変わるもの、変わらないもの、変えるもの / 深淵教溟濛派潜伏部隊一斉制圧 - 2

「冒険者に悪い思い出でもあるの?」


 夜、照明の魔道具が薄暗く照らす、山肌の平地。

 互いに武装の準備をしていた所、セフィリナが声をかけてくる。

 周囲には、数人の若い聖兵と、セフィリナの一党と思しきメンバーが二手に分かれて集まり、この模擬戦を見物していた。


「……どうしてそう思うんですか」

「警戒される理由、あるとしたらそこかなって。私くらいの年頃女子が苦手とか、そういう訳ではないっぽいし」


 まあそこを深く聞くつもりはないけどさ、とセフィリナは続ける。

「警戒を解きに行ったのはね。君の悪い感情が本気の憎しみとかだったら模擬戦なんてやっちゃダメだから、その線がないかを確認するためだったの。騙すつもりとかじゃなくてさ」

 俺の『門焚』が彼女の嘘言を伝えてきたことはなかった。だから彼女の最初に言った『魔法トークしたい』なる動機も嘘ではなかったのだろう。

 その上で、最大の目的は俺の警戒の質を確かめるところにあったわけだ。


「……的外れではないです」

 だから俺も答えてやる。セフィリナは少しだけ好奇心を目に浮かべた。

「でも、子供の頃のことですよ。それだけが全てというわけじゃない。……今の俺が立っているのは、色々なことの積み重ねの上です」


 剣杖トランシオンを握る。若く輝かしい冒険者の彼女も、腰の後ろに斜め提げした銀のレイピアへ手にかけた。

 距離を取り、俺たちは向き合う。

 ルールは既に示し合わせている。真剣勝負。首と心臓の即死部位を狙うのは禁止とし、有効な一撃を決めたらそこで終わり。

 荒っぽいルールではあるものの、回復の魔法を使える要員は周囲にいくらでもいた。

「じゃあ、私に負けて悪い思い出が増えても、冒険者のこと嫌いにならないでね?」

「そっちこそ、明日以降聖兵を見るたび震え上がったりしないでくださいよ」


 ふ、とお互い息を浅く吸った。

「《とおき湖面よ》《祝福せよ》《撰ばれし剣を》!」

「《風雷よ》《宿り舞え》《我が剣に》!」



   *   *



 子どもの頃、母さんの知り合いだという冒険者に遊んでもらったことが何度かあった。

 彼ら一党は俺の知らない話をたくさんしてくれたし、逆に俺がその時していた勉強を見ては、しきりにすごいと褒めてくれたから、俺は彼らのことが結構好きだった。


 だからあの日、彼らが父さんから家の中のあらゆる財産を巻き上げるという凶行に出た時は、悪い夢を見ているとしか思えなかったものだ。

 一党のリーダーは母さんの知り合いどころではなく、不倫相手だということも、野卑た笑いと共に聞かされた。そしてその関係の原因は、元を質せば父さんが若い頃、妊娠した母さんを置いて娼婦に入れあげていたからだと。


 あの日以来母さんには会っていないし、その冒険者のことも知らない。

 父さんは冒険者ギルドに訴え出たが、誠意とささやかな見舞金以上のものを得ることはなかったと聞く。

 俺の12歳からの進路が、由緒ある故郷の学校ではなく、故郷から遠く離れた男子修道院になったのも、それが原因だろうとは思っている。



 その事件の全ては嵐のように現れて、全てを壊し尽くし、やはり嵐のように跡形もなく去っていった。

 後に残ったのは、父さんの言葉。


『お前は、間違いに近づいてはいけない。間違いは、間違いを呼んでしまう』

『お前は、正しいことをするんだ……アスカル』


 嵐の跡に残ったその言葉は、俺の幼き日々を葬った墓標の碑に、重く刻まれている。



 俺の冒険者嫌いは、それが原因だ。

 良き隣人のような顔をしていた彼らが、実益のために俺と父さんを踏み躙ったその瞬間の顔を忘れることができない。

 少なくとも、連中以外の冒険者がそう悪い奴じゃないということを知る機会は、俺にはなかった――常識として学ぶことはできたとしても。


 そして。

 セフィリナに語った通り、その事件が俺の人格の全てを形成している訳ではない。

 むしろ俺という人間の方向性を決定づけたのはその後。男子修道院時代のことだ。



   *   *



 防戦を強いられていた。

 風と雷を纏ったセフィリナのレイピアは、振るわれるたびに突風を起こし、突き出されるたびに電気の火花を散らす。

 どちらもそれだけで致命的な傷を負うようなものではないが、剣の技量はややセフィリナが上といった具合なものだから、こちらから打開のための攻勢を仕掛けることはほぼ不可能だった。


(あちらも攻撃ばかりで防御が疎かになるということはない)

 緩急のある独特の身運びがこちらのペースを良い具合に掻き乱してくれる。それは俺から見ればまったく乱雑だったが、実戦の中で構成されたもの特有の、獣じみた奇妙な効率の良さがあった。


 だがあちらも、俺を仕留めるには一歩足りない。

 聖剣付呪キャリバーエンチャントにより生じる光の刃は、触れれば切れる威力の高さを持つ。彼女のレイピアの刃も、そこに伴う風も雷も、そこまでの威力はない。

 手ぬるい一撃を焦って押し込んでくるようであれば、それよりも深く素早い一撃を返してやる心構えはできていた。そして、セフィリナもそれは分かっている。


(だから、この戦いの勝敗を決めるのは、剣のうまさなんかじゃない)

 ようやくセフィリナが、俺を模擬戦の相手に選んだ意図が分かってきた。

(俺と彼女の付呪エンチャントが切れた瞬間――膠着が必然的に崩れる瞬間の立ち回りだ)



   *   *



 俺は12歳から、トファスという街の男子修道院で過ごすことになった。

 そこでは俺は問題児だった。協調性がない、と評されるタイプで、他の修道生とはさんざん喧嘩したことを覚えている。


 彼らと衝突を繰り返した理由は、俺が正しかったからだ。ささやかな規則破りをくまなく指弾し、隠し立てすればすぐさま先生へ報告した。

 その時の俺は、父が教えてくれたように、正しくあることに必死だった。そのためには、自分を取り巻く全てまでも正しくせねばならないと考えていたのだ。



 そして、一つ――人生の転機を迎える。


 14歳の頃だ。

 院舎の裏で、修道院で禁じられていた粉煙草を焚いて楽しんでいる連中がいた。

 その頃には俺も世の道理というものをある程度学び、自分が正しいからと正面から糾弾にかかってもボコボコに殴り返され、仲間もいないものだから誰も助けてくれず、先生にも面倒くさがられているので特に庇ってもらえなくなるということを理解していた。

 正しさを執行するためには、知恵を絞る必要があった。


 その末に俺は出会ったのだ。

『探偵騎士シャルロック』第一巻、『緋色の研究』。

 それは非力な犯人が強権を持つ仇へ復讐するため、毒を用いるという物語である。



 ……もちろん、人を殺す毒を用いた訳ではない。

 代わりに、ささやかな小遣いをはたいて――おそらく葉巻などよりずっと高価な――香草と香辛料を買い、指に炎症を起こしながらも丁寧に粉末にして、奴らの保存していた粉末煙草に混ぜ込んでやった。

 数日後、連中は目と鼻と唇を真っ赤にし、苦しげに嗚咽して先生たちに救いを求めた。原因を糺されても煙草を吸ったせいだと白状できず、ただただ助けを求める姿。当然、俺が犯人であることも割り出せず、伝染病を疑われ皆に距離を置かれすらした。

 彼らは二度と、粉煙草に手を出すことはなかった。



 本当に気持ちが良かった。

『正しくない』連中に大いなる罰を与え、しかも奴らに二度と『正しくない』行いをさせなくした達成感は、俺自信が間接的な加害という『正しくない』行いをした後ろめたさを遙かに凌駕した。


 それが俺の見つけ出した正しさ。

 あれから周囲との協調性を大いに身につけた俺が、その根に秘めた『正しさ』に迫ろうとする奴は……

(……ルレアさん)

 今のところ一人だけだ。

(どうしているだろうか、今頃)



   *   *



「……あっまず!」

 先に付呪が切れたのはセフィリナの方だった。レイピアの軌跡に伴う電光が弱まる。俺が攻めるべきタイミングであり、セフィリナも攻められると覚悟しているタイミングだった。


 踏み込み、光の刃が輝く剣杖で切り払う。セフィリナは両足で低く跳び、距離を置く。これまでの流れならここからセフィリナが突いてくるので俺は引かざるを得なかったが、今は違う。打ち勝てる。

(手並みを見せてもらおうか……!)

 さらなる踏み込みと共に、突き。彼女の胴を狙った。レイピアで受け流してくる。だがそれならば再び斬りつけ――


 目が合う。

 セフィリナは意地悪く笑っていた。同時、チリン、と鈴の音が鳴る。


(――!)

 とっさに身を引いた。

 何かは分からないが、セフィリナが何かを仕掛けようとしていたことは明らかだったからだ。もしもそれが攻撃の魔法だとしたら、そこで蹴りがついてしまう。

 対する彼女はさらに俺から距離を取り、その笑みのまま口を開いた。


「《風雷よ》《宿り舞え》《我が剣に》」


 戦闘の開始直後に口ずさんだ、剣へ風と雷を付呪するシンプルな魔法詠唱。俺はすぐさま察する。

(……仕掛けはハッタリか!)

 意味ありげな表情、今までになかった奇妙な鈴の音。神経を尖らせ、何かを警戒しているほどにかかりやすい罠。

(戦闘中に攻撃魔法を使う……という話も、今のブラフへの誘導か……!?)



 セフィリナは再び俺へ打ちかかってくる。そのからかうような目が、暗に俺へと語りかけてきていた。

(次は君の番だけど?)

 聖剣付呪の効果切れが迫り、その光の刃は当初より勢いを失っている。


魔女撃ちの釘ウィッチネイルだ)

 どうするかは既に決めていた。俺はそもそも、再度の詠唱を行わない。

 攻撃の好機に詰めてくるセフィリナを、懐に忍ばせ今まで一度も抜いていない短剣でもって一撃する。

 下手に時間を稼いで再度の膠着状態を作り出すよりも、ここで決着をつける方が勝機はある。


 切り裂く光が勢いを弱くする。完全にそれが消える前に、セフィリナは勢いよく踏み込んできた。レイピアが振るわれ、剣杖が風に煽られる。決定的な隙。

(ここだ)

 俺は態勢を整える、ように見せかけ、空いた片手を懐の魔女撃ちの釘へ伸ばす。剣杖を持つ腕でそれは隠し、セフィリナの攻撃を誘う……乗ってきた。距離が詰まる。

(大きく動いて回避し、釘で斬る)


 身を沈め、との刺突を躱す。魔女撃ちの釘の柄を逆手に掴む。

 手首を返しながらその刃を振るえば、勝利判定の一撃になるだろう。

 ただそれだけでいい――筈なのに。


 躊躇。


(馬鹿な)


 魔女撃ちの釘を振り抜いた。だが一手遅く、俺の腕を見事にセフィリナが斬り裂いていた。

「っぐ……!」

 痛みと、斬撃に伴う強風で倒れ込む。おお、とどよめきが上がり、即座に四方から回復魔法が飛んだ――どれだけ見物していたんだ。


「……よし! 私の勝利~!」

 セフィリナがレイピアを掲げ、高らかに声を上げる。周囲からも歓声と拍手が上がる。

「あっ、アスカルも対戦ありがとう! ブラフ試せて超~助かった! 最近そういうの効かない奴とばっかり戦っててさあ……!」


 嬉しそうにまくしたてるセフィリナの言葉を聞き流しながら、俺は冒険者を相手に初めて覚えたその躊躇という感覚に、しばらく呆然としていた。

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