真実の門焚 / ディ・セクタム区17章13節連棟住宅死体遺棄 - 2

 話を進める前に、俺の右腕に宿るものについて少し説明する必要があるだろう。


 それは『真実の門焚かどび』と呼ばれている。

 付与聖痕アルティグマ――『教団』に秘伝される魔力持つ刺青の一つで、炎と、それが発する光をかたどっている。

 これが俺にもたらすものはひとつ。『発言の真偽を判別する力』だ。

 耳から認識した言葉に嘘があれば、『門焚』は擬似的な熱を帯びてそれを教えてくれる。


 そして、だからこそ言えるのだ。



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 人殺し疑惑の青年の発言。


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 管理人バーバラの発言。


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 隣人ソールガラの発言。


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 魔法使いベルメジの発言。


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 酔っ払いビネロの発言。



 以上すべて、間違いなく嘘であると。



 ただし、制約が二つある。

 第一に、『門焚』の存在を人に知られてはいけない。

 第二に――俺自身が嘘を口にすれば、『門焚』は永遠にその力を失う。



   *   *



(……もっとも避けるべきことは、『門焚』を明かすか、嘘を吐くかの状況に追い込まれることだ)

 自分に課せられた枷を数え直し、そのままならなさに歯噛みする。


 たとえば全員に対して事細かに質問を行い、犯人を断定することは当然可能だ。

 しかしそんなことをすれば、その過程で俺の発言を怪しまれ、あるいは発言の後の振る舞いで、何か秘密があるのかと探りを入れられる危険性がある。

『真実の門焚』の存在はマイナーだが、教団に詳しい者なら知っている場合もある。怪しまれた結果、俺の右腕に『門焚』があることを感づかれれば制約に抵触してしまうし、俺はそれを嘘でごまかすこともできない。


 そしてそこまでのリスクを犯して俺が犯人を割り出せても、それは俺にとっての真実でしかない。

『門焚』の存在を明かさずしてその真実を他人に共有することは不可能だ。それは課せられた制約を破ることであり、当然避けるべき行動である。


(最低限の質問で、最大限の成果を得るには……)



 少し考え、俺は一つだけ質問をすることにした。


「この騒ぎが起こる前に、死体があることに気付いた人はいませんか?」


 俺の問いに、騒がしい空気がにわかに静まり返った。ソールガラが尋ね返す。

「騒ぎが起こる前に……?」

「そう、今、騒ぎが起こる前に。知っていた人はいませんか?」


「わたしは気付きませんでしたけど……」

 ルレアがすぐに答えてくれた後、バーバラ管理人が不満げに続く。

「何言ってんだい。私がこの人殺しを見つけたから騒ぎになってるんだろ?」

「殺してませんって! 死体のことも知りません!」

「あたしはずっと寝てたからなあ」

「うちもさ! 仕事が終わってずっと一杯やってたからねえ!」

「わ……私だってずっと寝てましたから……!」



(……ちゃんと質問に答えてくれ)

 俺の問いかけをきちんと否定する返事をしたのは、ルレアと、皮肉にも第一容疑者の青年――後で名前を聞いたが、彼はノアーティという行商人だった――だけであった。寝てたとか、一杯やっていたとか、そこに嘘がないことが分かっても仕方がない。

 かといって、厳密な返事を求めて聞き直すことも躊躇われた。発言を素直に解釈すれば、皆俺の問いに否定の返答をしていることは明白だ。

 俺も『門焚』を授かって日が浅い。勘ぐられないための質問の塩梅がどの程度なのかは、正直分からないのだ。


(しかし、彼はやはり犯人ではないだろうな)

 ノアーティは当初から『やっていない』『殺していない』と繰り返し主張しており、その全てが真実だった。

 このまま時が進めば、無実の彼を犯人として連行しなければならない。

 それは避けるべきだろう。



「……捜査をします」

 結局俺は、この場での追求を避けた。バーバラ婆さんが不満げに口をとがらす。

「捜査って何だい。犯人はこいつだろ?」

「バーバラさん。事件を早く片付けたい気持ちは分かりますが、だからと言って不実を看過はできません。……これからあなたにお世話になる身だとしても」


 彼女はとにかく騒ぎそのものを小さくしたいと思っている。自分の失敗を無理な理論で隠そうとする子どものように。

(まあ、死体を見てパニックになってる所もあるだろうし、借り手がつかずに潰された貸家の二の舞になりたくないというのも分かるが……)


「一応、こういう事件の捜査に関わった経験もある聖兵として言わせてもらいますとね、バーバラさん。こういう時は『証拠』が必要なんですよ」

「証拠だって?」

「証拠です。推理小説など呼んだことは……まあ、ないか」

 視界の端で、またルレアの猫耳がフードの下でぴくりと反応した。

「ともかく、どんな街でも法務官は『お前がやった』『自分はやってない』の水掛け論を嫌います。この状態でこの人を連行しても、事件は終わらない。むしろ余計に話が長引いて目立ちますよ?」


 バーバラ婆さんは不服げ、あるいは不安げな顔になる。

「なんとかできるのかい。あんたが」

「分かりませんね」

 こういう時は相手をなだめる嘘を言ってやれれば良いのだろう。だが、制約のせいでそれも不可能だ。

 だから、代わりに可能な限りの説得力を示すしかない。

「それでも、これが一番早く解決できる方法です。俺は捜査の経験もある。任せてもらえませんか」


「……頼むよ」

 結局その年老いた管理人は、溜息混じりに俺の提案を受け入れた。

「大ごとになってほしくないんだ。あたしは」



「で、こいつはどうする?」

「……逃げたりしないなら、捕まえっぱなしにしないでも大丈夫ですよ」

「逃げませんよ……ここまで来たら逆に私の潔白を証明してください!」

 第一容疑者のノアーティと、彼をがっしりキープしてくれていたソールガラとそれだけ言葉を交わし、俺は改めて、死体のある6号室へ向かおうとする。


「あの」

 そこに、猫耳フードのルレアがおずおずと声をかけてきた。

「捜査、なさるんですよね。お手伝いさせてもらえませんか?」

「手伝いですか? ……俺の?」

「わたし、役に立つと思います」

「…………」


 この時俺は、少し考えた末に『あり』だと結論を出していた。

 彼女が聖兵ではない一般人だとしても、俺一人での検分は見落としもあるかもしれないし、彼女だけは嘘を口にしていない。信じても良いだろう。

 だが、俺が結論を口に出す前の沈黙でルレアは拒否されると思ったのか、そこから思わぬ言葉を続けた。


「あの……その亡くなっていた方、多分、病気だったんですよね?」

「……何?」

 俺が聞き返すと、彼女はさらに続ける。

「しかも、多分身寄りのない方です。お金もあんまりなく、信仰心もそこまでで……」


「いや、待った待った」

 慌てて制止すると、ルレアは素直に口を閉じてくれた。彼女の発言を思い出しながら尋ね返す。

「君、いやあなたは、あの……あの部屋にある死体について知ってるんですか?」

「いいえ」

「なら何故……」



 ルレアの耳がくるりと動いたのが分かった。ローブ越しだというのに感情表現の豊かな耳だ。

「初歩的な……初歩的なことです!」

 鼻息が荒い。待ってましたと言わんばかりだ。

「匂いがしました! 部屋から直接匂った訳ではなく……アスカルさんの袖からです」

「……袖?」

 右の袖口へ鼻を寄せる。意識していなかったが、確かに何か、慣れない匂いが香った。ルレアもぐいと顔を近付けてきたので、俺は慌てて顔を引く。

「すん……少なくとも普通の男性の匂いではなくて……アスカルさん、きっと死体を調べましたよね?」

「あ、ああ……」

 確かに、死亡を確認する過程で脈を取り、外傷がないことを確認した。その過程で死体に触れ、匂いが着くこともあるだろう。


「だが……それだけで、匂いだけでそこまで?」

「はい。わたし、耳と鼻は良いんです」

 俺の袖口を大事に掴んだまま、ルレアは説明し始めた。

「一番強く残ってるのは、樹脂レジン没薬ミルラの匂いです。没薬は香水なんかにも使われますが、それだったら樹脂は混ぜません」

「……何の匂いなんだ?」

「防腐剤です。魔法を使わない、安価なもの」


 都市部での魔法行使は、基本的に税金がかかる。

 そのため、往々にして魔法品は非魔法品に比べて高価だ。そのぶん効力も高い訳だが、使うためにはカネがいる。

 ましてやノルヴェイドは、冒険者が多い。となると、魔法の防腐剤などは需要が高く、供給が安定している一方で、価格は多少かさむ。だから金がないと判断できたわけだ。

(身寄りがないというのも、知り合いがいれば魔法の防腐剤くらいは出すだろうという判断か? 信仰心が薄いだろうというのも……教団に関与があれば、まあ死体の魔法処理くらいは面倒を見るからな)


「それと、消毒剤の匂いもします。非魔法系の病院特有の匂いです」

 ルレアは続ける。言葉の合間、手の甲に吹きかかる吐息がくすぐったい。

「でも、こっちはそう簡単につく匂いではありません。だからその亡くなった方は、死の前に長い間そこにいたんだと思ったんです」

「入院していた……だから病気だと分かった」

「ええ。初歩的なことなんですよ、アスカルさん」

 ルレアは得意げな顔をする。ローブがふわふわしている、と思ったら、どうも尻尾が嬉しそうに揺れているようだった。



「協力をお願いします」

 俺は改めて彼女に依頼する。

「多分、あなたでしか気付けないことがあるはずだ。それでいち早く真実が分かるかもしれない」

「はい。頑張ります」


「それと」

 6号室の扉に手をかけながら付け加える。

「アーサー・コナン先生の『探偵騎士シャルロック』は俺も好きですが……」

 それは推理小説と呼ばれるジャンルの開祖的な本だった。彼女の繰り返した『初歩的なことだ』というフレーズはそ作品の決め台詞として扱われる一節だし、僅かな手がかりから特徴を並べ立てたその語り口も、まさしくである。


「あっ、やっぱり……! 話を聞き取る所とか、言葉選びなんかで、アスカルさんも知ってると思ったんです!」

 ぱあっと明るい表情になったルレアは、まるで花の綻ぶような可憐さがあり、今から口にしようとする苦言を躊躇わせた。

 だが、言うべきは言わなければ。


「……現実は推理小説とは違います」

 きょとんとした顔になる彼女。年齢は分からないが、化粧っ気もなくころころ変わるその顔つきは、どうにも子供っぽい。

「不謹慎とか、そんなことは言いません。死体はそんなこと考えないし、あなたの推理が正しいなら遺族もいない。ただ一応、俺の指示には従ってください」

「あっ、はい。分かりました。なんでも言ってください。わたしも気をつけます」


 彼女は聞き分け良くそんなことを言ったが、その後すぐに

「……じゃあ、アスカルさんはシャルロックやワトソンというより、特務衛兵のレストレードさんになるんですかね?」

 件の小説の登場人物の話をまた始めたものだから、俺の中にはやっぱり小さな不安が残った。

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