add. アーサー・コナンの後悔

アーサー・コナンの後悔

 私はアーサー・コナンだ。

 私がアーサー・コナンを名乗る作家だ。

 私のアーサー・コナンという名乗りには由来がある。



 私はこの世界においては、新騎士王国イノヴァシオンに生まれた。

 商人の娘だった。私はそこで、普通の人間としての生を享受した……10歳の誕生日までの話だ。


 準成人儀式というものがある。

 新騎士王国の伝統だ。子どもが10歳を迎える誕生日、魔女会に過去と未来を占っていただく儀式だ。


 そこで私は見て、知った。

 思い出した。

 生誕の前の暗闇。それより前に生きた、別の世界のことを。



 それから10年。

 商人である親の力も借りて、国中を調べ尽くした。

『その世界』の記録はないのか。

『その世界』の人間はいないか。


 新騎士王国に生まれた私だが、記憶の故郷は『その世界』だった。

 優先順位をつけることはできない。新騎士王国という地を、私は確かに愛している。それでも私は、もう半分の故郷を欲した。

 訪れることが不可能であれば、せめて『その世界』のことを少しでも深く知りたかった。



 本当に多くのことを学んだ。

 新騎士王国に生まれたことは幸いだった。この国では魔術と、魔術外技術――『その世界』の科学に似た技術系統という、二つ対照的な学問を取り扱っていた。その両面からこの世界のことを追求できたのは、本当に大きな収穫だった。

 この世界の知られざるルーツを数多く知った。

 この世界に秘められたルールを数多く知った。

 触れてはならない『異なる世界』のことすら。


 そして結局、私は私の記憶の故郷、『その世界』を見つけることはできなかった。



 だから私は学問から距離を置き、次なる方法に手を付けた。

 同じ境遇の者を直接探すことだ。今この時代に、新騎士王国の外までも、『その世界』の存在を広く語る。

 それにより、『その世界』の記憶の一端でも抱えている者に、同じ記憶の故郷がいることを知ってもらい、そして私へコンタクトを取ってもらいたかった。


 私は執着していたのだ。

 記憶の故郷、『その世界』の存在が、私一人の空想でないと証明することに。



 当初は『異界紀行』と称して『その世界』を語った物語を書いていた。

 魔力が存在せず、石油と電気が世界を回し、鉄の箱塔ビルが立ち並ぶ世界。


 結論から言うと、これは売れなかった。

 読者の手に届く以前、出版社に売り込む段階での頓挫だった。

 世界は奇妙で緻密だが、物語がつまらないという評――単純に、私に創作の才能はなかったのだ。



 だから私は、盗作をすることにした。

 私の記憶にある限り、『その世界』で最も有名で面白かった物語。

 19世紀ロンドン。全ての嘘を切り裂き真実を暴く、ディティクティブの帝王。

 名探偵シャーロック・ホームズ。

 その伝説的冒険譚を。



 盗作はそれなりに上手く行った。

『異界紀行』を無下にしていた出版社たちも、これには食いついた。この世界で受け入れられるためにいくらか設定を弄り、表題を『探偵騎士シャルロック』と変えたが、特に第一作『緋色の研究』については、原案をほとんどそのまま採用することができた。

 筆名をアーサー・コナンとしたのも、私を発見してもらうことが目的だ。庶民が三節の名を持つことが、新騎士王国ではたとえ筆名でも許されなかったために半端な模倣となってしまったが、この名に引っかかりを覚え、表題に『シャルロック』、あるいは『緋色の研究』の名があれば、『その世界』の知識を持つ者であれば必ずやその意味に気付くだろうと思った。

 異なる世界を記憶に持つ、同郷者の存在に。



 ……4年が経った。

『探偵騎士シャルロック』は続刊も出て、それなりに売れた――そう『それなり』だ。


 物語を盗もうと、私は結局、作家としては凡庸だったわけだ。

『その世界』でシャーロック・ホームズが巻き起こした熱狂を、私は到底再現できなかった。


 もしこの世界で、私とは異なるルーツをたどり、しかし『その世界』の記憶を持つ私がもう一人いたら、元の作品と比べて見る影もなく劣化した『探偵騎士シャルロック』を読み、こう思うだろう。

 食い詰め者が、恥も外聞もなく『記憶の故郷』の名作を盗んだのかと。

 そしてこのアーサー・コナンなる著者のことを、記憶の同郷者とは思うまい。

 単なる恥知らずの盗作者だ。



 しかし、私も止めることはできなかった。

『それなり』止まりではあったが、それでも『それなり』に売れ広がっているのが探偵騎士シャルロックだ。雑誌には連載を持ち、毎月いくつかのファンレターが届き、次なる作品を常に待望される身分となったのだ。

 そして私はまた盗作に手を染める。探偵騎士シャルロックは、数少ないながらも海と山を越えて世界中に流通している。

 つまり、この世界のどこかにいるかもしれない『その世界』の記憶を持つ者の手に渡る可能性は、まだ残っているのだ。

 その可能性があるかぎり、私は一冊でも多く、『その世界』の名作を出版しなければならなかった。


(……やはり『魔の犬』は駄目だ)

 黒板に思い出せる限りの要素をまとめながら、私は思う。

(この世界に『魔の犬』とも呼ぶべき魔獣は多すぎる。原案のニュアンスを加味すれば、もっと恐ろしい存在にしなければならない。『神の牙』……いや、『神罰の狼』か……)



「アーサー先生~」

 ドアをノックする音。身辺の世話をさせているメイドだった。私はメガネをかけ直して顔を上げる。

「なんだ!」

「お客様ですよ~。お約束をしていたという話ですけど~」

「何だと……」


 私は時計を見る。確かにその時間、客が来るという話はあった。

(確か何かのパーティーであった貴族から勧められたんだったか……何の客だったかな)


「お通ししても~?」

「入ってもらえ! 私もすぐに行く」



 ほとんど全裸だった私はすぐさま身支度を整える。幸い、客が来る直前までリラックスできる状態でウンウン唸るのは日常のことなので、相手を待たさぬ身支度には慣れっこだった。

 応接室のソファに座っていたのは、まだ若い青年だった。格式張っていない気軽な装いで、私は少し安心した。こちらも肩肘を張らずに済む。


「はじめまして」

 アルカイックな笑みを浮かべ、若さの割に落ち着きがある声音で、青年は名乗る。

「自分、行商をしております、ノアーティと申します」

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