2. 嫌いな本のこと / 対均衡調和会特別警備

嫌いな本のこと / 対均衡調和会特別警備 - 1

「――そうだな。母さんは間違ってる」


 夢。

 夢だ、とすぐ気付いた。懐かしい父さんの声。


「だが、父さんも間違えた」


 尊敬する父親の、弱々しい姿。誤魔化すような笑み。


「お前は、間違いに近づいてはいけない。間違いは、間違いを呼んでしまう」


 それは迷信のような警句だったのかもしれない。

 だが、俺にとっては揺るぎなく真実である。

 その時も、今も。


「お前は、正しいことをするんだ……アスカル」



   *   *



 目覚める。

 窓の外はまだ暗い。夜警は二日前に終わり、時限睡眠クロックスリープの魔法――決まった時間、確実に眠っていられる魔法のおかげで、生活サイクルもそこまで乱れてはいない。

「…………」

 だが、それを踏まえても眠りが浅い。この数日……あの夜、ルレアと会ってから。

(似たような悪夢ばかり見ている気がする……)



   *   *



「アーウィン聖兵長にはきつく釘を刺しておいた」


 ノルヴェイド教会の管理人、バートリア司教は、開口一番にそう言った。


「苦労をかけたね。やはり受け入れのタイミングでノルヴェイドを離れたのはまずかったな」

「……いいえ」

「どうか許して欲しい。説得力がないとは思うが、アーウィンもあれでそう悪い奴じゃないんだ……都会コンプレックスがきつい以外はね」


 赴任早々に聖兵長から単独での夜警を命じられたことは、そこまで悪い結果にはならなかった。

 聖兵長もそれ以上に不条理な命令を下してくることはなかったし、他の聖兵も協力的同情的だった。もちろん大きな事件が起こらなかったからこそ言えることだが、どうあれその期間には何のトラブルは発生しなかったのだ。


(……俺の個人的な人間関係を除いて)


「アスカル君? ……やはり疲れているかな?」

「いいえ。規定通りの休養は取れています」


 そうか、と頷き、バートリア司教はそれ以上追求しなかった。

 美しい男性だった。俗に笹耳族などとも呼ばれる、エルフ種亜人。尖った耳と細い体躯が特長の彼らは、亜人の中でも並外れた寿命を持つ。その長寿ゆえに人間とは異なる思想を持ち、聖職に就く者は少ない。

 バートリア司教はその数少ない例の中でも、さらにノルヴェイドという重要都市の教会の総責任者に選ばれた、特例と言える存在だった。



「改めて、ノルヴェイドへようこそ。アスカル・アルタール上位聖兵。そして、『真実の門焚かどび』を宿した審明官しんみょうかん候補。歓迎するよ」

「ありがとうございます」

 バートリア司教は、俺が審明官しんみょうかん――『真実の門焚』の力によって事の真偽を断じる公務神官――の候補であることが事前に伝えられる唯一の相手だ。

 彼に対しては唯一、『門焚』の存在を人に知られてはいけないという第一の制約を気にせず話ができる。


「今年で22歳だったかな。若いね……ここでの赴任を終えれば、もう資格的には審明官になれるんだっけ?」

「何も問題がなければ、ですが」

「そうか。まあ頑張りたまえ。何かあれば相談に乗ろう」


 司教との話はそれで終わった。俺は司教室を後にし、定例会の行われている聖兵詰所へ向かう。



 あの夜から数日が経ち、ルレアとは未だに話せていない。隣室に住む者同士、それまではしばしば顔を合わせていたのに、とんと出会わなくなった。

(……彼女に避けられているのか、俺が避けているのか)


 もっとも、顔を合わせた所で何を話すかも良く分からない。

 あの夜のことを真面目に思い出そうとすると、頭がぐちゃぐちゃになる。

 彼女が娼婦であった事実、彼女が俺を責めたこと、俺が彼女を責めたこと。

 その全てが最悪としか言いようがなく、それに意識が向かいそうになると、俺は必死で自分の気をそらした。


(まあ、今は時間を置いて……少し経てば、ましにはなるだろう)

 それは諦めでもあり、願いでもあった。



 詰所の戸を開くと、視線が集まる。

「アスカル」

「遅れました」

 俺の名を呼んだアーウィン聖兵長は、いつも以上に不機嫌な表情をしていた。白髪交じりの中年男性。生粋のノルヴェイド人。

 バートリア司教は釘を刺したと言ったが、表向きの態度はあまり変わらなかった。妙に気を使われても居心地が悪くなるし、その点は助かる所だ。


「ふん……構わん。ちょうどお前がいなければ始まらない話をする所だった」

 いかめしい表情でそう言い、アーウィン殿は皆を見回す。人数は二十程度。少し多い。

「本日より当班は、巡回と並行して特別警備任務を行う」


「特別警備任務ぅ?」

 疑問を隠さぬ声を上げた聖兵は、ヴォールトといった。聖兵の中では最若年だ。

「何すかそれ。どっかの偉いさんでも来るんすか」

「違う。さる筋からの情報で、『均衡調和会』の連中がこのノルヴェイドに訪れていることが分かった。その対策だ」


(均衡調和会)

 頭の中でその名を復唱する。

(また妙な奴らが来たな)


「すみません。ΦΦΦΦΦΦΦΦ ΦΦΦΦ ΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦ

 神聖術師リーアル。彼女はおとなしい顔をしているが、主に相手を持ち上げる目的で結構しれっと嘘を吐く。今日もそうだった。



「アスカル。説明できるか」

 アーウィン殿は俺へ水を向けた。これは何か妙な意図があってのことではなく、単に俺の方が詳しいと踏んだからだろう。


「簡単に言うと、危険思想の集団です。『世の不純なるものを正すことで、世界を浄化する』。その思想に基づいて、様々な犯罪活動を行っています。信仰することそのものが犯罪となる邪教集団ともまた別です」


「不純を正して世界を浄化って」

 聖兵アーキが軽薄に笑った。こいつは性格は悪くないのだが、表情や発言が癪に障りやすいという損な体質をしている。

「スゴいですね。世界クラスの神経質ちゃんですか」

「そう。実際アーキと同じく、真面目に取り合う人は少ないです。活動の頻度も少ない」

「何か……大したことなさそうっすね」

 ヴォールトの言葉に、俺は首を振る。

「そう油断してると、大きな被害を出してくる連中なんです。過去には不純な芸術が世界を乱しているとして、石像の連続爆破を実行し、複数の死傷者を出してます」

「うへえ……迷惑……」



「問題は、彼らが今何を不純と見なしているかです。アーウィン聖兵長。その情報は掴んでいるんですか」

 俺の問いに、アーウィン殿は重々しく頷いた。

「『混血』。奴ら、今回は人を狙い何かしでかそうとしている」


「『混血』」

 その言葉を復唱して飲み込み、ぞくりとした感覚が走る。

『わたし、実は獣人じゃないんです。半妖精、って言って分かりますか?』

 レストランで聞いた、ルレアの生まれについての言葉が蘇った。それは紛れもなく、人間と妖精の混血と言えるはずだ。

(あと、ソールガラさんもオーガー種亜人と人間の混血だったか)

 人間と亜人など他種族の混血というのは、交流の発生しづらさを差し引いても相当数が少ないはずで、そのうち二人が俺の両隣室に住んでいるというのも奇妙なめぐり合わせに思えた。

(……今というタイミングでそんな話が来ることが、よっぽど奇縁か)



「今後教会では、均衡調和会対策のために三つのラインを動かす」

 アーウィンは淀みなく話を続ける。

「第一に調査。別班が徴税簿、戸籍資料、洗礼名簿等々から情報を洗い出しているが、そこから拾えない情報も考慮し、巡回しながら警戒を呼びかけ、混血がどこにどの程度居住しているかを調べる」

「そうなると……各ギルドや自治組織から重点的に情報を得るべきですね」

 補足したのはリーアルだった。やはり彼女は頭の回転が早い。


「第二に警戒。収集情報に基づき、西部区画、南部区画、東部サンギネウム区は巡回を強化。東部リネア・リロバム区、ディ・セクタム区の混血住民については、教会管理下への一時避難を推奨。 北区は冒険者ギルドに一任する」

 教会管理下への避難、というのは、教会が付近にいくつか保有している建物に一時滞在させるということだろう。

(ディ・セクタム区の名前も出た……ルレアさんやソールガラさんには、そこに一時避難してもらうということか)


「第三に接触。均衡調和会への直接のアプローチだ。これも別班が主となり、ノルヴェイド都市衛兵隊とも協力して既に動いている。現状、お前たちが特段関わることはない」

 アーウィン殿の言葉に、ヴォールトが口をとがらせ小声で愚痴る。

「なんで関わりのない話するんすかね。覚えきれなくて混乱するだけっすよ」

「バカだな。あんくらい覚えられて当然だろ。ああいうのは後で覚えてる前提の話するんだよ」

 アーキが煽るものだから、俺は横から小声で付け足す。

「……正確に覚えていなくても、聞き覚えがある状態にしておけば良い。必要になったらその時改めて話すものだ」

「うっす……でもやっぱそれなら今話す必要はないんじゃないすか?」

「重要なんだよ、『聞き覚えがある』状態が」



 こうしているうちにアーウィン殿の話は終わり、役目を割り振る段に移る。

「アスカル。お前はディ・セクタム区に居住していたな」

「はい」

「では当該区の混血住民への避難呼びかけを行うように。ヴォールトを使え。仲が良いようだしな」

 これは雑談を見咎められての皮肉だろう。皮肉は嘘に入らないのか、と記憶に留める。

「気遣いありがとうございます」


 任務を仰せつかった俺は、踵を返してヴォールトに声をかけ、歩き出した。

「今日は一緒っすね! アスカルさんと仕事できるの楽しみだったっす」

「別に特別なことはしてないぞ」

「え~? でも赴任ゼロ日で事件解決したアスカルさんじゃないすか。一緒にいれば事件バリバリ成果モリモリ、昇給出世間違いなし!」

「……そんな噂が立ってるのか?」

「いやオレが勝手に考えてるだけで……あ痛っ」


 生意気な後輩の脇腹に肘を打ち込みつつ、俺は少しだけ考えた。

(ヴォールトを使えば、ルレアさんと顔を合わせずに済む……)

 彼女との関係について、時間をかけて解決しようとするならば、検討の価値がある選択肢に思えた。

 が、結局それはすぐに取りやめた。

(良い機会だ。仕事と避難勧告を名目に顔を合わせて、そこから……)


 ……そこから。

 そこから、俺はどうしたいのだろうか。



   *   *



 ヴォールトには一旦情報収集を任せ、俺は先にルレアの元へ向かった。

 ディ・セクタム区17章13節連棟住宅テラスハウス1号室。


(いないのか?)

 何度かのノックを経て、しかし返事も気配もなかった。

「お、どした?」

 そこへ、3号室からずいとソールガラが顔を出す。革のオーバーオールを身に着け、まさに今働きに出ようという出で立ちだった。

 彼女はオーガー種混血としての体躯と腕力を活かし、肉体労働者としてヘタな役人よりも稼いでいるらしい。


「すみません、ルレアさんがどこにいるかは分かりますか?」

「あ~、いないんだろ? で、今は月末でもないよな。じゃあ仕事だって」

「仕事」

 ぞくりとした感覚と共に思い出す。豊かな肢体の扇情的なドレス。『娼婦』。


「そう、ですか。……帰ってくるなら、夜の時間になりますね?」

「え? あ~……」

 ごつごつした手を自分の頭に置き、何か思案するソールガラ。少し躊躇わしかったが、俺は言葉を付け足す。

「彼女の仕事のことなら、知ってます」

「おっ?」

「水商売でしょう。偶然知りましてね。あまり隠す必要はありません」

「そうか……だからかい」


 ソールガラは太い腕を組み、唸る。

「あんたも嫌か、娼婦は」

「……」

 返事をせずとも、ソールガラは話し続ける。

「ルレアが娼婦だって知って、ベルメジは距離を取った。ビネロ婆さんは、酔っ払ってる時はいいが、シラフになるとやめさせようと説得する。バーバラ婆さんは気にしてないけどね」


「……ソールガラさんは?」

「気にしてないね」

 力強い断言。

「決まりを守って、体使ってカネ稼いでんだ。悪いことだってしてない。アタシと何が違う?」

「それは」


「まあ~アタシのことは良いんだけどさあ」

 俺の反論など聞く耳持たぬと言わんばかりに、ソールガラは畳み掛けてくる。

「ルレアはな~、アンタのことすごい気に入ってたんだぞ?」

「……そうですか」

「ああ。アタシは難しい字は読めないし、バーバラ婆さんは目が年寄りだからな。本なんて読めないんだ。そんなとこでやってきたアンタは、読む本の趣味までピッタリ合ってたんだろ?」

 あのレストランで過ごした時間を思い出す。俺たちは間違いなく、人生においても稀な同好の士で、確かな絆が結ばれていた。


(……それどころじゃない)

 あの夕方。

 仕事の気苦労を思いやって、夜を迎えるあの街並みを俺に見せてくれた瞬間。

 その瞬間に溢れた感情は――



『お前は、間違いに近づいてはいけない、間違いは、間違いを呼んでしまう』



「俺はそんな話をしにきた訳ではないんです」

 胸に鈍い痛みを覚え、俺は敢えて強い声を出した。

「なんだい、そんな話なんて言い方……」

「重要な話なんです。今この街には『均衡調和会』という厄介な連中が来ていて……」


 そうして俺は一通りの話を終え、ソールガラの理解を得ることができた。

「分かった。仕事が終わったらそっちに向かわせてもらうよ」

「ありがとうございます。じゃあ……」


「『ミエルエシャ』だ」

 ソールガラの口から異国の響きの言葉が出て、俺は少し動揺した。

「ルレアの働いてる店だよ。伝える必要があるんだろ? 今の話」

「ソールガラさん、場所が分かるなら伝えてもらっても……」

「これから仕事。方角も逆だし」


 あっけらかんと言って、ソールガラはのしのし歩き始める。見上げるほどの体格通りの大きな歩幅を追うには、俺は小走りになる必要があり、

「…………」

 しかしそんなことをすれば、いよいよソールガラに情けないヤツに思われそうで、結局そうはできなかった。

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