第4話 


「へぇ、肥前ひぜんからわざわざ江戸まで来たのかぃ」


 鬼灯ほおずきは湯飲みに熱いお茶を注ぎ三十路ほどの女の前に出す。童子わっぱはお茶も飲まずに見世みせの中を見て回っている。


「はい、肥前ひぜんからある者を追って参りました」


 それだけで大体のことを察する鬼灯ほおずき


「・・・・・・仇討ちかい?」


 鬼灯ほおずきの言葉に三十路ほどの女は黙って頷いた。

 暫しの沈黙。


「相手は? 武士かい?」


 三十路ほどの女はふと視線を天井へと向ける。

 暫く沈黙したあと口を開いた。


「はい、肥前ひぜん姉川あねかわ家の武士です。わたくしの亭主は肥前姉川家ひぜんあねかわけ勘定方かんじょうがたの者でした」


 肥前姉川家ひぜんあねかわけ

 肥前ひぜんと言えば外様でも規模の大きい鍋島なべしま家が有名である。

 そこからうしとら(北東)、黒田家の治める地の間に姉川家は存在する。石高は小さく三万石程度、山間部に位置し、主に材木を他家へ流し収入としている小領だ。


「で、何でまた勘定方かんじょうがたの奥方が仇討ちの旅なんだい? 勘定方かんじょうがた絡みなら主家が動くだろう?

それとも主家が動かない、動けない程物騒な事にでも首を突っ込んだのかねぇ」


 勘定方かんじょうがたの武士が殺された。

 どう考えても公金横領、代官の搾取さくしゅ、下手をすると姉川家自体が絡んだ金子きんすの問題であろう。

 そしてその下手人を追っている若い二人。

 主家が動けていない段階で、まぁ失敗は目に見えている。


「まぁいいさね、それで仇討ちの許可は?」


 鬼灯ほおずきの問いに三十路の女は黙って首を横に振る。さすがの鬼灯ほおずきも口を開いたままだ。


「・・・・・・あんた、主家の許可無しで追ってきたのかぃ。・・・・・・呆れたねぇ」


 仇討ちには手順がある。

 まず、主家に許可を貰う。

 見つけたら仇討ち。

 見事打てたら奉行所に人殺しの罪人として一度捕まる。

 主家の許可証を詮議せんぎし問題が無ければ無罪放免。

 また、逆に討ち取られた場合は相手方は無罪放免。

 もっとも仇討ち以外の事で追われていたら別ではあるが・・・・・・。


 そして領外へ出る場合は主家より幕府へと話が行く。そこで各奉行所の詮議せんぎがあり、許可が出次第全国を廻り仇討ちが出来る。

 目の前の女と見世みせを見て回ってる童子わっぱはその手続きを省いたようだ。


「ん? 主家の姉川家は仇討ちを認めなかったのかい?」


 鬼灯の問いに女は暫く沈黙する。

 ゆっくりと時間をかけた後、事情を話し始めた。


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□


「実は姉川家と鍋島家なべしまけ、黒田家からも追っ手が出ています。

【仇討ちは諦めて任せろ、動くことはまかり成らぬ。動くと不幸になる】とだけ言われています。

何故亭主が殺されたのかも分からない上に説明すらありません」


 三十路ほどの女は溜息を吐く。鬼灯ほおずきはその言葉を頭の中で反芻はんすうする。


(ああ、やっかいなことに足を突っ込んだかぁ・・・・・・。

勘定方かんじょうがたの下っ端が斬られて主家の追っ手が動くのは分かる。

余程のことなのだろう。

 しかし主家の姉川家だけではなく隣家の鍋島家なべしまけ、黒田家からもねぇ。その二家からの追っ手となると相当の手練れが出ているはず・・・・・・。

 余程どころじゃないね、これ

 しかも主家の止めを振り切って仇討ちね・・・・・・、最悪だよぉ)


「で、あんたはおとなしくしておくことが出来ずに国を出た・・・・・・と?

得物を持たずに出たのは仇討ちと悟られない為かい?」


 鬼灯の問いに女は黙って頷いた。鬼灯ほおずきが溜息を吐く。それも特大のを。


「あんたさ、多分ばれてるよそれ。

えらいことになる前に肥前ひぜんに帰った方が良くないかい?

傷心癒やしの旅に出ていたことにしてさぁ。 

仇討ちしたい相手がどんなのか知らないけどさ、鍋島家、黒田家の追っ手という程なら相当の手練れだろう?

下手人は討たれるよ?

それだけでかい家なんだからさ。あんたもそこら辺は承知しているはずだけど?

 大体西国のでかい家が二つも動いているんだ、ただ事じゃあないよ。

下手すればあんたらも主家、鍋島家、黒田家辺りから消されるよ」


 鬼灯ほおずきの言葉に女は手を握り締め俯いて聞いている。

 その様子を見たのであろう、見世みせの中を見て回っていた童子わっぱが二人のもとへと駆け寄ってきた。


「母上を虐めるな!」


 大きな声で鬼灯ほおずき威嚇いかくする童子わっぱ

三十路ほどの女は【はっ】として顔を上げ慌てて手で制す。


「はははっ、元気の良い童子わっぱだ。 

まぁ、止めてどうこうなるようでは無いね。

たださ、その事情じゃあ誰も売ってはくれないと思うよ。

 それとさぁ、その事情、あちこちで話していたりしないようねぇ・・・・・・って、してるのかぃ?!」


 鬼灯ほおずきの言葉に三十路ほどの女はじんわりと涙を浮かべ唇を噛みしめる。沈黙と静寂が見世の中を覆う。

その沈黙と静寂せいじゃくを大きな溜め息とともに最初に打ち破ったのは鬼灯ほおずきだ。


「ま、普通の見世みせじゃぁ無理だねぇ。で、どれ位出せるんだい?」


 もういとまをしようと思っていた三十路ほどの女は勢いよく顔を上げる。そこには手のひらを上にしてにやりと笑う鬼灯ほおずきの姿があった。


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 結論から言うと非常に足りない。

 母親が出した金子は伍両と参分ほどであった。

正直なところまったく足りない。

それで二人分だ。

 鬼灯は何とか二人が生き残れるような得物えものと武具を用意しようと思ったが、良くて刀一振りというところだ。

それも数打ち物がやっとである。


 「う~、さすがにこの金子きんすではなぁ」


 まさかここまで金子きんすを持っていないとは思わなかった鬼灯ほおずき

 一応この金子きんすでやるつもりだったのかと尋ねたところ、肥前ひぜんからの旅でかなりの金子きんすを消耗したということ。

そしてやはり世間知らずでかなりぼったくられていたことが分かった。

 母親は顔を真っ赤にして俯き、童子わっぱは何があったのかと親の顔を覗き込んでいる。

 そして鬼灯ほおずきは頭を掻きながら在庫の山を漁っていた。


 「これ・・・・・・、これ!」


 突然、部屋の隅を漁っていた鬼灯ほおずきに声が掛かる。

 童子わっぱの声だ。

 母親も童子わっぱの方へ顔を向けている。童子わっぱの手の中にはちょうど手に収まる程度の巾着が握られていた。

鬼灯ほおずきはゆっくりと近づき巾着きんちゃくを受け取り中身を確認する。同時に童子わっぱの母親も覗き込む。

童子の差し出した巾着きんちゃくの中には無数の銭が入っていた。

 その中身を確認した鬼灯ほおずきの口から【信じられない】という言葉が漏れ、童子わっぱに問う。


「あんた・・・・・・、どうしたんだぃ? これ・・・・・・」 

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