epilogueA. そして紛れもない真実
そして紛れもない真実
アーウィン殿には迷惑をかけた。
ルレアの移送を中止するために、衛兵隊へ頭を下げさせた上、喋ることもできない俺が尽きかけの体力で残したメモに基づいて、その申し開きをしなければならなかったからだ。
とはいえその辺りをトラブルなくやり抜いたのは、ノルヴェイド出身の叩き上げ聖兵長だからこそだ。そういったしたたかさは、俺も見習わなければならない。
ルレアの罪科も、ひとまずは見直されることが決まった。
これは俺の主張のみならず、バーバラ管理人、そして『ミエルエシャ』の
『ルレアは以前からあの部屋に住んでいたが、いつも丁寧で、これといった問題を起こすことなく過ごしていた。理由なく人を傷付け、ましてや殺めることなどありえない』
『彼女は接客の中でもトラブルを起こすことはなく、不審を察知する力にも秀でている。もし事件に巻き込まれたなら、それはよほど大きな不幸が避けられない方角から来たのだろう』
ちなみに、両証言を迅速に確保してくれたのは、アーキとヴォールトだ。二人にも感謝をしなければならない。『ミエルエシャ』へ行ったヴォールトの帰りが一晩遅くなったのも……まあ今回限りは見逃してやろう。
(聖兵が、娼館で一晩過ごしたことを、見逃すだと)
そんな風に自分の心境が変わっていることに気付いた時には、苦い笑いがこみ上げたものだ。
(売春なんて、何もかも間違っているんじゃなかったのか?)
変わった、と言うよりは、変えられた、と言うべきだろうが。
そして、事件の経緯も明確になってきた。
彼女が買い集めていた魔都アルカディミアの本の一つに、邪教の伝承と儀式の研究書があったのだ。
その研究は、アルカディミアにおいても禁忌として扱われていた。だからその内容は迂遠な比喩と誤魔化しに溢れていて、ルレアもそれが不穏な内容であることに気付きつつも、邪教にまつわるものだとは気付いていなかったようだ。
その存在を知った邪教徒が冒険者を雇い入れてルレアの部屋に押し入った、というのが、事態の大まかな経緯だと見られている。
現在その本は、ルレアの協力により彼女の地下室からは回収され、教会が厳重に保管している。
ともあれ、ルレアを厳重に拘束する必要はないという合意は、衛兵隊との間で早早に形成することができた。
今後しばらく、彼女は教会で心の傷を癒すことになる。
正当防衛とはいえ――殺人を犯したことによる傷を。
* *
死体を見た。
俺を殺そうとした邪教徒と、彼が雇い入れていた三人の冒険者――ルレアが殺戮した四人の死体だ。
鋭利な刃のようなもので、首を一閃されたような死体だった。どの死体も揃って同一の箇所を、同一の深さで斬撃されている。
ルレアの力については、少しだけ聞いた。基本的な魔力の操作の他に、空気を固体に変質させ操ることができるのだという。風の属性を得意とする魔術師の技としては、スタンダードなものだ。
しかしどうも穏やかな活用は難しく、強い攻撃の意識を伴わないと発動することはできないらしい。そしてその際の威力と精度は、見ての通りというわけだ。
「これが常識的な殺しであるわけがない……ましてや、俺に対する攻撃と混同するなんてな」
独り言は、治りつつある喉のリハビリだ。
「教会の人間にも、衛兵にも、推理小説を読ませることを義務付けるべきだ。『探偵騎士シャルロック』を読んでいれば、すぐに違和感に気付いたはずだ」
時刻は夜。
俺はその部屋の扉をノックする。
「どうぞ」
ルレアの声に応じ、扉を開いた。
「あ……アスカルさん」
彼女は教会から支給された質素な服を着て、ベッドから上体を起こしていた。俺を迎えてくれる笑みは穏やかで、数日前のそれとはまったく違う。
「どうですか、調子は」
「この何日かですっかり健康になっちゃいました。寝るのも起こされるのも早いですし……起きるのが遅いと朝ごはんが減っちゃうんですよ」
そんな可愛らしい不平を言う元気すらある。俺は苦笑しつつ、ベッドの脇の椅子に座った。
「教会はどうしても朝早くから動き出さないといけませんからね」
「うぅ~……まあ、それも明日までなんですけど」
ルレアは明日、自室に戻る。
その後もしばらく教会に通って心身の療養に当たるが、ほどなく仕事にも復帰するという。
連棟住宅の掃除は管理人のバーバラと、あの常に泥酔しているビネロ婆さんがしっかりとやってくれて、今は血液のシミ一つ存在しない。
そしてその段階になって、ようやく俺の面会が許可された。
曰く、心に傷を負った時に間近にいた人物の顔を見ると、治りかけの傷が開いてしまうかもしれない、ということだった。
俺としてはあまり納得できなかったが、そういった領域の知識のある専門家には従う他ない。だからその間、俺は割り切って、喉の治療と身体の訓練に時間を当てていた。
今後のために。
「退屈じゃありませんでした?」
俺が訊くとルレアは首を振る。
「部屋の本、持ち込めましたから。教会に置いてある本も読んでて楽しかったですし、お掃除も手伝ったりしましたし……あっ、あと歌の練習にも混ぜてもらいました」
「歌……聖歌隊の?」
「はい。……子ども聖歌隊に混じって、ですけどね」
教会の主催する学校の課外活動の一つだ。
「どうでした?」
「うまいって褒められました! 特に音程が正確に取れてて……ただ、少しツヤがありすぎるって言われましたね」
「……
「あ、いやっ、エッチな意味ではなく……感情がオーバーだってことですからね!」
「なるほど……聖歌にはあまり求められない所ですからね」
「そうです、そうです」
「てっきり子ども聖歌隊にエッチな歌声を聞かせたのかと……」
「ちょっと! もう~……!」
話していると、ルレアは自然に色々な表情を見せてくれる。俺もずいぶん頬が緩んでいる自覚があった。
だが、そんな彼女の顔つきがふっと落ち着き、緑色の目線が俺の首元へ向けられる。
「傷……残っちゃいましたね」
「一応これから、自然に小さくなっていくらしいです。で、放って置けば消えていくものを魔法で急いで消す必要はないって……気になりますか?」
「……少し」
ルレアが手を伸ばしたので、俺から首の傷を彼女の手に近付けた。そっと、傷の縁を柔らかな指が触れる。
「痛かったりはしないんですか?」
「触るだけなら。押したりすると痛いです」
「じゃあ、押したりはしません」
「するつもりだったんですか」
「したかも。もう傷が治りきった、っていうことを確かめるために」
優しい指運びが、俺の傷の表面を撫でる。
……彼女は娼婦だ。
男の身体に触れるなんてきっと慣れきったことだし、その指先はもっと男性のことを様々に触れてきたのだろう。
そのことに想像が及ぶと、正直不快な気持ちになる。だがそれを差し引いても、彼女に触れられるのは純粋に心地よかった。
やがてルレアの手が離れる。俺も自然、身を離した。
「繋がってたでしょう?」
「ふふ……生きてて良かったです」
冗談を交わすと、彼女はもそもそとベッドの中に入っていく。
「そろそろ寝ないと」
ルレアがぼやく。
「明日、最後に朝ごはんの作り方を教えてもらうって約束したんです。でも、アスカルさんが来てるのに寝るの、もったいないな」
「しっかり休んでください。……眠れる魔法を使いますか?」
「え~。アスカルさんそんなこともできるんですか。悪い人」
くすくす笑うルレア。その長めの前髪に手を伸ばす。
「
「……じゃあ、効いちゃいますね」
目を閉ざすルレア。色素の薄いまつ毛が、そっと下を向く。俺はその額に触れた。
「《
長い詠唱だったので少し不安だったが、問題なく唱えることができた。
ルレアは目を閉じたまま、穏やかに微笑む。
「呼び捨てで呼んでくれた」
「……魔法の詠唱ですよ。対象を強く指定するための文節です」
「知ってます。でも……でも、呼び捨てで呼んでくれました」
ふにゃりとした口調で、同じことを繰り返す。素直に俺の魔法を受け入れ、緩やかに眠りつつあるのだろう。
溶ろけるような寝顔が、どうしようもなく愛おしい。
だから俺は、ほとんど自然に、その計画を実行に移した。
「……眠るまでの間、聞いてくれますか」
「はい……」
俺は右腕の袖を捲り、常に巻いている布帯を解いた。
そこには、魔力持つ刺青が刻まれている。もちろん、ルレアの閉じた目には入らないだろう。
「『真実の
返事はない。俺は言葉を続ける。
「俺は、それを所持しています」
第一に、『門焚』の存在を人に知られてはいけない。
第二に――俺自身が嘘を口にすれば、『門焚』は永遠にその力を失う。
この制約は奇妙だ。
なぜなら、第二の制約には『力の喪失』という罰則が明文化されているのに、第一の制約にはそれがない。
そもそもからして、この二つの制約が並び立つのがおかしい。
いずれ審明官として認められ、審明官としての働きを始めれば、その者が『門焚』を持つことは周囲から見ても自明のこととなるからだ。
審明官として振る舞う以上避けられない事態に、何らかの具体的な罰則が伴うだろうか。
第一の制約は、あくまでその力を誇示しいたずらに振るうことを戒めるためのものに過ぎないのではないか?
秘跡は原理の全てを語りきらず、実験しないという原則がある。
信仰の見返りとして与えられた力を疑い、試すのは不信仰であるという論立てだ。
だから俺も、これまで敢えてそれを試すようなことはしなかった。
しかし、今はその制約に触れた。
この先に進むのに必要だからだ。
結果として罰を受け、力を失うようなことがあれば、それまでのこと。
「あなたのことが好きです」
返事はない。俺は言葉を続ける。
「あなたの全てを、無条件に受け入れるとは言わない。ただ、それでも……あなたのことが好きです」
その一言一句に、迷いも掠れもない。俺は言葉を続ける。
「……あなたは困難な道を歩きながら、途方もない優しさがあるのに、いつだって真実を口にする。たとえ結果、周りと衝突しても……誠実であろうとする。そしてそんなあなたが、ただ一度俺へ嘘を吐いたことを、こいつが教えてくれました」
あの檻馬車の中。
『……
ちっとも大丈夫なんかじゃないのに、俺のために嘘を吐いたこと。
それが決め手になってしまったから、『門焚』のことを語らずにこの告白をするわけにはいかなかった。俺は言葉を続ける。
「ずっと前から、好きでした。でもそれを言わないと我慢ならなくなったのは、結局それが切っ掛けだ」
俺は言葉を続ける。
「……あなたのことが好きです」
返事はない。
夜の静寂の中、穏やかな寝息が立っている。
俺は椅子を立ち、部屋を後にした。
* *
「来たな」
聖兵の詰所に足を踏み入れた俺を、アーウィン殿が迎えた。既に来ていた、他の聖兵の列に加わる。
その中に、馴染みの面々は少ない。アーキやヴォールト、リーアルは不在だ。彼らは聖兵の中でも若年で、光る素質はあっても、今回求められる能力には不足があったからだ。
戦う力。
人を傷付け殺める力。
「それではこれより、邪教徒連中の制圧作戦について説明を始める」
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