でまとめると、これに収束した。
「け、研究で必要だったんです。なのに冒険者の死体は大体魔法で防腐されるか、埋葬前に炙られるかで……死後に死体を提供してくれなんて言っても、だ、誰も協力してくれませんし……!」
「あたしも死んだ後にキノコの苗床になるのはイヤだなぁ」
ベルメジをがっちり押さえるソールガラのコメントに、俺は一言一句違わず同じ意見だった。
「研究のために、死後の死体を魔術師ギルドや医療系の研究組織へ自主的に提供する制度はあったと思いますが……」
「そ……そんなの私が美魔女になるまで順番来ませんよ! ただでさえ数が少ないのに、どうせ大きな派閥の所に優先的に回されちゃうんですから……! そっ、そのくせギルドは、成果を出さないと研究資金も出してくれませんし!」
(美魔女?)
ともあれ、そんな無派閥個人の苦悩により進退窮まった末、ベルメジは死体の盗難という手に出たのだという。
「連棟住宅の管理をするのが
「あたしが管理を代わるなんて言ったから……お前にそんなことをさせちまったのか?」
ソールガラが残念そうに言うものだから、俺はベルメジをたしなめる。
「自分の悪行の理由を他人に押し付けるのは止めなさい」
「うえっ……いえでも、そういう側面は間違いなくあるんですけど……」
俺がさらにベルメジを睨むと、彼女は慌てて話を進めた。
「ともかくっ、ほんの数日6号室を無断に借りて、死体を自然に朽ちさせれば、私のやりたい実験ができたんです!」
そんなことをすれば相応に匂いや痕跡が残りそうなものだが、その対策も自分の魔法で可能だったと彼女は主張した。
「死体を運ぶ時も魔法欺瞞をしましたし……とにかく誰にも迷惑をかけるつもりはありませんでした!」
「だからって死体を盗んで良いという訳でもありません」
「引き取り手のない死体を誠心誠意選んだんですよ?」
「そんな所で誠心誠意されましても……」
まだベルメジが何か言い返そうとしたので、区切りをつけるつもりで一つ咳払いをする。
「何をどう主張しようと、ベルメジさん。あなたの罪は少なくとも二つあります。死体の盗難と、その遺棄。これについては、都市法務官の裁きを受けることになります」
「うう……それって、どうなるんでしょうか……」
「助言をしておくなら……連行される時も捜査を受ける時も、好意的に見られるようにすることですね」
「ふ、服をはだけておくとか……?」
「そういうのを、いいですか。そういうのを本当に絶対にやめて、正直に誠実に勤勉に協力的に振る舞ってください」
強めに念を押され縮こまるベルメジを横目に、俺はこの件の被害者たちの方を伺う。
「本当に悪かったよ」
晴れて容疑者候補の悪名から脱したノアーティへ、バーバラ婆さんはしっかり謝っていた。
「あたしの都合で無罪のあんたを法務官の前に突き出すとこだった」
「そんな気にしないでくださいよ。商売のために面倒を避けたい気持ちは痛いほど分かるんで……」
「行商だったね。扱ってるのは何だい? どこに滞在してる? 見に行くよ」
「はは……
ノアーティの言葉に嘘の熱を感じ取る。それはきっと、穏やかな拒絶だろう。気持ちが嬉しい、という所が嘘でないことに、俺は勝手に少し救われた気分だった。
(……嘘と言えば)
ふと、彼が6号室を訪ねた理由に関する発言を思い出す。
「
真実の門焚が嘘言を知らせるのは、一息で喋り切る単位であり、そのどこが嘘かは分からない。この発言の中で嘘だったのはどこだったのか。
(あるいは、全てか。……確認すべきか?)
「一応あたしもさあ」
「うおっ」
ソールガラがそこまで小さくなってもいない小声で耳元で喋りかけてきたものだから、考え込んでいた内容は飛散してしまった。
「あいつを本当に巡回官に突き出すつもりはなかったんだよ」
「すみません、声が大きいです」
「悪り。とにかく、一旦あの場をやり過ごして、婆さんに冷静になってもらった方が良いと思ってたんだ」
後から何を都合の良いことを……と、以前の俺なら思っていたかもしれない。
だが、今はそう思わない。真実の門焚が反応を示さない以上、これは紛れもなくソールガラの本心だ。
世界が些細な嘘に溢れていることを『門焚』で知った時は目眩のする気分だったが、一方でこんなあやふやでささやかな善意を信じられるのは、なかなか悪いことではない。
「でもあんたがいて良かった! まっすぐ解決してくれたわけだしな!」
彼女は大きな口をいっぱいに笑わせ、俺の肩を叩く。
「あんがとな! えーと、アスカルさん!」
「いえ、俺も……助かりました」
「待ってください……つまり私もこの後で実は助けてくれるんですか?」
「あんたはちゃんと反省して帰ってきな!」
やがてルレアが巡回官を連れてくるのが見えた。俺が迎えると、彼女は小走りで駆け寄ってきて、まったく俺の耳に届かない背伸びをし、耳打ちする。
「色々解決したら、話、してくれますか。ベルメジさんがどうなるかとか、探偵騎士シャルロックの話とか……」
「……その二つが並ぶんですか」
「だって! シャルロックシリーズ語れる人、なかなかいないから……」
少し拗ねたような彼女の表情に、せっかく巡回官を迎えるべく引き締めた頬が緩んでしまうのを自覚した。少し屈み、小声で返す。
「いきなり夜通しとはならないはずです。明日の朝にでも話しましょう」
「あっ……はい!」
俺は改めて表情をキリと固め、巡回官を出迎える。俺と同じく教団所属の聖兵で、俺のことも知っていたようだ。
「まさか引っ越し当日に事件に巻き込まれるなんて、運がないですね」
「いえ。どうにか解決できましたし、それに……」
俺の脳裏に浮かぶのは、くるくると変わる表情。明るい声。茶と白の混じった繊細な髪。明るい緑の大きな瞳。
「……まあ、悪いことばかりではありませんでしたよ」
俺は表情が緩むのを止められているか、何度か確かめなければいけなかった。
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