嘘 / ディ・セクタム区17章13節連棟住宅殺人事件 - 4
陽光の差す場所にいることは、目を開く前から分かっていた。
まぶたを持ち上げ、その眩しさをこらえながら、周囲を見る。身体は恐ろしく気だるく、まともに動かなかったから、首だけをなんとか巡らせた。
「おっ、起きましたね」
それは我が班の神聖術師、リーアルの声だった。俺を覗き込む彼女の顔が、視界に入ってくる。
「おはようござ……あ、返事は結構です。声、出ないでしょ」
その通りだった。言葉を発しようとすると、喉に激痛が走る。首の内側で何かが裂けそうな、嫌な感覚があった。
(……首を刺されたんだ。当然だな)
泥のように重い腕をなんとか持ち上げ、刺された首の左側に触れる。包帯が巻かれていたが、指でなぞると刺し傷の辺りが奇妙にへこんでいた。
「あんまり触らないでくださいよ。魔法でも完全に治せなかったんですから……自然に治るのを待ってください」
魔法にも限界がある。わかりやすいのは脳で、仕組みが複雑すぎる部位を魔法だけで正しく完全に治すのは困難だ。喉もそうなのだろう。
教会の一室であることは分かった。小さな部屋だ。
ベッドと最低限の家具だけが置かれており、他に余計なものはほとんどない。教団の説話書がいくつか置いてあるくらいだ。来客用の寝室だな、と当たりをつけた。
「傷を治したのはバートリア司教です。すごく精密な治療で……なので後遺症はほとんど残らないはずですし、何日もしない内に起き上がれるようになるらしいです。喉はしばらく痛むと思いますけど……」
私も勉強になりました、とリーアルは付け足す。
「普通首を刺されたら、他の人たちみたいに即死ですよ。アスカルさんは事前に
その言葉に、ぞっとするものを感じた。
(……『他の人たちみたいに』?)
リーアルも俺の表情から何か察したのか、溜息を一つ吐く。
「アスカルさん以外に『負傷者』はいません。私たちが到着した時、犯人以外はみんな殺されてました」
「なっ……ゲホッ! ガホッ!」
反射的に声が上がり、そのまま咳き込む。赤い鮮やかな血が散った。
「……この話、やめます?」
気遣わしげなリーアルだったが、俺は首を横に振った。
「私は見ていないけど、ひどい現場だったって聞いてますよ。みんな揃って首を斬られてて、血だらけで……」
想像してしまう。短いながら日々を過ごし、ルレアやソールガラと言葉を交わしたあの連棟住宅が血に汚し尽くされた様を。そしてそこに転がる、首を裂かれた――
(駄目だ……駄目だ。妙な、ことを考えるな)
心臓が恐怖で高鳴り、嫌な汗が滲み出てきた。目を閉じ、空想が勝手に描いた幻像を脳から追い出す。努めてその発想から逃げ出そうとする。
(……誰が、死んだとは聞いていない。あの後何かがあって……ルレアは運良く逃げ出せて、他の誰かが殺されたのかもしれない……)
「あの、本当に後にするでも良いんですよ」
リーアルはもう一度俺に確かめた。
「事件自体は、まあ終わってるんです。犯人は捕まってます」
薄く目を開き、リーアルを見る。頷き、続きを促す。
「まあ、犯人は完全に黙秘していて……事件は終わったんですけど、何も分かっていない状態、って言うのが正しいですかね」
「…………」
「ですので、今後は衛兵隊の方に身柄を渡して、本格的に尋問して色々ハッキリさせてくはずです。ちょうどそろそろ移送するタイミングだったかな。魔法でできる限りの拘束をしてましたし……」
冷や汗が引く。
頭は冴えていた――極限まで緊張が高まり、一周回って落ち着いた、みたいな話ではない。……ではない、はずである。
リーアルの話を聞いて、一つ確かめなければいけないことができた。
だが、そのすべがない。
(一番簡単なのは筆談だが……)
生憎この部屋には紙もペンもなかった。となれば、問う他あるまい。
「なので、アスカルさんには早く治ってもらいたいんです。色々証言して貰わないと。今バートリア司教をお連れしますから……え?」
俺は、立ち去ろうとするリーアルの袖を掴んだ。目に力を込めて、彼女を見る。
「……何、ですか? ふ、不安だから一緒にいて欲しいみたいな……じゃ、ないですよね」
「……ァ……」
かすかに声を出し、具合を確かめる。小声で、何音か程度であれば、即座に喋れなくなることはなさそうだ。指で招くと、リーアルは素直に耳を寄せてくれた。
最低限の発言で、俺の知りたい事実を引き出す。そのための質問を少しだけ考え、口にする。
「犯」
「人」
「は」
「女」
「か」
「え」
彼女はきょとんとした表情をする。
「そうですよ。これくらいの背丈の女の子で……」
そう言いながらリーアルが手で示した高さは、ルレアの背丈を思わせた。
(なるほど)
それで十分だった。
「……え! アスカルさん!?」
ベッドの脇に置いてあった杖剣を手に、俺は立ち上がる。
* *
『他の人たちみたいに』
『みんな揃って首を斬られてて』
複数の被害者の存在を示す表現を使っていたこと。
『犯人以外はみんな殺されてました』
『犯人は捕まってます』
『犯人は完全に黙秘していて』
対照的に、複数犯なら『犯人たち』と複数表現になって然るべき所が、どこも『犯人』と単数表現だったこと。
リーアルの説明の中でも以上の二点から、単独犯による複数殺人が発生したと想像はできた。
そして冷静に考えると、あの状況から『単独犯による複数殺人』が発生する状態は、ほとんど限られている。
もっとも有り得そうな話は、俺を殺そうとした奴が、内部分裂の末に他の奴らも皆殺しにしたという流れ。
だがそれは、シンプルに難しいはずだ。俺を抑え込んだネルオンという男、エリークという術師、そしてルレアを押さえていた痩せぎすの男。
俺を拘束する時にあれだけの手際を見せた三人組が、魔法の威力不足を誤魔化すために大量の水を用意しておく程度の腕の男に、皆殺しにされるほど後れを取るだろうか?
『普通首を刺されたら他の人たちみたいに即死ですよ』
しかも即死させられたということだから、なおさら考えづらい。
(ならばルレアが……というのも突拍子がない話だ、が……)
可能性については一考の余地がある。少なくとも、俺と戦って負けた奴と違い、ルレアの強さは分からない。
半妖精として、親から受け継いだ妖精知覚。詠唱もなしに魔術と近似の現象を引き起こす能力。
純粋な妖精である所のノモルは、路地裏一帯を迷宮にして操り、リネア・リロバム区を把握することができた。その力の何割かがあれば、襲ってきた連中を不意打ちで皆殺しにすることは可能ではないか。
そしてルレアがそういうことができるかどうかだが……
(できてもおかしくない)
そう結論付けたのは、かつて彼女から仕事に娼婦を選んだ理由を聞いた時に感じた違和感が理由だ。
『選択肢は、娼婦でなければ冒険者』
『でも、誰かを傷つけることは苦手なので、娼婦にしました』
冒険者という危険な職業を避けた理由に挙がるのが、怪我をするのが嫌とか、危ない思いをしたくないとかではない。
『誰かを傷つけることは苦手』という理由は、傷つける技術が、ひいては自分が傷つける側である自覚がなければ出てこない言葉だろう。
だから俺は、リーアルに確かめた。
犯人は女か、と。あの場にいたのは、ルレアを除けば俺を含む全員が男なのだから、この訊き方が手っ取り早い(この際ビネロ婆さんを計算に入れる必要はないだろう)。
その回答は、俺の発想を一段補強した。
探偵騎士シャルロック曰く、『有り得ないことを全て排除した後に残ったものが、どんなに考えられないことであっても、それは真実に他ならない』――
(……いや、そんな理知的な発想じゃないな)
自分で想起しておいて、その引用の身勝手ぶりに苦笑する。
(希望的観測だ。ルレアが被害者として殺されているよりも、殺人者としてでも生き残っていてほしい。それだけだ……)
リーアルは止めようとしたが、何を言われても俺が止まらないのを認めると、諦めてどこかに行ってしまった。
剣杖を支えとして、四肢を引きずりながら、俺は歩く。全身が恐ろしく重いのは、まさしく生死の境を彷徨ったせいだろう。体力を全て致命傷の修復に注ぎ、その間一口の食料だって口にできていないのだから。
恐ろしく不格好な歩き方をしている自覚がある。それでも今はそうするしかない。
衛兵隊に身柄が渡れば、こちらからの主張を通すのに時間がかかる。
その間も彼女は尋問を受ける。相手が身柄の不確かな冒険者崩れとはいえ、複数の人間を殺したとなれば、尋問は容赦のないものとなるはずだ。
そして何より、彼女が今何も喋らず黙秘しているのは、真実を話したくないのではなく、心に深い傷を負っているからだと俺は推測している。そんな状態の彼女が尋問を受け、さらなる傷を負うことを止めなければならなかった。
教会を裏口から抜ける。
罪人を移送するなら、表通りは使わない。こういう時のために、狭く人けはないが馬車で通行のできる裏通りがある。
重い足を動かしながら、移送経路を推測し、先回りできる道のりを必死で割り出す。ひどく喉が渇いていて、呼吸するたび割れそうになるほど痛んだ。
やがて、馬車の通れる広めの道が見えてきた。耳をそばだてるまでもなく、馬蹄の音と車輪が石畳を叩く音が聞こえてくる。
今の俺が喉を壊して声を上げたって止められるものではない。どうするかは決めていた。
「うおお!?」
気の毒な御者が手綱を引き、移送用の馬車を止める。甲高いいななきと共に馬は前足を振り上げ、道へと飛び出した俺はその勢いに煽られ倒れた。
「馬鹿野郎! 何考えて……!」
「……アスカル?」
吹き飛ばされた剣杖を這って拾いに行き、立ち上がる。俺の名を呼んだのはアーウィン殿だった。責任者兼警備として随伴していたのだろう。
(だったら説明はいらないでしょう)
また重い身体を引きずりながら、馬車の後方を目指す。前方に設けられた警備席から、アーウィン殿が身を乗り出して俺を見つつ、手で御者を制止してくれていた。
扉には重い
倒れそうになった所、ぎりぎりでドアハンドルを掴み、開け放った。
わずかな光しか差さない暗闇の中。
白い部屋着を纏った人影が、ぺたりと座っていた。
茶と白の混ざった髪。頭頂に立つ三角の耳。
俺を見る、俯きがちな緑の眼。
探し求めていた人がいた。
じれったい段差を全身で這い登り、壁を頼りになんとか立つ。僅かな体力しか残っていなかったが、格好悪い所を少しでも見せないようにしたかった。
一歩、二歩と近づいていく。距離が縮まるにつれ、その弱々しい様子が見て取れてくる。
顔色は悪いし、目の下には隈が出来ている。顔全体から明るさ、眩しさのようなものが失われているように感じた。髪や耳周りの毛もどこかぼさっとしていて、以前彼女を間近で見た時にあった、あのさらさらとした繊細さはない。
(……ルレアさん)
その名前を呼びたかった。だが、ここまでの道行きで俺の呼吸も荒く、喉は今にも引き裂けそうだった。
きっといくつ言葉を重ねても足りないくらいの時なのに、ろくに喋ることもできない。
けれど。
だから、俺がするべきことは明白だった。
「……あ……」
彼女の眼前に跪いて、その体を抱きしめる。
小さな体だった。甘い香りは微かで、体温に活力はなく、曇天を思わす気配があった。
(俺はあなたに助けられた。俺は生きている)
(あなたが人を手にかけようと、俺はあなたを拒まない)
(……俺の気持ちは、変わらない)
抱きしめることで、俺の気持ちが言葉以上に伝わるとは思えない。
それでも良かった。今は彼女に、言葉には圧倒的に劣るものでも、気持ちを伝えなければならなかった。
「あっ……アスカル、さん……」
彼女が俺の名を呼び、震える手で恐る恐る、俺を抱きしめ返す。
弱々しい手付きだった。それでも俺の行いが一方的なものに終わらなかったことに、まず俺は安堵した。
「わ、わたし……わたしっ……」
声に嗚咽が混じり始め、ルレアは言葉を切る。代わりに抱きしめる力が強まって、俺の胸元にぎゅうと顔を押し付けた。
震えていた。恐れと嘆きによるわななき。ぐすぐすとしゃくり、涙で服が濡れていく。多分それを誤魔化すように、俺を抱きしめる彼女の腕に、一層の力が入った。
「……
不意に、熱。
「わたしは、何も……怪我もしてない、ですし。本だって無事、っですから……」
奇妙に明るい涙声で、ルレアは言葉を続ける。
「
(……ああ)
背中に回していた腕を持ち上げ、ルレアの頭を抱き寄せる。
(あなたはこういう時に嘘を吐くんだな)
いつだって素直で、自分を飾り立てることなく、俺と衝突した時すら偽りを口にしなかったこの人は。
(俺に心配をかけないためだけに、嘘を)
それからしばらく、俺も彼女も言葉なく、二人抱きしめ合っていた。
檻馬車の中に、空の光が差すことはない。その薄暗さが、今の俺と、そしてきっと彼女には必要な心地よさだった。
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