嫌いな本のこと / 対均衡調和会特別警備 - 5

 窓から差す陽光は温かく、正午が近いことを示していた。

「そろそろ行かないと」

 言い訳のように漏らして、紅茶を飲みきる。ルレアは俺を見て、少し考えながら口を開いた。

「どうでしたか? わたしを読んだ感想は」

 その響きが妙に蠱惑的で、俺は誤魔化すように視線を逸らす。

「からかわないでくださいって言ったじゃないですか」

「ええ~、アスカルさんが言い出したのに……」

 ころころ笑うその表情も、やっぱり俺は直視できない。


「……どんな理由があっても、娼婦は娼婦ですよ」

 俺の正直な気持ちを伝える。

「ルレアさんがその仕事でお金を稼いで何をしたいかは理解できました。だからってあなたがそういうことを……体を売っているのが平気になる訳じゃない。それは……『間違い』です」

「そうですよね」


「何か他に方法はなかったんですか」

「わたし個人でやれることは、これが最善だったと思います。あとは、それこそ……お金持ちに取り入るとか? いわゆる愛人業ですね。わたし、お酒がちょっと難しいので、そっちは断念したんですが……」

「……そういう方向ではなく」

「誰かを傷つけることはしたくない。犯罪もナシ。だったら、もう……ギャンブルくらいしか残りませんよ」


 その方が良かったですか? と困った笑みを浮かべるルレアに、俺は答えを返せない。

 その方が良い訳がない。だが現状が最善だとも、認め難かった。


 ただ、確かなことはある。


「知れて良かったです」

 それは間違いなく本心からの言葉だ。

「娼婦のあなたではなく……娼婦という道を選んだあなたのことを、むやみに嫌ったりはできません」

 自分を助けたものに恩を感じ、人生を懸けてそれに報いようとする。名前も顔も知らない、自分と同じ境遇の誰かを助けようとする……その姿勢を。

「――尊敬します」



「…………」

 ルレアは大きな目をいっそう丸くして。耳をぴんと立て、見たことのない顔をしていた。

 驚きの表情だ。


「……もう」

 やがて、耳がしなりと倒れて、ルレアの方が目を逸らす。長い前髪に、その表情は隠されてしまった。

「そんなこと言われるなんて」

「本心です」

「そうだって分かるからなおさら困るんです」


 それに、とルレアは俺を見る。

「あんまりこういうの、素直に信じちゃ駄目ですよ」

 その頬は僅かに赤く、唇を尖らせて、どこか拗ねたような表情だった。

「わたしはしませんけど、オーバーなこと言ってお客さんを捕まえるような子、多いんですから……アスカルさん、そういうのに引っかからないでくださいね」


「……それは大丈夫ですよ」

 何せ俺には『真実の門焚』がある。

 おかげで俺に嘘は通じないし、ルレアの言葉がすべて真実であることも分かる。

 彼女と話していて、嘘の熱を感じたことは一度もない――それもまた、彼女のことを好ましく思う一因だ。

「本当かなぁ」

「本当です」

 『門焚』の存在を人に知られてはいけないという制約がなければ、このことだって明かしてしまいたかった。



「あの」

 部屋を後にする前に、ルレアを振り返る。彼女は紅茶の片付けをしていた。

「しばらくは『均衡調和会』の対応に追われるので忙しいんですが、じき時間を作ります。ですから、それが落ち着いたら……」

「会ってくれますか?」

 言おうとした言葉をルレアに取られ、俺はぎこちなく頷く。

「はい。……俺が言おうとしたんですけど」

「ふふ、知ってます」


 ルレアはフードを被り直す。

「わたしも、努力します。仕事中のわたしを、アスカルさんに感じさせないように。そうしたら……」

 そこまで言って口を閉ざし、ルレアは俺をじっと見た。前髪の薄い幕越しに、緑の瞳が見上げてくる。

「……?」

「あっ……」

「あ……?」

 察し悪く、単音を鸚鵡返しするだけの俺を見て、ルレアは楽しげだった。

「て」

「あ、て……あ、ああ。会ってくれ、ますか? ……ですか?」


 先ほどのように、相手に言いたいことを取られる遊び(?)をしたかったらしい。

 ぎこちなく返した俺に、ルレアが珍しく、口を開けて笑った。

「あははっ、もう……鈍感な人」


 温かで、愛らしい笑顔。

 春の陽射しを出迎えるように、小さくともめいっぱいに咲く花のような。


(ああ)

 それを見て、俺は気づくのだ。

 少し前、終わりだな、なんて格好をつけていた自分の馬鹿らしさに。

(ああ、くそ)

 俺という男は、彼女に関することの何一つも、きっとまだしばらく、終わらせられないだろうということに。



   *   *



 それから三日が経った朝、事件は急展開を迎えた。


「均衡調和会への特別警備任務の一切を中止する」


 聖兵長アーウィン殿の言葉に動揺したのは、俺だけではなかった。

「どういうことですか? 昨日も私、均衡調和会に備えるためにって、色々遅くまで調査をさせられたんですけど……」

「そ、そうすよ。俺も避難してるばあちゃんに部屋に文句言われて、屋根を直す資材を準備したばっかだったのに……」


 神聖術師リーアルが真っ先に文句をつけ、最年少聖兵のヴォールトもそれに続いた。他に何人かの聖兵が声を上げ、アーウィン殿はそれが落ち着くまで、しばらく黙り視線を巡らせていた。


「お前たちの不平はもっともだ」

 やがてアーウィン殿が低い声で告げた。

「しかしこれは決定事項だ。そもそも当作戦自体、元よりノルヴェイド都市衛兵隊の依頼を受け、その連携を前提としたものだった。その衛兵隊より、事態の解決が告げられたのだ」

「……均衡調和会の連中を撃退したか、お帰りしていただくよう丁寧に説得でもしたんですかね?」

「そんな所だろう。少なくとも、本件はこれで終わりだ。避難させていた混血市民も、順次自宅に帰らせろ。その完了をもって特別警備任務を終了とする」


 アーキが半笑いで尋ねても、アーウィン殿は石のような面構えで返すだけだ。集められていた聖兵たちが、口々にささやかな不平を言い合いながら動き始める。

 そんな中俺は、アーウィン殿に近づき、小声で尋ねた。


「一つ良いですか」

「何だ」

「アーウィン聖兵長はこの決定……衛兵隊からの報告に、不審さを感じているのですか」


 じろりと俺を見て、アーウィン殿は答える。


ΦΦΦΦΦΦΦΦ。邪推は止せ、アスカル」



(考えるまでもなく肯定か否定ができる問いをすれば、シンプルで解釈しやすい発言を引き出せるわけだ……)

 頭の中で『真実の門焚』の使い方を整理しつつ、突如として湧いたもう一つの問題についても意識を傾ける。


(……結局、この騒動は何だったんだ?)

 アーウィン殿は確かに頑迷な人だ。

 だがその一方で、実力は年齢相応にある。特別警備任務にあたっての『調査』『警戒』『接触』のライン分けと、この三日間の進め方は見事だった。

(そんな人が不審さを覚える決定が下された)


 そうなると臭うのは、アーウィン殿に情報を提供し協力体制を取っていたノルヴェイド都市衛兵隊となるが……

(探りを入れる足がかりがないな)

 赴任して日も浅く、教会で仕事をしつつ人間関係に溶け込むので手一杯で、教会以外の組織、しかも役所への関係構築はまだできていない。

 ゼロからの調査は難しいだろう。せめて何か、少しでも取っ掛かりがあれば別なのだが。



(……取っ掛かり)

 そこで思い出したのは、娼館街だ。

 言うまでもなく、あそこに出入りするのは金のある男どもである。彼らは娼婦を相手に酒を飲みながら、目一杯の隙を晒しに行く。

(衛兵隊となれば、上層はまあ男だろう。ノルヴェイドの性質からいって、給金も存分に積まれているはずだ。だったらあそこに出入りしているヤツだって、そこまで珍しくもないはず)

 そして俺には何より、ルレアという娼婦の知り合いがいる。彼女に情報を集めるよう頼んで――



「……ないな」

 結局その案は、検討の途中で捨て去った。

 可能ではあると思う。ルレアに頼めば、きっとそれくらいのことはやってくれるはずだ。あの日、一緒に6号室を調べた時のように、いっそ楽しんでくれるのではないかとすら思う。


 だが彼女は俺に、娼婦の一面を見せないようにする、と言った。

 それは間違いなく、その側面を嫌う俺のための配慮だ。

 そんな彼女に、娼婦であることを利用した依頼などできるわけがない。


(今回の件は仕方ない)

 結局俺は、そう結論付けた。

(ただ、今後また今回のような妙な動きがあった時に、別口で探りを入れる方法はあった方が良いな……)

 そんなことを考えながら、俺は避難の終了を告げるべく、ルレアやソールガラの滞在している部屋へ歩き始める。



   *   *



 結果から言って、俺はこの判断を後悔することになる。

 もしこの時点で手を尽くしていれば、あるいは防げたのかもしれない。



 あの痛ましい殺人を。

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