北の都の二人の、巡り会いと決闘について / ノルヴェイド事件録

浴川 九馬

1. 真実の門焚 / ディ・セクタム区17章13節連棟住宅死体遺棄

真実の門焚 / ディ・セクタム区17章13節連棟住宅死体遺棄 - 1

 枯木をねじるような老婆の悲鳴が聞こえたのは、新居の隣室の住人に挨拶をしている時のことだった。


「バーバラ婆さんの声だ」

 ぎょっとした顔を浮かべたのも束の間、知り合ってすぐの隣人は、声の上がった方へのしのしと歩き出した。

 赤褐色の肌に、筋骨逞しい体躯の持ち主――オーガー種亜人との混血だという彼女、ソールガラの大きな歩幅に追いつくには、成人男性である所の俺でも小走りになる必要があった。


「人殺し! やめなさい! 近づくんじゃないよッ!!」

「ちがっ、違いっ、待ってください! 待って!」


 騒ぎは連棟住宅テラスハウスの最も端の部屋、6号室の前で起こっていた。顔を真っ赤にしたバーバラ婆さん――この住宅の管理人だ――に、物腰の弱そうな青年が追い立てられている。


「知りません知りませんよっ、僕は何も! 助けて下さい!」

「ソールガラさん! 人殺しよこの人!!」

 どちらにも助けを求められたソールガラは、やれやれと頭を掻くと、その大きな手で弱腰な青年の肩を掴んだ。


「助けを求めたとこ悪いがね。あたしはどっちかというとこの婆さんの味方をしなきゃならん」

「あっははは……そ、そりゃそうか……」

「そのまま捕まえてて! 巡回官のひと捕まえてくるから!」


「その必要はありません」

 駆け出そうとするバーバラ管理人を俺は制止する。円に一本、右肩上がりの斜線が入った、簡素なペンダントを身分証として示しながら。

「本日からお世話になっています、アスカル・アレイオンです。俺は『教団』所属の聖兵。このノルヴェイドでは教団が都市内の警備実働を委託されている……そうでしたね?」

 教団は世界最大の宗教であり、その社会的信用は高い。案の定、バーバラはそれを聞いて安堵の表情を浮かべた。

「ああ! あんたがその人殺しを連れてってくれるのかい、アスカルさん!」

「人殺しならば当然そうします」


 何をするにしても、せめて死体くらいは確認したい所だった。青い顔をして死体のように眠る酔っ払いを見間違えたという線もなくはない。

「逃がさないように頼みます」

「おう、任せときな」

 ソールガラの丸太のような腕に押さえられ、弱腰な青年は諦めたように笑っていた。

「死体はそっちの部屋だよ! こいつがあの部屋の中に捨てて行ったんだ!」

「だから違うんですよ~……!」


 管理人の指差す先、6号室に入る。

 俺がこの連棟住宅に入る時、2号室か6号室か選べたことを覚えている。つまりここは、誰も使っていない空室のはずだ。

 扉を開け、更に室内扉を引くと、確かにそこには人間が布をかけられただけの状態で転がっていた。痩せた中年の女性とわかる。


 カラン、と金属音。

「ん」

 足元を見る。暖房用の火かき棒を蹴ってしまったらしい。壁際に立て直すと、改めて死体の元へ跪く。

 首筋に手を当てる。硬い感触。体温は冷え切っていて、脈もなし。

(ただ、外傷は見当たらない……)

 掛け布をめくって女性の身体を見たが、傷らしい傷はないように思えた。

(外傷をもたらさない魔法による死か、毒か病気か、衰弱。判断はつかないな)


「確認しますが」

 外に出て、まだ興奮冷めやらぬバーバラ婆さんに尋ねる。

「なんで彼が人殺しだと思ったんですか?」


 管理人の老婆は、腰が曲がっているとは思えないくらい強い勢いで返してきた。

「見たんだよ! そいつが死体を部屋に置く所を!」

「だ、だからそれは死体を確かめたのを置いたタイミングで……!」

「じゃあなんでそこの部屋にいたんだい!? 今日は来客が来る予定は一切ないよ!!」


 ぎろりと婆さんに睨まれ、青年は臆しつつも言い返す。

「それも言いましたけど、ΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦ



 熱。


「……」


 口を閉ざした俺の横で、青年は続けて返す。

「そうしたら、返事がないのに鍵が開いていたんです。なので中に入ったら……」

「嘘をお言い! ΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦ なあソールガラさん!!」

「えっ? あ~……分が悪いぜ、あんた。ΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦ



 またも、熱。


(参ったな……)


 俺がひそかに苦々しく思っている所、おそるおそるといった様子で5号室の扉が開いた。

「さ、騒がしいんですけど……」

 黒い髪を鬱蒼と伸ばした、小柄で陰気な女性である。


「なあんだい? うっしょいねえ~……」

 さらには騒ぎを聞きつけてか、4号室からも住人が出てくる。こちらは管理人と同じくらいの老婆のようだが、まだ昼だというのに酒の匂いを漂わせている。

「ビネロ!」

 バーバラ管理人が酒飲みの老婆をそう呼んだ。

「あんたが一昨日、仕事の帰りに見たって男はこいつだろ!?」


「ん~?」

 ビネロ婆さんは目をこすりこすり青年を見ると「ああぁ~~」とあくびのような声を上げた。

「そうそう、こーんな顔だった。コソコソこの建物を見上げててねえ」


「ほらごらん!」

 勝ち誇るバーバラ婆さんに、青年は慌てる。

「確かに見上げてはいましたよ! 僕は行商で、最近ここに来たもんですから……」

「それで死体を捨てるのにピッタリだと思ったんだろ!?」

「違います! 僕は殺してない!」


「……は、話は良く分かりませんけど……」

 ぼさぼさ頭の女性がおどおどと言う。

「静かにしてください……犯人、どうせその人ですよ……あ、魔法で占ってあげましょうか? ΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦ

「いい案だねベルメジちゃん。ビネロの酔っ払いの記憶だけじゃけちがつくかも知れない」

「え~~、ΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦ……エッへへへ!」



「……あの……」

 盛り上がる女性陣を前に困り果てていた俺に、背後から柔らかな声がかけられる。

「何が起きてるんでしょう……?」

 おそらくは6号室から一番離れた、1号室から出てきた住民だろう。


「……問題、ですかね……」

 俺は慎重に言葉を選びつつ振り返る。

 同時に、ふわりと甘い香り。

「問題……」

 彼女は、柔らかそうな頬に細い指を当てていた。白くゆったりとしたローブを羽織った、たおやかな雰囲気の少女。フードの頭頂に、猫の耳を思わせる二つの三角形がある……獣人か、その混血だろうか。


「6号室で死体が見つかりまして」

 バーバラ管理人たちの喧々諤々を聞くのに疲れた俺は、猫耳の彼女にざっとあらましを話す。

「管理人のバーバラさんはあの男性を犯人と疑っていて、男性が否定してるんですが、風向きはだいぶ男性に不利、という所です」


 死体、という言葉を聞いて猫耳の彼女は少し緊張を見せたが、すぐに調子を取り戻したようだった。

「そうなんですね。おばあちゃん、ピリピリしてるからなぁ」

「ピリピリ?」

「はい。前もこの辺りの貸し家で死体が見つかった騒ぎがあって、そのおうちは結局そのまま誰にも借りられずに潰されてしまったんです。そうなりたくないんじゃないでしょうか」



「ルレアちゃん!!」

 バーバラ婆さんが猫耳の彼女を見てそう呼んだ。

「あんたも何か知らないかい!?」

「いいえ、わたしは何も」

「あたしの味方をしておくれよ! ここに住んでるんならさぁ!」

「ごめんなさい~」


 穏やかな笑顔で返した彼女は、続けて俺に目を向けた。

「……それで、アスカルさんは何を困ってるんですか?」

「え」

 虚を突かれる言葉だった。目元まで覆うくらいの長めの前髪の越しに、それでもはっきりと明るい緑の大きな瞳が、俺のことを正面から見上げている。

「聖兵の方ですよね。この状態だと、あの男の人を連行して終わりだと思いますけど……」

「ええ、まあ」

「そうしないのは、いまいちおばあちゃんが信用ならないから……ですか?」


「はは……」

 思わず笑ってしまう。その喋り具合が、なんだか昔読んだ小説のそれを彷彿とさせたからだ。

 俺の笑いをどう取ったか、猫耳の彼女――ルレアはぴくんと頭頂の耳を立てた。フードの隙間から、細く明るい茶と白の髪の毛がなびく。

「……は、はずれてましたか?」

「いや……当たりです」

「あと、すみません。訳知り顔で呼んでしまったんですが、お名前はアスカルさんで間違いないですか?」

「間違いないです」


 良かったあ、と安堵する猫耳の少女――ルレア。

 彼女の言葉は当たりである。当たりではあるが、完全な正解ではなかった。


(管理人の婆さんどころじゃない……全員だ)


 人殺し疑惑の青年。

 この連棟住宅の管理人のバーバラ婆さん。

 彼を押さえているオーガーの混血、3号室のソールガラ。

 5号室に住む魔法使いらしい陰気な女性、ベルメジ。

 4号室から出てきた酒飲みのビネロ婆さん。


(全員が嘘を吐いている)


 俺の右腕の、真実の門焚かどびがそれを告げているのだ。

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