真実の門焚 / ディ・セクタム区17章13節連棟住宅死体遺棄 - 5

 俺はその後、教会でいきなりハードな夜警巡回の仕事を任せられたものだから、しばらく彼女と話す場は設けられないと思っていた。

 だから、ほんの数日の内に時間を合わせられたことは、望外の喜びだった。



 昼下がりの頃だ。

 俺や彼女が住む連棟住宅から城壁方向に向かった、ディ・セクタム区の、表通りから二本ほど入った路地に、その店はあった。『イル・ポンテ』。繋ぐもの、という意味の沿南洋語だと説明するルレアの横顔は、何だかわくわくとしていた。


「すみません、お仕事の前に時間を作ってもらっちゃって……疲れてませんか? いきなり夜警だなんて」

「はは、まあ……ここにはよく来るんですか?」

「はい。一人でも来ますし、ソールガラさんともけっこう」


 明るさを押さえた木材とレンガ材の内装。窓は小さく、暖色の魔力灯が天井に点っている。小ぢんまりした店構えも相まって、家庭的な雰囲気だ。

「……ソールガラさんは大丈夫なんですか? 色々」

「ちゃんと大柄な亜人用の椅子や食器も出してくれるんです。小柄な亜人用のもあるみたいですよ」

「天井の高さは……」

「こう、常にちょっと膝を曲げてもらって……」

「……入った時から空気椅子みたいな感じで?」

「そう。ソールガラさん筋肉ありますから……いえ、もちろん冗談ですよ。出入りの時以外は大丈夫です!」

 彼女は店員に会釈して、窓際の二人席に向かった。ローブを脱ぎ、壁の木のフックにかけ、椅子を引く。



(素顔だ……)

 ベルメジの事件があった時も、その後で今日の約束を取り付けた時も、ルレアはローブを羽織り、フードまでかぶっていた。そんな彼女がさらりとそれを脱いだことに、胸が勝手にざわめいた。

 頭頂にある一対の三角形は、予想通り猫の耳であった。髪と同じく、茶と白の混じった繊細な毛が生えている。猫系獣人、とカテゴリーされるのだろうか。つい頭骨の形を考えてしまう。

 顔つきの印象は、フードを外した前後で大きくは変わらない。穏やかで、化粧っ気のないせいか、いたいけな容貌。前髪は目元を薄く覆うくらいの長さがあるが、それでも暗さを感じさせないのは、明るく大きな瞳のせいだろう。猫の眼は光を帯びると聞くが、そのせいだろうか。


 俺を動揺させたのは、その先だった。

(……ゆったりした格好、だと思っていたが)

 ローブの下、薄手のニットは彼女の体型をありのまま表し、結果、想像以上に豊かな女性的曲線を描いていた。

(太っている、とかではなく……)

 不自然でない程度に彼女の全身に目を走らせる(気取られぬよう相手を観察する聖兵の技術の一つである)。まだ子供のような顔つきや背丈に反し、そのスタイルは非常に恵まれており……



「どうかしましたか?」

「……!」

 声をかけられ、自分が硬直していることにようやく気付いた。目線はすぐさま別の方角へそらしたので、どこを見ていたかはバレなかったはずだ。


「……なにか気になることでもありました?」

 しかし、こう問われると返答に窮す。真実の門焚は、俺の口から嘘が出ることを許さない。さりとて本当のことを言えば、別方面で許されぬこととなるだろう。


「……見ていたんです。ルレアさん、あなたを」

「わたしを……」

 慎重に言葉を選ぶ俺を、緑色の瞳がじっと覗き込んでくる。

「あなたの……耳を」


「ああ」

 ルレアは納得したようで、自分の頭頂の耳に手を伸ばした。対する俺は、知れず自分の右腕に手を伸ばす。

「お見せするの、初めてでしたね。普段はカバーつけてた方が落ち着くので」

「なるほど」

 嘘を吐いたことによって『門焚』の力が失われる瞬間には、恐ろしいほどの高熱が生じるのだという。今の俺の右腕にそういった熱の気配はない。

 先程のような『嘘ではない誤魔化し』は、『門焚』的にもセーフなのだ。事前にそういった話は聞いていたが、それでも肝が冷える。

(秘跡は原理の全てを語りきらず、実験しないのが原則とはいえ……)



「獣人を知らないという訳ではないんですが、それでも今まで、あまり関わりがなかったので」

 言いながら俺が椅子に座ると、ルレアはくすくす笑う。どうもこの、控えめで優しげな、けれど少し子供っぽさの残る笑いが、彼女の癖のようだった。

「気になります? 顔の横の部分」

「……まあ、少しは。ああ、いや、見せてもらわなくても」

 彼女が気軽な様子で顔の横の髪を持ち上げようとしたので、俺は慌てて止めた。どうして慌てたのかは自分でも説明しづらいが、とにかく後ろめたさが勝ったのだ。


「別にいいのに……普通に髪が生えてるだけですもん。それと……」

 手を耳から胸元へ運ぶルレア。その手の小ささに比しても、やはり胸の存在感は大きい。

「わたし、実は獣人じゃないんです。半妖精、って言って分かりますか?」

「半妖精……!?」


 そうカテゴリーされる者がいるということは知っていたが、実際に目にしたのは彼女が初めてだった。

 そもそも妖精というものが一個体一種族と言えるほどあやふやな種で、その妖精と人間の混血など、歴史を見ても数えるほどしかいないはずだ。


「別に半妖精であることにこだわりがあるとか、間違えられて嫌とか、そういうのじゃ全然ないんです。だから、普段も別に、獣人だと思われても否定はしないんですけど」

 俺の反応にも慣れた様子で、ルレアは続ける。

「きっとわたしたち、短くない付き合いになるでしょう? だったら、早いうちに知っておいてもらおうと思って」

「……なるほど。ありがとうございます」

 驚きはあったものの、それ以上に彼女がその事実を明かしてくれた理由についてが、素直に嬉しかった。



 そしてそうなると、興味も湧く。

「ちなみに、猫の獣人とはどんな所が違うんですか?」

「色々細かく違いますよ。まず、ベロはすべすべです」

 言って、べー、と舌を突き出し見せてくる。

「お、おお……」

 生憎俺は猫の舌を見たことがなく、そもそも女性に至近距離で舌を突き出されるという経験が初めてで、納得より動揺が遙かに大きかった。

 滑らかな、血色の良いピンクの舌。柔らかく山折りされたその器官は唾液で湿り、照明を受け、てらついていた。

「ち……違うんですね」

? ……」

「なるほどぉ……」

 別に何一つ『なるほど』ではないので、この発言はある意味嘘だったのだが、真実の門焚はそんな俺を優しく見過ごしてくれた。


「あとは、ええと……目、ですかね」

 俺へ顔をさらに寄せると、ルレアは指で、前髪をそっと横へ除けた。

「瞳孔……目の中の黒い部分が、猫系の獣人の方は縦長で、結構動くんですよね。わたしのはそういうのがなくて、普通の人間と同じなんです。見えますか?」

「……ええ」

 凝視する。

 目を薄く覆うほどの長さだったそれがなくなると、その緑の瞳の美しさは、宝石のよう、という表現を用いたって過剰ではないように思えた。

(…………綺麗、だ)

 彼女の言った瞳孔の黒い円は、明るく鮮やかな虹彩に際立てられ、その一層澄んだ闇に吸い込まれてしまいそうな――


「あの……」

「……っ」

 ルレアに声をかけられ、少しのけぞるようにして距離を取った。思わず見入ってしまったが、行いそのものを客観視すれば、俺たちは完全に目を見つめ合っていたわけだ。

「すみません、ちょっと……気になって」

「い、いえ……大丈夫です、わたしも」


 舌を見せてきた時とは違い、今度はルレアも少し照れていた。ごまかすように咳払いをする俺に、ルレアも少し調子の外れた声で話をする。

「ベ、ベルメジさんにもこのこと話した時は、色々聞かれましたよ。さすが研究者さん、って感じで……」

「ベルメジさんも……」

「ソールガラさんほど仲良くはなれなかったですけど、でも、悪い関係じゃありませんでした」



「ベルメジさんは」

 俺はその話題を、遠回しな催促と受け取った。実際、流れで別の話題について話し込んでしまったが、ルレアにとっては大きな気がかりだろう。

「やはり罰を受けることにはなります。ただ、金品目当ての盗難ではないことと、被害を強く訴える人がいないことから、そこまで重くはならないはずです」

 窃盗という罪に対する刑罰は、その罪の重さから被害者、地域によって多岐にわたる。きわめて悪質なものであれば手首を切り落として放置するという形で、極刑に処される場合もある。

 今回の場合は、色々と条件が重なって、そこまで重い罰にはならないだろう……というのが、俺の見立てである。

 これで法学を修めた身だ。最終的にはこの街の法務官が判断するところになるが、そこまで大きな誤差は出ないだろうと見込んでいた。


「そもそも初犯ですし、尋問にも協力的だったようですし……罰金を払うか、都市内での懲罰労働を何週間かという所じゃないでしょうか」

「労働ですか……ベルメジさん、あんまり体力ないですよ」

「多少体を動かすこともあるとは思いますが、まあそう悪いことにはなりませんよ」

 冒険者が関わらない限り、ノルヴェイドの治安は安定している。そんな中で、ベルメジ程度の犯罪者に非効率な重罪を課すことはないだろう。

 悪質で凶暴な奴は、他にいくらでもいる。


「一応、面会も申請すれば可能ですよ。必要なら手を回します」

「……そうですね。もしかしたらお願いするかもしれません」

「いつでも遠慮なく。他に気になることはあります?」

「いえ」



 ルレアが首を横に振ると、俺は手を合わせ、軽く音を立てた。

「ならここから先、仕事の話はなし。それよりも楽しい話をしましょう」

 俺の言葉に、彼女の頬も緩む。

「実のところ、かなり楽しみにしてたんですよ。友達……がそもそも少ないのもあるんですが、それにしても趣味が共通してる相手っていなくて」

「同じですー。ソールガラさん、本とか読んでくれないし、ベルメジさんも小説は良く分からないって言って」

「そうなんですよね。なんか『小説って嘘だし、意味がない』みたいな……」

「本当にそう!」


 俺たちは同好の士だった。

 本、というものは決して珍しくない。一方で、実用性に欠けると見なされがちな、歴史的ルーツのない娯楽小説本――『探偵騎士シャルロック』のような――は、まだ少なかった。物語を知りたいなら劇や歌、あるいは魔法画などが普通で、こういったものは未だ数が少ない。

「文字が読める人がもっと増えれば、小説もずっと普及すると思うんですよね」

「全くです。まあ、俺も男子修道院で偶然手に取らなければ一生読むことはなかったと思いますけど……」


「で、どうでした」

 わくわくとするルレアに、約束を交わした時に彼女から借りた本を取り出す。

「面白かったですね……本伝3巻、『バスカヴィルの神罰犬』!」

「ですよね……! アスカルさんは、その、どこでしたか。どこでしたか?」

「やっぱり遺跡でシャルロックとワトソンが決闘する所ですよ……!」


 やがて運ばれてきた早めの夕食を楽しみながら、俺たちは存分に小説の談義を楽しんだ。

 やはり大いに盛り上がったのは『シャルロック』についてだった。俺たち二人は、同じ本を読みながら少しずつ捉え方が違っていて、それもまた楽しかった。

「『正しさ』が好きなんですよ」

 俺がそう語ると、ルレアは興味深そうに頷き、

「『優しさ』が好きなんです」

 ルレアがそう語ったから、俺は改めて今まで読んだ内容を振り返った。


 きっと時間が許せば、他のことも大いに話しただろう。あるいは、話していたかもしれない。

 だが、レストランを出る頃には、俺の頭の中は二つのことでいっぱいだった。

『探偵騎士シャルロック』、その面白さ、それを語らう楽しさ。

 そして、ルレアの声と笑顔、振る舞い、知性。

 そのすべてに伴う魅力。



   *   *



「お腹落ち着かせるのに、少し歩きませんか?」

 そう言い出したルレアに連れられ、夕方のノルヴェイドを歩く。

 人通りもわずかな、華やかさのない路地。わずかに登り坂の傾斜を描いた道のりが、やがて階段となり、先程まで隣に経っていた家並みの高さを追い抜いていく。

「……腹ごなしには、少し急では?」

「ふふ、すみません。でも疲れるほどじゃないでしょ?」

「もちろん」

 教団外ではあまり区別されないが、俺は一般的な聖兵よりもさらに厳しい訓練を積んだ上位聖兵である。もちろんこれくらいの運動で音を上げることはない。

「やっぱり。鍛えてる人の身体だと思いましたもん」

「分かるんですか?」

「分かりますよー」

 そう話すルレアも、足取りはずっと軽かった。体力はあるようだ。


 やがて階段を登りきると、そこはうら寂しい広場だった。辛うじて舗装されているが、家屋は古びていて戸も閉ざされており、人の気配はない。

(……城壁にもずいぶん近いし、かつては建築職人が暮らしていたのかもな)


「アスカルさん!」

 俺が思い耽っていると、名を呼ばれた。

「こっちです、見てください!」

 声の方を振り返る。



 夕空。

 日の沈む西側は明るい紫に染まり、夜を向かえた東側は既に深い群青色。

「ふふ……どうでしょう」

 二つの色が混じり合う空の下で、ルレアは家並みの灯りを率い、得意げに立っていた。


「……どう……」

 何か返事をしようとするが、言葉が思い浮かばない。

 この世に二つとない景観……では、きっとないだろう。いつか訓練で登った山からの風景の方が、ずっと雄大で神秘的で、胸の詰まるような気持ちになった。

 だが、だからといって……その事実が、目の前の風景を褪せさせる訳ではない。


「……綺麗ですね」

 結局口にしたのは凡庸過ぎるくらいの言葉で、けれどルレアは満足げに頷いた。

「でしょう。穴場なんですよ」


 手招きされるまま、腰ほどの高さの塀に身を預ける。そうすると視界を遮るものがなく、夜になっていくノルヴェイドがいっそうはっきり見え、また少し冷たさの残る春風が顔の横を通り過ぎていく。

 立ち並ぶ民家。中央に、今は公堂として使われている古城。もう少し先には聖堂の鐘楼。奥には城壁が立ち、あとは空が広がるばかり。

(この後は仕事か……)

 夜がやってくる。



「この街が世界で一番良い場所だ、なんて言うつもりはありません」

 ルレアの声が、意識に染み入る。

「わたしもよそから来た人ですから。ノルヴェイドは、人が多くて自然が少なくて、なんだかごちゃっとしてるし、城壁はみっしりしてるし……」

「……冒険者も多くて、繁華街の方は騒がしいです。トラブルばかりでくたびれます」

「あはは、夜警してたらそういう感想、出ますよね」

「というか、正直言っていきなり俺に夜警を任すという聖兵長の判断が有り得ないんですよ。そういうのは都市の土地勘を得てからで……」


 知れず、口から不平が溢れ出し、思わず口元を手で押さえる。だが、ルレアはそんな俺を見て穏やかに笑っていた。

「不満、言わないでいてくれてたんですよね」

「……ええ、まあ」

 その通りだ。幸運にも巡り会えた同好の士との時間に、わざわざ仕事の不服を持ち込むなんてことはしたくなかった。

「たった今、失敗に終わりはしましたが……それとも最初から気付いてました?」

「『仕事の話はなし。楽しい話を』という言い方は、仕事でストレスがある人の言い方だな~、とは」

「かなわないな……本当にシャルロックみたいだ」

「え~、そうかな。ふふ……ありがとうございます」


 くすくす笑いながら、彼女は街並みを眺める。

「私も、この街の何もかもが綺麗で美しいとは思いません」

 けれど、と続けるルレア。

「でも、ここからの景色は綺麗でしょ?」

「……ええ」

「そういう所もあるんだって知っていれば、お仕事が大変でも、少しは気持ちが軽くなったり……あはは、しませんかね?」


 空が夜色に染まっていく下、家に、街灯に、ぽつぽつと光が点いていく。

 それは人々が眠りに就く前の時間を、賑やかに迎えているようだ。


「ええ……励まされます」


 辛うじて返した俺の言葉に、よかった、と彼女は漏らす。

 俺はもう、景色なんて見てはいない。

 瞳の緑色の中で、夕暮れと街並みの光が揺れ踊る。


「綺麗でしょ?」

 ルレアは純粋な瞳で、夜を迎える街並みを見つめている。

「綺麗です」

 俺もまた、美しいものをずっと見つめていた。

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