第10話

「ごめん。いるか?」


 昼下がり、骨董屋鬼灯ほっとうやほおずきの、滅多に開かない戸口が開く。

 小袖を着崩したままの鬼灯ほおずきは目の上に手を当てて入り口を見る。入り口には着流し姿で笠を被り、刀と脇差を差した者が立っていた。


「ん~、その声は・・・・・・榊原の旦那かぃ? 取り敢えず入りなよ。

 それと今、何刻?」


 鬼灯ほうずきの言葉に榊原は黙って見世みせの中に入ってきた。それでも笠は取らない。


「・・・・・・飲んでいたのか?

今は朝五つ(朝8時位)だ。

それと目のやり場に困るから小袖を直せ」


 その言葉に鬼灯ほうずきは顔を曇らせた。

どうやら朝五つ(朝8時位)という言葉に気を悪くしたようだ。

 しかしすぐににやりと笑う。


「おやおや、旦那。

あたしのような醜女しこめに欲情したのかぃ?

吉原はすぐそこなのにねぇ?

一度行ってから出直してくるかい?」


 そう言ってくすくすと笑う鬼灯ほおずき

 しかし榊原は何も返事を返さず黙って立っていた。


「・・・・・・ったく。お堅いねぇ、榊原の旦那は。

まあいいさね。

とりあえずこっちに上がりなよ。酒が良いかい?

それとも白湯さゆが良いかね?

因みに茶のような良い物は今は無いよ」


 鬼灯ほおずきは徳利から湯飲みに白濁の酒を注ぎながら小袖の崩れを直す。


白湯さゆで良い」


 榊原は一言だけ言うと腰から二本を抜き、鬼灯ほおずきの隣に座った。


「旦那、中では笠は脱ぐ物ではないかい?」


 鬼灯ほおずきの言葉に榊原は答えない。さすがの鬼灯ほおずきも榊原の様子に不信感を抱く。


「ちょいと旦那、どうしたんだい?

もしかして怖じ気づいたのかぃ?」


 ひょいと不意を打ったように鬼灯ほおずきが榊原の笠の中を覗く。そこには顔色を真っ白にした顔があった。

 唇も青い。本来なら反応できそうな動きにも榊原は対応出来ていなかった。


「・・・・・・旦那ぁ、本当にぶるっちまったのかぃ?」


 目を細める鬼灯ほおずき

 その問いにも答えず榊原は出された白湯を手に取った。その白湯の入った湯飲みはふるふると震えている。


「ああ、ああ、そうだ。

 寄騎よりきの中でも最強といわれている儂が・・・・・・。闇の中へ足を踏み入れると決めたのにな。

何故か、何故か」


 そう言うが熱い白湯さゆを一気に飲み干す。その様子を見た鬼灯ほおずきは呆れた表情を浮かべた。


「榊原の旦那。まだ引き返せるよ。秘密さえ守ってくれるのならね」


 鬼灯ほおずきは表情を緩めやんわりとした視線を向ける。熱い白湯さゆを飲み干した榊原は震えていた。


「・・・・・・鬼灯ほおずき。違う、違うんだ。

嬉しいんだよ。嬉しいんだ・・・・・・。

己のこれまで鍛えてきた武を思う存分振るえることが嬉しくてなぁ」


 ゆっくりと笠を外す榊原。その顔を見て鬼灯ほおずきはにやりと笑う。

 そう、榊原のかおは笑っていたのだ。


「へぇ、良いかおするじゃぁないかい? ぞくぞくするねぇ。

一度殺りあってみたいものだねぇ」


 鬼灯ほおずきの言葉に榊原は更に笑う。


「さあ、鬼灯ほおずき

儂の仕事はなんじゃ?」


 暗い見世の中で不気味に笑う鬼が弐匹。


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■


 鬼灯ほおずきは事の次第を細かく榊原に話す。

 榊原はその間、一言も口を挟まずに黙って聞き手に回っていた。


「と、いうわけさね。

旦那に頼みたいのはお江戸に入ってきた姉川と鍋島なべしま、黒田の連中がいるかを探って欲しいんだよねぇ」


 榊原は腕を組みうつむいている。

 鬼灯ほおずきは先日言わなかったこと、全てを榊原に話した。

 西国の大家が関わっている事だ。情報を渡さないことは即、死に繋がる。

 鬼灯ほおずきの中では榊原はかなり動揺すると踏んでいた。その榊原は暫くしておもむろに顔を上げる。

 特に動揺などは無いようだ。


「あい分かった。その程度ならば明日には何とかしよう。

で、入った連中の事だけで良いのか?

中に元々いたその三家の連中は?」


 榊原の問いに鬼灯ほおずきは考え込む。

 江戸の中に入ってきた親子の事しか頭に無かった鬼灯ほおずきは江戸の中の動きには一切気を配っていなかったのだ。

 実際事件があってからまだ数日。

 鬼灯ほおずきもそこまでまだ手を回していなかった。


「あ~、そうだ、そうだよねぇ。中にも連中はいるんだよねぇ。

そしたらさぁ、姉川家の中に六尺ほどで細身の男、姉河流鑓術あねかわりゅうやりじゅつ二刀鉄人流にとうてつじんりゅうを使う者がいないかも調べることができるかぃ?」


「ん? あぁ、それは問題ないだろう。

二刀鉄人流にとうてつじんりゅうなんぞ珍しいからなぁ。

槍に関しては姉河流と言ったが特徴は?」

  

 榊原も姉川流には聞き覚えが無かったようだ。

 そこで鬼灯ほおずきは特徴を説明する。


「まあ、簡単に言えば鉤鎌かぎかま付きの槍を使う流派だ。元は宝蔵院ほうぞういん流らしいけどねぇ。

あっ、旦那。見つけるのはい良いけど手、出しちゃあ駄目だからね。

旦那のかお視たらさ、なんか殺っちまいそうだからね」


 鬼灯ほおずきの言葉に榊原はきょとんとした表情を浮かべる。


「・・・・・・旦那ぁ。本気で殺るつもりだったね。

駄目だよ。

今回はそういう事じゃあないんだ。

旦那の表の顔、そっちでの解決を促すための探りだからね。

まぁ、職業柄対応しないといけないのもあるけどね。そこら辺は改めて説明するよ。

で、・・・・・・旦那が考えているそういう仕事は、からさ」


 ばつの悪そうな表情を浮かべる榊原。


「う、む。儂としたことがの。興奮しすぎたようじゃな。

鉤鎌かぎかま付きという事はあの親子を殺った下手人って事か?」


「まぁ、そういうことだね。絶対手出すんじゃないよ、旦那」


「分かった、分かった。

では、明日、暮れ六つくれむつ(18時)から宵五つよいいつつ(20時)の間にはここへ参ろう」


 そこまで言うと榊原は笠を被り立ち上がる。


「あ、旦那。これ、持って行きなよ」


 鬼灯ほおずきが小さな袋を投げて寄越す。榊原はそれを上手く掴むと顔を顰めた。


「・・・・・・五枚? 

これは?」


「あぁ、前金さ。今回は儲けは無いけど報酬は払わないとね」


 榊原はもう一度手の平で袋をなぞり複雑な表情を浮かべる。


「足りないかい?」


 鬼灯ほおずきの言葉に榊原は溜息をつく。


「いや、寄騎よりきやっているのが馬鹿らしくなってな」


 小さな袋を懐に仕舞いながら腰に二本を差す。


「では明日、先程の刻限に」


 そう言って榊原は骨董屋鬼灯こっとうやほおずきを後にするのであった。


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■


「う~ん。面白そうだったから誘ったけど・・・・・・、とちったかねぇ」


 榊原が帰った後、鬼灯は湯飲みの中の酒をちびちびと飲みながら先程までいた榊原の事を考えていた。

 先日、番屋で話したときには問題は無いと踏んでいたのだが今日の様子を見て心配になっていた。


(まぁ、あたしもこの生業を始めたときはあんな感じだったかなぁ。

問題は予想以上に好戦的だってことだねぇ)


 今日の榊原の様子は番屋で話した時、今まで客として訪れていた時とは根本的に違っていたからだ。

 闇の中に足を入れると決めた時の榊原にはまだ、武士の心が残っていた。

 しかし先程の榊原は全く別物であった。

 これには表情には出さなかったが鬼灯ほおずきも驚いていた。

 そしてもう一つ、榊原の技量を完全に見誤っていたからだ。


(枷が外れた武士ってやつは・・・・・・。

 あれは武士ではなくさむらいってやつだねぇ。

 有能かどうかは明日には分かるが・・・・・・、少し暴走しないように気を配ってやる必要がありそうだね)


 鬼灯ほおずきは溜息をつきながら湯飲みに残った酒を飲み干し、小銭を握って見世みせの外へと出て行くのであった。

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