第17話

 鬼灯ほおずきは見世を出て、真っ直ぐと馴染みの酒屋へと向かう。

 そこはつけ売りではなくその場その場での現金売りをしてくれる数少ない見世みせだ。このような見世みせを鬼灯は数件確保している。

 それはいつ死ぬかが分からないような仕事をしている鬼灯だからこそであった。


「ど~も~。

酒を売ってほしいのだけど~」


 鬼灯ほおずきの間延びした声に馴染みの売り子が【またか・・・・・・】という多少げんなりとした表情を浮かべる。

 それでも毎日一回、下手をすると二回は買いに来てくれる上客だ。しかも酒に酔ってくだを巻いたりしたことは今までに一度も無い。

 そして金払いの良さは大したものである。


「やあ、鬼灯ほおずきさん。

昨日買ったやつはどうしたんだい?」


 馴染みの売り子の声に鬼灯は口でへの字をつくる。


「あれっぱしの量じゃあ一晩でなくなっちまうよぉ。いい加減樽で売っておくれでないかい?」


 鬼灯ほおずきの突拍子の無い申し出に売り子は苦笑いを浮かべた。

因みに鬼灯ほおずきの欲しいといった酒は特別な酒で、かなり酒精が強い酒だ。

これは江戸の中でも珍しく、年に二~三樽しか入荷しない。


「確かに売るのはやぶさかじゃあないんですけど、他の者達の楽しみというものを一人で奪うってのはどうかと思いますがね」


 売り子の言葉に鬼灯ほおずきは【ぐぬぬぬぬ】と唸る。

酒は庶民の楽しみの一つだ。

江戸の町では絶えず大酒飲み大会、大食い大会などが開かれている。

鬼灯ほおずきもよく参加して景品をもらっているのだ。

因みに大酒飲み大会の景品は酒なのだが・・・・・・。


「ま、まぁいいや。

これを徳利で二つと普通の諸白もろはくを樽で届けておくれでないかぃ」


 そう言いながら鬼灯ほおずきは懐から小判を出す。


「そりゃあ良いけどよ。

それはちいと換金がめんどうでぃ。一分判で三枚な、あるか?」


 鬼灯ほおずきが小判を出したのを目敏く見つけた見世みせの店主が売り子の小僧と替わる。

 酒屋の男の問いに鬼灯ほおずきは溜め息をつくと、袖の中からちゃりちゃりと一分判を三枚取り出し男へ渡した。


「はぃ、まいど。

で、夕刻で良いか。

大体昼七つ《16時頃》過ぎになるが?」


「それでいいよ。

あたしもこれから夕餉の材料とつまみを買いに行くからね」


 鬼灯ほおずきの言葉に酒屋の店主は微妙な表情を浮かべた。


「・・・・・・特に昨今の生類憐令しょうるいあわれみのれいは酷い。前よりも食べられるものが減ったからな。

酒のつまみに関しては最悪に近い。

 困ったもんだね」


「まったくさ。

公方様にも困ったものだねぇ。

・・・・・・喰うけどね」


 にやりと笑った鬼灯ほおずきの目の中に【喰いたいものは絶対に喰う】というような怪しい光が宿る。


「ちげえねぇな。

まぁ、やりすぎて捕まるなよ。ただでさえ昨夜から町方がすごい数走り回ってるんだ。

 少しは控えなよ」


 酒屋の店員の言葉に鬼灯ほおずきは手をひらひらと振って酒屋を後にする。


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□


 (ついて来てるねぇ)


 鬼灯は酒を買った後、今度は夕餉ゆうげとつまみを探すために別の見世みせへと向かっていた。

 酒屋を出た辺りからつけているものがいる。

 着かず離れず、二町程。


 (さぁて、どうするかね。

 折角の夕餉ゆうげを邪魔されたくはないし。見世みせも壊されたくないし。

 誘うかねぇ)


 少し遠回りをして鬼灯ほおずきは目的の見世へと歩く。その間ずっとつけ回すだけで仕掛けては来なかった。

 鬼灯ほおずきは馴染みの見世みせに入り、見世みせの更に奥へと入ってゆく。

 そこまで入らないと買いたいものを買えないからだ。


「どうも~、例のもの買いに来たんだけれど、ある?」


 鬼灯ほおずきの問いに馴染みの見世みせの店主は黙って頷いた。


「禁制品だからな。

少し高いうえに量は売れないが良いか?」


 店主に頷き返す。

 店主は鬼灯ほおずきが入った更に奥に入ってゆき、荷物をごそごそとあせくる。

 暫くして手の平に乗る程度の包みと中が見えない小さな入れ物を持ってきた。


「ほれ、牡丹ぼたんの生と干した物だ。

誤魔化しの為に周りは食べられる野草で覆ってある。

全部で二分と五百だ」


 鬼灯ほおずきは袖口から三分取り出し店員に渡す。


「釣りはいいや。

持ち歩くの面倒だしねぇ」


 鬼灯ほおずきは分判を使っているが普段、庶民はこのようなものは使わない。

基本的に分判などを使うのは武家か商家、遊女程度だ。

普通の庶民が使うのは一文銭と四文銭。しかも持ち歩くのは数枚から百枚程度。

基本的な支払いはつけ払いが基本である。

 先程の見世みせとこの見世みせが分判を扱えるのは武家と取引があるため扱えるだけだ。

もっとも後者はもっと別の所とも取引があるのだが・・・・・・。

因みに鬼灯ほおずきは五百文をただで渡すほどお人好しでは無い。

 そこいらの商売人が引くほどの守銭奴だ。

単につけて来ている者がいるので五百文を持ち歩くのはつらいし、争いになってそこら辺にぶちまけるのが惜しいので、どうせ世話になっているからと思っただけなのだが・・・・・・。


「そうかい。じゃぁ預かりということにしとくよ。

で、これは持って帰るのかぃ?」


 店主の問いに鬼灯ほおずきは首を振る。


「すまないが届けておくれ。

そうだなぁ・・・・・・、暮れ六つ(18時頃)くらいに頼めるかねぇ」


 鬼灯ほおずきの言葉に店主は頷いた。


「そうだな、その刻限の方が此方としても有り難い。

届け賃で百文引いとくぜ」


 鬼灯ほおずきは黙って頷くと【よろしく】と言って店を出た。


 (まだいるねぇ。

 まったくしつこい奴は嫌われるのにね)


 今度は自宅件見世みせとは真逆の方向へ歩き出す鬼灯ほおずき

 それを追うようについてくる。


 (一人・・・・・・か? 

 密偵みたいなものかねぇ。

 探りだけなら放置でも良いんだけど・・・・・・殺る気満々なんだよね)


 鬼灯ほおずきはそれとなく人目の少ない場所へと徐々に近づいてゆく。

 気がついていないのか、気づいていてあえて誘いに乗っているのか、つかず離れずついてくる。

 暫くするとほとんど人の往来が無い所へと辿り着いた。

 ふと、鬼灯ほおずきは立ち止まる。気配も同時にその場に止まった。

 間は二町と変わらない。


「つけてきているんだろ、誘ってやったんだ、出てきな!」


 少し強い口調で話しかける鬼灯ほおずき

その言葉に対し、これまで近づいて来なかった気配が一気に間を詰めてきた。

慌てて胸元から短刀を引っ張り出す。

抜くと同時に圧力が鬼灯ほおずきを襲う。

 鬼灯ほおずきは短刀で受け流さず、一刀目を体捌きで二刀目を飛び退いて回避する。


「・・・・・・躱しやがるか。

相変わらずの化け物ぶりだな」


 相手の顔を見て鬼灯ほおずきの口角は思わず引きつっていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る