epilogueLA. 決闘

決闘

 作戦は成功に終わった。

 ノルヴェイド周辺に存在した溟濛派の拠点は全て潰し、捕縛できる限りの人員を捕縛することができた。


 夥しい重傷により気絶し、治療を受けながら目覚めた俺にそれを教えたのは、冒険者のセフィリナ・アースだった。

「傷ヤバすぎでしょ……」

 彼女はだいぶ引いていた。

「一応ボスはこっちで引き付けてたんだけど……そんなにとんでもない奴いたの?」


「ええ、まあ……」

 俺は曖昧に頷きつつ、彼女に一つ頼みをした。

「すみませんが……嘘をついてもらえますか」

「嘘?」

「何でも良いんです。何か……」

「ええっと……ΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦ

「嘘にしても限度があるでしょう」

「何でも良いって言ったのはそっちじゃん!!」



 ギャーギャー喚くセフィリナをよそに、俺は右腕に感じる嘘言の熱に、ほっと安堵していた。

 ノアーティとの戦闘の最終局面。あのまま殺されるよりはマシとブラフを口走ったが、どうも『門焚』的にあれは嘘とは見なされなかったらしい。

(……本当に俺が嘘を吐いたら『門焚』の力は失われるのか?)

 浮かんできた疑問を、首を振って追い払う。秘跡は原理の全てを語りきらず、実験してはならない。



「で、どうだった?」

 セフィリナが澄まし顔で聞く。

「冒険者に対する悪いイメージは拭えたかい?」

「……気にしてたんですか、そんなこと」

「気にしていましたよ。私だって冒険者だし」


 少しだけ思い返す。

 あの局面でブラフという手がスムーズに思いついたのは、間違いなく前日、このセフィリナにしてやられたからである。

 そんなふうに冒険者の手管を抵抗なく取り込んだのは、ある意味で印象改善の結果と言えるかもしれない。


 また、その模擬戦で感じた、魔女撃ちの釘を抜くことに対する躊躇。

 ノアーティとの戦いの時は、一切覚えなかったその躊躇は、なるほど冒険者に対する親しみによる所だったかもしれない。



 だが。


「……まあ、全然ですね」

「ええーっ!?」

 セフィリナは不平の声を上げる。

「なんで! ちょっと態度柔らかくなったじゃん!」

「そんなことはないです。誤差」

「こ……これ以上ドロドロに柔らかくなるのアスカル!? それはそれでちょっと嫌なんだけど!?」

「うるさいですね……」


 結局セフィリナには、意地の悪い返事をする。事実はどうあれ、彼女に変えられたという結論を、やすやす認めたくはない気分だった。


(……そうだ。俺を変えられる人がいるのだとしたら、それは一人で良い)

 和らぐ痛みの中、彼女の顔を思い出す。

(あなただけだ……)



   *   *



 ノルヴェイドへ帰還できたのは、それから数日後のことだった。

 時刻は昼過ぎだった。人の行き交う道を一人歩き、連棟住宅への家路を進む。


(……しかし、今回の作戦に参加すること、ルレアには直接伝えず出発してしまったんだよな)

 作戦に出る前に俺が彼女と話すチャンスは、ルレアが教会で過ごす最後の夜、あのタイミングしかなかった。翌朝のため、今にも眠ろうという瞬間だ。

 そんな時に、まさか荒事に身を投じるなんて話をすれば、ルレアに心配をかけてしまうだろう。未だ彼女の心も不安定な所に、そんなことを伝えるわけにはいかなかった。

(後から伝えるようリーアルに頼んだし、大丈夫だと思うが……)



「あ」


 ディ・セクタム区17章。

 連棟住宅の手前。その街灯の下に、一つ人影があった。

 背丈は小柄。白いローブ。フードを被った頭頂に、三角の耳が二つ。


「……ルレアさん」


 俺が呼ぶと、耳がぴくりとこちらを向いた。そして俺を振り返る。茶混じりの白い髪。その前髪が薄い幕のようになって、その下の緑の眼。


「アスカルさん」

「どうも。ええと……帰りま、っ」


 無難に挨拶を済ませようとした俺は、虚を突かれて口ごもった。その眼から、大粒の涙が流れ始めたからだ。


「……っあ、あれっ、あ……あ、あっ、ご、ごめんなさい」

 動揺はルレアも同じだった。その手で慌てて流れ落ちる涙を拭う。

「い、いえっ、その……文句は、文句くらいは言うつもりだったんだけど、それはその、色々落ち着いてからで良くって……」

「す……すみません……」

「あ、謝らないでくださいよお……」



 困りきった笑みをまだ少し溢れる涙で濡らしながらも、ルレアは俺の元へ駆け寄ってくる。

 そのまま迷いなく俺の胸の中に飛び込んできた彼女を、俺はしっかり抱きとめた。

 周囲を行き交う人の目は、意外なくらいに気にならなかった。


「おかえり……なさいっ」

「……はい。ただいま戻りました」


 ただ、そんなやりとりをできる幸せがあった。



   *   *



『イル・ポンテ』で食事をしながら、俺がいなかった間のことを聞いた。

 ルレアはもう教会通いを終えて、元の生活に戻ったという。リーアルから俺の伝言を聞いた時は少し泣いてしまって、リーアルにはたいそう同情されてしまい、以来友人同士になったという。怪我の功名じゃないか、と口を滑らせた所、しっかり睨まれてしまった。

 俺もセフィリナのことを話した。ルレアは彼女にもたいそう興味を持ち、根掘り葉掘りといろいろ聞かれたが、実のところそこまで関わりはなかったので、それほど答えることはできなかった。


 他にも様々なことを話した。

 ソールガラが無事に帰ってきたこと。ベルメジが無事に釈放され、バーバラ婆さんに謝り倒して再度あの5号室に住み始めたこと。ビネロ婆さんの『本業』のこと。

 俺が引っ越してきた日から始まった様々な事件のこと。それらがひとまず無事に解決したこと。今まであまり話していなかった、聖兵の同僚のこと――



『イル・ポンテ』を後にする。

 初めてここに来た夕方より、風も随分温かくなっていた。ルレアもローブの下は半袖で、胸元の開いた涼しげな服を着ていた。


 人通りはない。楽しく食べながら話すだけのことを話した反動で、俺たちはなんとなく黙って歩いていた。


 ただ、俺達は辿り着いた。

 坂と階段を越えた先。

 このノルヴェイドの夜を一望する、あの広場。



「あの」


 ルレアが足を止めた。


「返事をしたいと思います」

「……返事ですか」

「返事です。アスカルさんがその、寝てるわたしに言った……」

「聞こえてたんですね」

「必死でしたよ、聞き終える前に寝ちゃわないように……!」


 互いにほんの少しだけ笑い合って、だけどまた、空気が引き締まる。


「……返事をします」


 華やかさも、人けもない、忘れられたような広場。

 日の沈む西側は明るい紫に染まり、朝を待つ東側は深い群青。

 黄昏時の空の下、ルレアはきゅっと口を結び、真面目な表情で俺を見ていた。


 口が開く。



「あなたが好きです」


 告白だ。

 告白の返事は、当然のように告白だった。


「わたしの生き方に、嫌悪感があって……それでも、わたしの話を聞いてくれて、認めてくれて……尊敬する、とすら言ってくれた。そんなことは、初めてでした」


 初夏の風が吹いている。日中、少し熱かったそれは、今は少し涼しかった。


「わたしのことを、好きだと言ってくれた時も……決して人に話してはいけないことを、明かしてくれましたね。そうしなければいけない……きっと、筋が通らないと思っている。そういうあなたの不器用で誠実なところが、好きです」


 真実の門焚の話が本来禁忌であることも、ルレアは察してくれていた。

 思い返せば、ルレアがそういう察しの良さを見せることは、幾度となくあった。それも多分、娼婦としての経験のなせる業だったのだろう。


「いつだってわたしを見ていてくれる、その優しい目が好きです。聖兵として努力したんだろうな、っていうその体も……正直好きです。一緒に本を読んでくれて、わたしと違うことを感じながら、わたしの考えを受け入れてくれるのも、楽しくて好きです」


 昼から夜へ変わっていく黄昏時のように。

 話すルレアの表情が徐々に沈んでいくのが見て取れた。



「……でも、受け入れられない」


 その言葉も、当然予想できていた。

 あの夜から、俺たちの関係は、決定的な断絶の上に成り立っている。


「正しいことをする、したい……のは、分かります。でも、だからって必要以上に悪い人を痛めつけるのはおかしいですよ」

「……そうですね。分かっています」

「分かっていてもやめないんでしょう?」


 その通りだった。俺が否定せずにいると、ルレアは困ったように笑う。


「しょうがない人。……アスカルさんがそういう人だってことは、分かってました。だから、あなたがそういう人である限り……わたしは、あなたを受け入れられない。受け入れたくない。わたしの特別な人に、そんなことをしてほしくない」



 だからね、とルレアは続ける。


「聖兵を辞めてください」


 空の光を受けたルレアの顔を見る。

 ほんの少し前まで笑みを浮かべていたその眼は、真剣そのものだった。


「審明官だって、諦めてください。……正しさを追い求めない、誰も傷付けない生き方をしてください」

「……じゃあ、どうやって生きるんですか?」

「別に良いですよ。とにかくそういう仕事でさえなければ……なんなら働かなくたっていいです。わたし、養えます」

「さっき、聖兵として努力した体が好き……って言ってくれてたと思うんですけど」

「いいですよ、ぐにぐにのおでぶちゃんになっても。そこ以外にも好きなところ、たくさんありますから」

「太らされようとしてる……」


「……わたしのことが好きなんでしょ?」

 ルレアはフードを引っ張り、目元を影にした。

「わたしも同じ気持ちです。わたしだって、アスカルさんのことが大好きなのに……あなたの中に、どうしても嫌いな所がある。だったらもう、そこを変えてもらうしかないじゃないですか?」



「……そうですね」

 苦笑しつつ、溜息を吐いた。ルレアはまばたきをして俺を見る。

「いや、まったく……その通りだ」

 もちろん、この肯定の言葉は、彼女の提案を受け入れるという意味ではない。

「同感ですよ」

 同じことを考えていた、という意味だ。


「ルレアさん。……あなたの気持ちが本当に嬉しい。大好きな人に……俺のことが大好きだと言ってもらえた。本気で嬉しいですよ」

 でも、と俺は続ける。

「一番最初に言った通りです。あなたの全てを無条件に受け入れるとは言わない」



「え……」

 声を漏らした彼女に、俺は毅然と声を張った。


「娼婦を辞めてください」


 その口は半開きだった。

 まさか自分が俺に向けた言葉を、同じように向けられるとは思っていなかったのだろう……俺もさっきまで、自分が言おうとしていた言葉をルレアに言われるとは思っていなかった。


「アルカディミアの学術書を買い集めるのも……完全に辞めろとは言いませんが、別の仕事を見つけて、その給料に見合った分にしてもらいます。まあ、どうしても足りない時は俺から金を出しても良いですが……」

「そ……それじゃあ絶対足りませんよ!」

「そうでしょうね。……でも今だって、本を買う時は優先度をつけてるでしょう? それが少し厳しくなるだけです」

「少しどころじゃ済みません! あ、アスカルさん、尊敬するって言ってくれたのに……!」

「友人として尊敬してることと、恋人だったら嫌だなって思うことは全然両立しますよ」

「ひどい! ……わたしが娼婦じゃなかったら、アスカルさんがわたしの胸チラチラ見るたびに嫌な気持ちになってましたよ!?」

「今までじゃなくてこれからの話です」

「ひ、開き直ってる……嫌いになりそう……」



「……なりましたか?」

 俺が尋ねると、ルレアはすんと黙り込む。

「嫌いになってしまったなら……多分それが一番簡単な結論ですよ」


「…………そうですね」

 彼女は長い溜息を吐いた。

「本当にそう。……そうならないから、困るんですね」



 俺たちは変わる。

 確信があった。あのセフィリナとの模擬戦で、魔女撃ちの釘を抜くことに躊躇を覚えた時から。

 冒険者を攻撃することに躊躇いを覚えるなんて有り得なかった俺は、もういない。ルレアに変えられてしまった。

 だったら、こっちからだってルレアを変えてやる。



「……じゃあ、わたしたち……」

 ルレアはちらりと俺を窺った。

「お互い、好きなのに……お互い譲らないから、付き合うとかできないんですね?」

「……ルレアさんが娼婦やめたら全然オッケーですよ?」

「もうっ、それこっちも同じなんですからね! アスカルさんが聖兵も審明官もすっぱり辞めてくれれば……!」

「あの、さっきから辞めろ辞めろって気軽に言いますけど、俺この立場に来るまでに相当努力して来たんですからね……!?」


 ひとしきり言い合ったあと、じゃあ、とルレアが言う。

「逆にどこまでならオッケーなんでしょうか」

「どこまで……」

 それについてはまったく考えていなかった。俺がふうむと考えていると

「えいっ」

「!」

 ルレアが抱きついてくる。その拍子に、フードが外れた。

「……いいですよね。これは別に……こうなる前からしてましたし」

「……まあ……」


 曖昧に返事をしつつ、俺もそっと彼女を抱き返した。

 抱き合ったまま、しばらく静かに時間が過ぎる。

 甘く温かな時間。



「……いいですよ」

 ルレアが俺の胸に顔を埋めたまま、ぽつりと漏らす。

「負けませんから」

「勝ち負け……ですかね。……まあ、勝ち負けか。どちらが変わるかどうかっていう」

「そうです。決闘です」


 そっとルレアのさらさらとした髪を撫でる。彼女は気持ちよさそうに声を漏らし、ぐしぐしと俺の胸に顔を擦り付けた。

「絶対、絶対……変わってもいい、って言うくらいわたしを好きになってもらいますからね」

「だったら俺も、変わってもいい、って言うくらい、ルレアさんを惚れさせますから」

「負けませんから」

「勝つのは俺です」

「……好き」

「…………俺だって」




 ――こうして、俺たちは巡り会う。

 北国の春、夕暮れ色の街並みが、温かな夜景へ変わる頃。

 北壁都市ノルヴェイド。何もかもが美しい街ではないけれど、それでも美しいと思える街並みを望む、人知れぬ広場にて。

 見届ける者もなく始まった決闘が、俺たち二人の関係の、本当の始まりだった。

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