変わるもの、変わらないもの、変えるもの / 深淵教溟濛派潜伏部隊一斉制圧 - 3
溟濛派拠点への一斉攻撃が始まった。
とは言っても、即座に俺が忙しくなるわけではない。
作戦の中心は、セフィリナたちの
俺は別働隊先鋒として、彼女たちが追い立ててくる連中を、遺跡のもう一つの出入り口の方で迎撃するのみだ。
連中がやってくるのを待ちながら、俺は昨日の模擬戦のことを考えていた。
(……躊躇……)
初めてのことだった。模擬戦の最中に躊躇を覚えることも、
その躊躇の正体は、未だよく分かっていない。ただ原因は、何となく推測できている。
(……ルレア)
悪人が相手であっても、必要以上に害することを咎めた彼女。
他人を傷つけることを強く恐れる彼女。
俺が想いを寄せる相手。
好きな相手が嫌うことを、同様に嫌うようになるのは自然な変化だろう。
そして魔女撃ちの釘は、俺にとって加虐の象徴だ。もちろん魔術師への対策を考慮していなかった訳ではないが、それ以上に相手を痛めつけるのが便利だから大枚をはたいて購入した所がある。
(だから……だから躊躇を覚えたのか? どう考えても武器を抜くべきだったタイミングで、抜けなくなるほどの躊躇を?)
それは俺にとって致命的な変化のように思えた。
もし今後、模擬戦でないタイミングで同様の失敗をすれば、俺は――
気配。
即座に思考を切り替える。
(各員注意)
ハンドサインで注意を呼びかける。遺跡の奥から、にわかに騒がしい音が聞こえてきたからだ。
ここは遺跡の出入り口のすぐ前、半屋外の太い一本道だ。最前衛の俺の後ろに、何人もの聖兵と神聖術師が待ち構えている。
やがて、遺跡の奥に人影の一群が見えた。
先頭には、何か荷物を背負った男。
「……あれえ? アスカルさん!?」
俺はその男を知っていた。
「お前……」
行商人ノアーティ。俺が越してきた日の死体遺棄事件において、容疑者として疑われた青年だ。
彼は俺に駆け寄りながら、にこやかな笑みを浮かべている。
「そっか、聖兵なんでしたね!
「《
「
ノアーティは笑みを貼り付けたまま、蛇のようにのたうつ刀身の短剣を俺に振るいつけてきた。当然、俺は光の刃を付与させた
「聞く訳がないだろう」
何故なら、彼こそが――
「……ルレアさんの襲撃を首謀した奴の言葉なんてな!」
* *
ディ・セクタム区17章13節
あれは疑いようもなく、ベルメジの起こした事件だった。しかし一方で、ノアーティという男がなぜ犯人に間違われるような動きをしていたのかは、分からずじまいだった。
『
嘘の理由を用意してまであの空室を訪れた訳は何か。
(……下見だ。ルレアの部屋から邪教の研究書を盗み出すための)
その研究書がルレアの手に渡った所までは、オークションの記録か、古書店の記録かを当たることで、割り出すことができたのだろう。だが肝心なのはそこから先、ルレアの手から研究書をどうやって取り返すかだった。
(ルレアについて調べれば……あるいはそれとなく接触すれば、その研究書を真っ当な方法で取り戻すことが困難だとはすぐ分かるだろう。彼女は魔術外技術の発展のために人生を捧げている――なまなかな金で買い戻すのは不可能だ)
だから、盗難に入るための下見を行っていたのだ。そんな折にベルメジが遺棄した死体を見つけ、更にはその様子をバーバラ管理人に見咎められたのは、恐るべき不運だったと言って良い。
そして、対均衡調和会特別警備。
そもそもあの事件の発端は何だったか?
『当作戦自体、元よりノルヴェイド都市衛兵隊の依頼を受け、その連携を前提としたものだった』
『その衛兵隊より、事態の解決が告げられたのだ』
対均衡調和会がノルヴェイドへ接近し、混血を狙っているという騒ぎは、衛兵隊が始めたものだった。そして――
『衛兵隊の中に彼ら溟濛派の働きかけを受け、組織方針へと反映していた者を複数人、確認した』
その衛兵隊には、邪教研究書を得ようとした溟濛派の干渉が働いていた。
あの数日間、連棟住宅からルレアとソールガラがいなくなった。
それはおそらく、結果ではなく目的だ。均衡調和会への警戒のために、二人がいなくなったわけではない。二人を連棟住宅から遠ざけるために、均衡調和会への警戒という名目が必要だった。
(二人がいなくなり、俺が働いている時間を狙えば、あとはいつも泥酔しているビネロ婆さんしかいない――空き巣には持って来いのタイミングだろう)
だがここで誤算が生じる。ルレアの部屋に邪教の研究書は見当たらず、地下室には魔法の施錠がかけられ、開くことができなかった。
(……下見に入った空室では、地下室は魔法施錠されていない状態だった)
あるいはそれも、死体遺棄の事件がなければ気付けていたのかもしれないが……とにかく、このタイミングでの研究書入手には失敗したというわけだ。
……ノアーティに続き、溟濛派の信徒と思しき連中が、武器を構えて次々遺跡から姿を表す。奴らはノアーティと俺の脇を抜け、他の聖兵たちと衝突していた。
(この場から逃げ出すことを優先しているわけか)
どうにか後方への援護に当たりたかったが、ノアーティという男は明確に強かった。両手に短剣を持ち、距離を詰めれば二刀で応じ、離れれば短剣を投擲して俺を牽制しつつ、さらには
「《溟濛なる深淵よ》《奏でよ》《輪舞の――おっと!」
何らかの詠唱を匂わせてくる。こうなると下手な隙は見せられない。
魔女撃ちの釘さえ決められれば打開できるが、どうにか隙を突く必要がある。
(……試してみるか)
俺はふと思いつき、距離を詰めるのみならず、刃を重く押し付け膠着状態を作った。ノアーティは新たに抜いた短剣二本で応じてくる。その表情は笑顔だ。
「ふふっふふふ……困ってますか? 困ってますよね? 私にかまけてて良いんですか? あなたの仲間で、私以外の方々の相手は務まるかなあ……」
揺さぶりをかけてくるノアーティには応じず、こちらから問う。
「『マザリン』の件もお前が関わっていたのか?」
魔法宝石店『マザリン』盗難事件。
事件自体はシンプルだった。そう大きな疑問が挟まる余地はない。
ただ一点。ここまでの流れを汲むのであれば、無視できない要素がある。
「
憶晶巻は、開くだけで魔法を発動できる特殊な鉱石を用いた巻物である。法律で禁止された品であるそれは、金をどれだけ積み上げようとやすやす手に入るものではない。
店主プラタ・ギンが語り上げたそのラインナップの一つに、『解錠呪』というものがあった。
細かな話だが、ただ
「あのトパーズを盗んで……交換しようとしていたんじゃないか? 地下室の魔法の鍵を解除し得る、『解錠呪』の憶晶巻を……!」
「フフフフフ……あの頃は安価なコマを使ってどうにかできないか色々苦労していましたよ! 彼らは良い線を突いていたんですがね……!」
じりじりと重圧をかけ続ける。光の刃と、それを押さえ込む禍々しい双短剣を挟み、ノアーティの口角が吊り上がった笑みを睨む。
そして――ディ・セクタム区17章13節連棟住宅殺人事件。
内容としては、対均衡調和会特別警備とさして変わらない。衛兵隊に圧力をかけ、ソールガラと俺を夜の連棟住宅から引き離した。
違いはルレアを残したことだ。彼女に地下室の魔法鍵を開けさせるために。
だが、着目するべき所がある。
「……俺に夜警をさせ始めたその当日に仕掛けるなんてな」
タイミングだ。どうせ夜警は何日か続くのに、様子見などせず、俺の夜警初日に仕掛けたのは性急と言えるだろう。
結果的に俺が介入する余地を生み、巡り巡って研究書の回収には失敗している――ルレアだって、俺が絡まなければ殺しなんてせず、脅迫の末に目当ての研究書を差し出した可能性は高い。
そして俺自身、あの初日に何事もなければ、次の夜からは大人しく夜警に従事していたはずだ。
そこから導き出せる推測がある。
「時間がなかったんだろ?」
「ハハハ……見事な『探偵騎士』ぶりですね!」
図星だったらしい。ノアーティは続ける。
「星と地脈の巡りの都合上、数十年に一度しか行えない儀式というものがあるのですよ!」
「その儀式の情報の不足が発覚して……彼女の本を狙ったのか!」
「そうですとも! ……あなたを刺した男は私の部下だったんですよ? まったく、恐ろしい末路を辿りましたが……!」
「そうまでして儀式を開いてどうするというんだ!?」
「分からないでしょう! ただ諾々と日々を過ごすことを肯定する聖丘教の皆さま、っに」
前触れなく剣を引いた。更にノアーティの側面へ身を沈め、攻撃を止める。本来であればあちらも距離を取り魔法の詠唱に入るタイミングだが、一拍遅れる……まったく単純なことで、長話をしようとしていた所だからだ。
(今しかない)
懐より魔女撃ちの釘を抜く。どこであろうと傷を負わせれば魔法は封じれる……もっとも手近なのはどこか。相手は軽装だ。どこでもいい。
(腕)
刃を振るう。
「……!!」
だが、逸れる。攻撃が想像よりも浅く留まった。衣服の隙間から、鈍い鉄の色をした
(軽装に見せて……内側に耐刃の防御をしていたのか? まるで、俺がここぞという所で魔女撃ちの釘を使うのを読んで……いや)
ノアーティが笑っている。
(――
「《溟濛なる深淵よ》!」
高らかに詠唱が始まる。
「《奏でよ》《輪舞の刃鳴り》《我ら喝采す》ゥフフ……《絶叫楽団の開幕に》!!」
瞬間、ノアーティの背嚢が内側から弾けた。
短剣。短剣だ。無数の短剣が自ら飛び出し、舞い始めている。
それはノアーティの背からだけではない。俺との交戦で投げ捨てたものもだ。
全て。
全て、俺を狙っている。
(まずい)
「
「《透き湖面よ》《満たせ》《我が命》!」
「っぐううああ……!!」
壮絶な痛みだった。短剣の刃が、俺のあらゆる部位をあらゆる方角から貫き、引き裂く。肉が爆ぜる音が、血の地面に降り注ぐ音が、辺りに響き渡る。その音に混ざって、悲鳴が聞こえた。俺の身に降り注ぐ惨撃を見てのものだろう。
数秒、立ってられたのは意地だ。痛みと失血に力を奪われ、俺は崩れ落ちる。
「……運命的ですよね」
ノアーティは笑っていた。
「あの日あなたが引っ越してきたのも、その後ルレアさんと親しくなって、結果的に邪教の研究書を盗みそこねたのも。……どうも私の往路には、アスカルさん。あなたの影がちらついていた」
彼が手を払うと、俺に食らいついていた短剣が次々抜ける。短剣は俺の周囲を旋回し、なお刃先を俺へ向けていた。
「だからね、対策をしておいたのです。今度こそ運命に打ち勝つために。結果はご覧の通りですよ、アスカルさん……」
「っぐ……」
俺が声を漏らすと、ノアーティは一層楽しげに笑った。
「まだ何かできるんですか? 無駄ですよ……運命は既に私の側にある」
「…………せ……」
「此度の儀式は失敗しましたが、私のコネは他国にいくらでもある。あなたたちをこのまま殲滅して、逃げ果せていただきますとも」
「背中は、空けた」
俺は震える指で、ノアーティを指していた。
「……?」
「頼、みます。あなたなら、やれるはずだ……」
「首を」
「――!」
ノアーティは恐れに口角を引きつらせ、とっさに背後を振り返った。俺を狙っていた短剣も、一斉にそちらへ向く。
(バカが)
激痛を噛み殺し、俺は駆け出した。手には剣杖。光の刃が輝く。
「っちぃ!!」
ノアーティはそれがハッタリだとすぐに気付いた。すぐに俺を振り返り、再び短剣を俺に向けて殺到させる。
ノアーティはルレアに殺された男の死を『恐ろしい末路』と語った。そこに嘘言の熱もなかった以上、奴がルレアを恐怖していたことは分かっていた。
過剰に笑みを浮かべてナイフを振り回そうと、性根は惨い死を、強大な力を恐れるただの人間だ。
だから俺がこの局面でノアーティの首を指差しながら何かを頼むとしたら、それは彼女に殺人を要請する時だろうと、発想できてしまう。
(この……俺が)
だからこんな――ルレアを匂わすブラフに引っかかる。
(ルレアに殺しを要求する訳が……ないだろうが!!)
こんな有り得ないブラフに。
刃が降り注ぐ。俺は再び、数秒と経たずに撃ち破られるだろう。
だが数秒持つ。急速再生の魔法により少なからず傷を癒せた俺ならば。
そして数秒かかる。ノアーティが只の人間であるから。
「おおおおっ……!!」
「っああああ!!」
咆哮と共に、ノアーティの身体を深く斬撃する。
直後、短剣が俺の身体へ殺到する。
それがこの戦闘における、俺の終わりだった。
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