嘘 / ディ・セクタム区17章13節連棟住宅殺人事件 - 3
聖兵の詰所を辞し、夜の道を早足で進む。
腰にはアーウィン聖兵長の権限において貸与いただいた
夕方を通り過ぎた夜の空には、星がチラチラと瞬いている。月も隠れているものだから、その光はいっそう際立っているように見える。
(いや、星がうるさいのは月がないせいだけじゃない……)
街灯が消えていた。
ディ・セクタム区の街灯は魔力式だ。周辺住民が自発的に点灯する方式で、子どもたちが魔力制御の練習としてつけて回る所をしばしば見かける。
気紛れな子どもたちのことだから、一つ二つの灯りが抜けることはしばしばある。だが今日は、街灯がずらりとまとめて暗いままだった。
(いや……暗くさせられたんだ。街灯が、作為的に消されている)
ディ・セクタム区17章。連棟住宅手前の道に差し掛かろうとしたところ、大きな何かが道を塞いでいた。
(……横転した
馬車に比べて静音性に優れる一方で、安定した長距離移動には術師の練度と多量の魔力が欠かせないため、あまり流通していない品だ。
そしてそいつは、ディ・セクタム区17章13節――まさしくルレアのいる連棟住宅の前を塞ぐ形で倒れていた。
「……すみません!」
車の影から、ニコニコと笑顔を貼り付けた男が出てくる。
「こちら、今通ることができないんですよ~」
「何かあったんですか」
「魔動荷車が横転してるんです!
「《
詠唱と同時に剣杖を抜き放ち、男を斬る。
「ッ、《水よ》《貫け》!」
光の刃は、後方へ避けた男の服をわずかに斬るに留まった。そして彼の詠唱が結ばれると同時、荷車の中から多量の水が細く槍のように噴き出てくる。
(
身を低くし水の槍をかわしながら距離を詰め、更に一撃。手応えあり。暗闇に血が舞った。背後から、水が弾け石畳の砕ける音がする。
「くそっ、イカレてんのかお前……!?」
「正気なら道を開けるのか? そうはしないだろう……!」
火傷しそうな量の嘘言を差し引いても、大型車両が転倒したにも関わらず周囲が静か過ぎる。事故的に横転したわけではなく、故意に、音を立てぬよう丁寧に横転させたのだろう。
周囲の住民に気取られず、通行人……あるいは夜警が偶然現れた時、ここに近付けさせないために。
そんなことをする奴は、良くない企みをしているに決まっている――もし違ったならば、丁寧に治療して頭を下げれば良いだけだ。
今の俺は、ルレアのために動いている。
追撃に振り下ろした光剣をまた後方に回避されたので、そのまま突きへ移る。今度は大きく身をよじり、剣杖を持つ俺の右腕を捕えた。
「っの野郎、これで――」
男の表情が苦痛に歪み、しかし悲鳴は上がらない。
脇腹に深々刺さった魔女撃ちの釘を抜いて、男を突き飛ばしつつ袈裟懸けに斬る。これでしばらくは動けないだろう。
(本当はもう少し念入りにやるべきだが……先を急ぐべきだ)
荷車の隙間に身を潜らせ、連棟住宅へ踏み入る。
「離して……っ!」
その瞬間、外からは少しも聞こえなかったルレアの悲鳴が耳に飛び込んできた。同時に、廊下に二人の男を確認する。
(手前は人間。武器は剣、鎧は厚い。奥にいるのはエルフ種亜人。杖を持っている。恐らくはこの建物の音を外に出させない魔法を使っている……属性は風と雷!)
踏み込みながら、手前の男がこちらを振り返る所が見えた。剣に手をかけている。反応が遅い。一撃。
「うお、おっ!」
比較的装甲が薄いだろう肘の辺りを狙った。直撃はしなかったが、光の刃が削り取った鎧の隙間から血が噴き出す。男は後退しつつ剣を抜いた。
「お前っ何……」
「《透き湖面よ》《満たせ》《我が命》《強く》!」
「ッ」
「な!」
身を屈めた俺は、それを肩で受け止めた。痛みはあるが、傷の急速再生により行動に支障は出ない。歯を食いしばり、至近距離からこちらの剣杖をぶつける。
「ぐううッ!!」
光の刃が鎧を裂き、身体に迫らんとした直前、男は再び身を引いた。何かを誤魔化すような、追い詰められたような苦笑を浮かべている。
「おいっおいおい……聖兵ってこんな気合入ってるもんなのかよ」
もちろん俺は問答に応じない。男はちょうど、開け放たれたルレアの部屋の扉前まで下がり、剣を構え直した。
(こいつの時間をかけてはいられない)
踏み込みながら思考を深める。
(術師は俺の奇襲に反応できていないが、すぐ何か魔法を使ってくるだろう。そうなると勝ち目はない。とっととこいつを仕留めて魔女撃ちの釘を叩き込む。その後はルレアの部屋内にいるやつを始末!)
動くべき線は見えていた。男の剣と、俺の剣杖がぶつかり合う。膠着状態だが、こうなれば当然先に一撃を入れている俺の方が有利――
「アスカルさん!!」
ルレアの悲鳴が届いた。助けを求めてか? いや……
(……警告!)
相手の剣を強く打ち払いつつ、反動も使って身を引く。その瞬間、開いたルレアの部屋から小さな矢が飛んできて、一秒前に俺の身体があった場所を貫いた。
「惜しい」
(ルレアさんを抑え込みながら、
そこから男は再び俺へ踏み込み、剣を振り下ろしてくる。俺は剣杖で受け、しかしその瞬間に、男は剣を手放し、身を屈めていた。
「な」
「へっ」
力を込めて振り上げた剣杖が空を切り、隙を晒す。姿勢を沈めた男はそのまま俺の懐へ飛び込み、床に押さえつけた。少し遅れ、空を舞った剣が天井にぶつかり、床へ転がる。
(そんなことで……!)
倒されこそしたが、まだこの手に剣はある。打撲傷の痛みも強力再生の効果ですぐに消える。こいつを斬り裂いて終わりだ。そう思った瞬間、男が声を上げる。
「やれ、エリークッ!!」
「《風雷よ》《幾条迸り》《円球を象れ》《鋭く》!」
「しまっ」
後方、エリークと呼ばれたエルフの魔術師が、こちらに杖を向けて詠唱を完成させた。対応は間に合わない。杖の先からいくつもの電流が迸り、俺を押さえつける男もろとも焼き払う。
「あづづづづづ!」
「ぐああぁぁっ……!」
本来は敵の集団に使われる魔法だが、俺を抑え込ませた前衛を巻き込み、なおかつ範囲を狭め威力を上げる追加文節を付与することで、俺へ確実に直撃させる使い方をしたわけだ。
(まずい……)
俺を押さえ込む男の重みと、魔法の直撃による痛みと痺れで、頭も体も動かない。強力再生の魔法効果がある以上、いずれ回復するはずだが、さすがに魔法が直撃すると、すぐにとはならない。
「アスカルさんっ……アスカルさん!」
ルレアの呼びかけだけが脳に響く。どうにかしなければならない。どうにか。どうやって……
「《雷よ》《癒せ》《ネルオンの血を》。……無理をしますね」
「ま、それで勝てた訳だしな。ヘッ……」
俺の上で同じく痺れていた男――ネルオンがエリークの魔法を受け、じりじりと立ち上がる。もちろん、俺の身体を油断なく抑えつけている。剣杖はエリークが遠くへ弾き飛ばしてしまった。
俺の方の痺れの回復は間に合わない。腕を動かそうとしても痙攣するばかりだ。そうしている内に、両方の手首を後ろ手に抑え込まれ、開いたドアの前に立たされた。少し離れた所から、エリークの杖も俺を狙っている。
「アスカルさん……」
ルレアは痩せぎすの男に後ろから首へ腕を回され、さらにこめかみへ片手弩の先端を突き付けられていた。わずかに血が流れている。
彼女は泣きそうな顔で俺を見ていた。そこに俺を責めるような色はなく、ただ辛そうにしていた。
「てなわけで、まあ、こうして人質もできた訳だ。ルレアさん。……知ってる奴だろ? その様子だと」
俺を押さえ込むネルオンが、場違いに明るい声で言う。
「頼むよ。地下室を開けてくれ。そこにある本を持ち出させてくれれば……俺たちはそれでいいんだ」
(やはり狙いはそれか)
彼女が科学士会へ寄贈するべく収集している、魔術外技術の書物。その中でも危険な内容が記されているらしいもの。
もしも何か理由があってルレアが狙われるとしたら、その辺りだろうと当たりをつけていた。
(……そしてそれなら、隙ができる)
ルレアを押さえるのに一人、本を持ち出すのに一人。一人は身体能力に劣る術師。身体の痛みも痺れも取れてきた。剣杖は手元にないが、魔女撃ちの釘が懐にある。これ一本あれば、まだ戦える。
「……分かり、ました」
ルレアは眼に涙を溜めていた。
「だから、その人にひどいことをするのは――」
「待て」
連棟住宅の入り口から、掠れた声が聞こえた。
視線だけを向ける。ここに入ってくる時に斬った男が、ふらつきながら入ってきていた。
俺から受けた傷を押さえてこそいるが、歩けている。腿を斬るべきだったか。
「うおっ、すごい傷。どうしたんですか……」
「馬鹿。俺はどうでも良い。そいつだ、そいつ……」
彼は壁を頼りに、震える足で俺の方へと歩いてくる。
あの愛想の良い笑顔は完全に演技だったのだろう。苦痛と怒りがその顔と声を歪めていた。
「目を見ろ」
「目?」
「そうだ。目だ。良く見れば分かるだろ。戦う気のある目だ……そんな目をしてる奴を人質にするんじゃない」
男の手に、金属の光が閃いた。
「そういうのは『見せしめ』に使うんだ」
どん、と。
肩と首の境目あたりに、鈍い衝撃が走った。
「いっ!?」
俺を押さえこんでいた男、ネルオンが、低い悲鳴を漏らして、俺を抑え込んでいた手を離す。
俺はルレアの方へ歩み寄ろうとして、崩れ落ちた。
首が恐ろしく熱く、痛い。だというのに冷たい。濡れているのだ。それを拭おうとした手も、動かない。
体が、動かない。
(……ああ)
どこかへと流れ落ちていく思考の中で、やっと理解する。
(刺されたのか、首を)
「いやああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ――――っっっ!!!」
絶叫。
普段の穏やかなルレアの声からは想像もつかない悲鳴だ。
「な……何やってるんですか!? 殺す必要はなかったでしょう!?」
動揺するネルオンに対し、俺を刺した男が静かに言う。
「舐めたことを言うな。そいつの懐に短剣があったのに気づいていたか?」
「っ、いや……」
「俺が痛みに耐えてそいつを殺してなければ、お前が殺されていたかもしれん。感謝こそされど、非難される覚えはない」
図体のある男が二人、ぶっ倒れた俺の頭上で言い争っている。そんな奇妙な状態になんだか笑いがこみ上げてきたが、当然ながら俺は少しも笑うことはできなかった。
「だったらせめてまず口で……!」
「落伍した冒険者風情が、良識を語るのか? 舐めるなよ……」
「アスカルさんっ……アスカルさん! 嘘、いやっ、嘘……嘘ですよね? アスカルさん、アスカルさん!!」
ルレアが俺の名を呼んでいる。
返事をしなければいけない。聞いたことがないくらいに取り乱して、涙混じりの声だ。止めてあげなければ。
「おい! もう一人住民いただろ。連れてこい。そいつの代わりに人質にする」
「…………くそっ」
足音が遠のいていく。その振動すらひどくうるさく、感じた。
「っあ、開ける……開けるって……わたし開けるって言ったのに! なんで……!?」
「ハ。何を分かったようなことを」
取り乱すルレアを、俺を刺した男が嘲笑う。
「いいか売女。お前のそれはな、お友達が来て強気になっただけだ。とりあえず従っておけば、後から取り返すチャンスがある……そういう打算で従ったんだよ」
「アスカルさん……アスカルさん……んううう……っっ!」
「そういう奴をな、本当の意味で服従させるにはこうするしかないんだ。……分かるか? お前のせいだって言ってるんだぞ」
「っうう……うあああっ…………」
「キーキー鳴くな。そうすれば男がどいつも悦ぶとでも思ってるのか? 売春婦が……」
ルレアへの侮辱に、指が震える。
望み通り、懐にある魔女撃ちの釘をもう一度こいつに撃ち込んでやりたかった。
だが、そんな俺の意志に反して、体は震えるほどに冷え込んで、力が出ない。失血で全身が気だるく、全ての感覚が、意識が、暗闇の中に落ちていく。
「あああああっっ……!!」
俺が最後に聞いたのは、そんな張り裂けんばかりの嗚咽だった。
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