それぞれの思惑

第19話

「なんだ? あの化け物は・・・・・・。

まぁしかしこれだから面白いのだがな」


 生駒犀角いこまさいかくは二本の刀を磨きながら呟いた。

今いる場所は江戸での隠れ家である。

 先程、骨董屋の女と殺りあったばかりだ。そして軽くではあるが手傷を負わせることが出来た。しかし仕留めることは出来なかった。それは犀角さいかくが姉河家から暗殺されかけてから二度目の事である。


犀角さいかく! 失敗したというのは本当か!」


 暗がりに急に光が差し込み、目を細める犀角さいかく。雇い主がどたどたと階段を降りてくる音を五月蠅く感じながら返事を返す。


「ああ、本当だ。 

あれは化け物だ。

本当にあれを殺すのか?

俺の攻めを二回も生き残ったのは奴が初めてだぞ」


 犀角さいかくの問いに二人の間に微妙な雰囲気が流れた。


「怖じ気づいたか?」


 ぴくりと犀角さいかくの身体が震え、陰湿な雰囲気が犀角さいかくの身体からじわりと滲み出す。


「いや? 

むしろ面白いのだがな。 

それより奴の素性は割れたのか? 

ただの骨董屋ではあるまい? 

確か町方に手下がいるのだろう?」


 犀角さいかくの雰囲気が変わり、光が差し込んだとはいえ、暗がりが支配する部屋の空気が冷たいものへと変わる。


「・・・・・・すまなかった。

やつの名は鬼灯ほおずき、骨董屋だ。それは間違いがない。

 ただそれ以上の情報が微妙でな。荒唐無稽な話ばかりで裏を取っている最中だ。 それよりも郊外での返り討ちの件で姉河家うちが動いた。

 それと姉河家うちと黒田、鍋島が手を組んだ。

黒田と鍋島の動き方はわからぬが姉河家うちの中で鬼灯やつと接触した者がいる」


 雇い主の言葉に犀角さいかくは溜息をつく。


「そうか・・・・・・。

ということはどちらかが死ぬまでやらなければいけないということだな」


 言葉の端にはどこか嬉しそうな雰囲気が漂っている。どうにもこの状況を楽しんでいるようだ。


「で? どうする? 

その鬼灯ほおずきという女子おなごを消すだけで良いのか?」


 犀角さいかくの問いに雇い主は暫し沈黙。そして言葉を紡ぎ出す。


「いや、お主が仕留めそこなった鍋島の松沼彦衛まつぬまひこえも消せ」


「高いぞ」


 即と返る答え。その言葉に雇い主は特にためらいも無く返事を返す。


「ああ、分かった。 

どのみちこのままではうちの家は消えるだけだ。やれるところまでやるしかない。

それと松沼を消すときは気をつけろよ。

奴は鍋島の上屋敷へ入った」


 雇い主の心配するような情報に犀角さいかくわらっていた。


「おいおい、あんたは俺の実力を充分に知っているだろう?

それでも不安か?」


 じっとりとした視線を向ける犀角に男は小さなため息を吐き答える。


「こちらにはお前しか戦力がいないからな」


 犀角さいかくは【ふむ】と唸る。


「・・・・・・やりを用意してくれ。

 鍋島の奴はなんとでもなるが、あの鬼灯ほおずきと言ったか? 

あの女子おなごは刀だけでは分が悪い。愛用のやりは捨ててきたしな。手傷を負わせたのですぐにでも仕掛けたい」


「ああ、これのことか?」


 雇い主の男が声をかけると男の後ろから一本のやりが差し出された。


「捨ててきたはずなのだがな、どうやって?」


 犀角さいかくの問いに雇い主は笑う。


「こちらにもいろいろと伝手はあるのだ。まあ、取り合えずは松沼と鬼灯ほおずきを消せ」


 そう言って雇い主はその場を後にする。


「ふ・・・・・・ん。

俺を殺そうとした者が俺に頼るとはな。面白いものだ。 

しかしそれ以上にあの女子は面白い。無茶をして生きたかいがあったものだ」


 残された犀角さいかくはそう呟くと二振りの大刀をじっくりと確認してゆく。その刀身は暗闇の中でも艶めかしく光るのであった。


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□


「どうした、鬼灯ほおずき。怪我でもしたのか?」


 突然現れた榊原に鬼灯ほおずきは慌てて着崩していた小袖を直す。腕に巻いていたさらしが目に入ったようだ。

 結局昨夜は襲撃を警戒し、酒を飲みながら一夜を過ごした鬼灯ほおずきだったのだが、犀角さいかくが仕掛けてくることはなかった。

 そしてそのまま朝になり、見世みせを開けて飲んだくれていたのである。


「こらこら旦那。

うら若き乙女が着替えているのに突然入ってくるなんて・・・・・・、むっつりだねぇ。

もしかして榊原様もこの肉の塊が好きな類いのお方ですか?」


 胸をぐぃっと寄せにやにやと笑う鬼灯ほおずき。その言葉に榊原は呆れた表情を浮かべる。


「あのなぁ、鬼灯ほおずき

商い中の札を出しておいて何を言っておるのじゃ? 

客として来たのじゃが帰った方がよいかの?」


 榊原は【帰るか】と言いながらも見世みせの中へと入ってくる。鬼灯ほおずきは【ありゃあ】という表情を浮かべながら座布団を用意した。


「で? 

その腕はどうした? 

例の件絡みか?」


 目を細める榊原。

 鬼灯ほおずきはばつの悪そうな表情を浮かべ湯飲みに白湯を注ぐ。榊原は湯飲みを受け取り一瞬だけ鼻を動かし、すぐに熱い白湯に息を吹きかけはじめた。


「はぁ、これだからご老体は・・・・・・。勘が良すぎだねぇ」


 鬼灯ほおずきは自分の湯飲みに徳利から酒を注ぐ。


「ああ? ご老体という歳では無いわぃ。 

しかしお主が手傷を負うとはの。やはりそれほどの相手か?」


 榊原の言葉に鬼灯ほおずきは沈黙で答える。


「ほお、おぬしほどの者がな。

まあ、あれだけの剛の者を斬った奴だ、気を付けておかねばならぬな」


 その言葉とは裏腹に榊原のかおは満面の笑みだ。


「正直まいったよ。

軽い気持ちで殺しあえる相手ではないね」


 鬼灯ほおずきは軽く腕を回す。短刀で相手をしたとは言わない。それは言い訳にすぎないからだ。


「で、そっちは忙しいのではないのかい?」


 正直触れてもらって嬉しい話ではないので話題を変える。


「まあ、毎日根を詰めていては身が持たぬよ。それよりも問題が発生してなぁ」


 榊原の呟きに沈黙で先を促す。


「例のやつがこの見世を襲った時に持っていたやり。あれが番屋から消えた」


ばつが悪そうな表情を浮かべる榊原。 

それには鬼灯も目を見開いた。


「まあ、気が付いたのは儂だけじゃがな、巧妙にすり替えられておったわ。あれだけの長物を持ち出したのだから気づかないわけがないのだがな」


榊原の目が鋭くなる。


「内通者がいる?」


鬼灯ほおずきの疑問に榊原は小さく溜息を吐いた。


「だな。

小遣い稼ぎにやったのかどうかは分らぬが、間違いなく内部の者だよ。番屋には常に人がおるからな」


「相手の目星は?」


「……近松かのぅ」


榊原の予想外の言葉に鬼灯ほおずきは唖然とする。


「そりゃまた、なんで」


 それくらいしか言葉がない。鬼灯ほおずきと近松は数年来の付き合いだ。近松の性格はそれなりに知っていた。

 くそ真面目。

それが鬼灯ほおずきの近松に対する評価だ。


「ん、まぁ。あやつはの、吉原に入れ込んでおる女子おなごがおってのぅ」


 鬼灯ほおずきはその一言で全てを察した。真面目な男がよくかかる病だ。


「まぁ、証拠は無いでな。それよりも奴はやりを取り戻した。気をつけろよ」


 そう言って榊原はおもむろに立ち上がった。腰の物を手に入口へと向かう。その後ろ姿の鬼灯ほおずきは思わず声をかけた。


「旦那! 

骨董を買いに来たんじゃあないのかい?」


 入口を開きかけていた榊原はゆっくりと戸を閉めると見世みせの中を物色し始めるのであった。

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