第20話

幸音さちね、気分はどうじゃ?」


 姉河家上屋敷。

 姉河家側室のおはそっと部屋に入り、蒲団に寝ている女に声をかけた。その声に合わせて掛布団がもぞりと動く。

 年のころは十五、六であろうか。蒲団の中から覗いた顔は色白で美しいが、まだ幼さを残した顔だ。


「母様、今日は体調は良いです」


 姉河幸音さちね

 姉河家当主守弘もりひろの側室、おの長女である。

 

「そうかえ? ならば良いのじゃが」


 おは身体を起こそうとする幸音さちねの動きを手で制すると、ゆっくりと幸音さちねの傍へ腰を下ろした。


「母様、先日より何やら屋敷の中が騒がしいのでございますが、何かございましたか?」


 蒲団の中からじっとみつめる幸音さちねの問いにおは視線を合わせることはなかった。


「そちは気にせずともよい。ゆっくりと養生すれば良いのじゃ」


 それだけ言うとお幸音さちねの頭をそっと撫でる。部屋の中に静寂が訪れる。暫くその部屋の中で動くものはおの手だけであった。

 おはゆっくりと幸音さちねの頭を撫でた後、おもむろに立ち上がった。


幸音さちね、ゆっくり休むのですよ。

暫し忙しく、日が開くとは思いますがまた参ります」


 それだけ言うとおはそっと部屋を出て行った。

続いて腰元も出て行ったので部屋には幸音さちね一人が残される。蒲団の中で暫し天井を見つめた幸音さちねはむくりと起き上がった。


「はぁ、愚かな母上。すべて私が後ろで動いていると気づくことは無いのでしょうね」


 幸音さちねは拳で三度畳を叩く。


「……お呼びでございますか?」


 天井の一角が音もなく開き、男の顔が覗く。


「彦四郎、いや鍵沼守善かぎぬましゅぜん。いかほど集まりましたか?」


「五万両程」


 鍵沼守善かぎぬましゅぜんと呼ばれた男は短く答える。その言葉に幸音さちねは口元を緩ませた。


「そう、そろそろ引き時ね。色々と知っている生駒犀角いこまさいかくは消せそう?」


「手練れを雇いました。まず大丈夫かと……」


「分かりました。それと、留守居役の谷崎守谷たにざきもりやも暗殺しなさい。

犀角さいかくに殺らせて良いわ」


 幸音さちねの言葉に彦四郎の気配が変わる。しかしすぐに天井は締まり、気配が消えた。


「あとは痕跡を消すだけね。

谷崎守谷たにざきもりや生駒犀角いこまさいかくには全ての罪を被ってもらいましょう。

黒田、鍋島も大きい家だけど私はもっと華やかなところで派手に生きたいの。

そう、大奥とか御三家とかでね」


 くすくすとわら幸音さちねかおはそれはそれは無邪気なものであった。


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「近松、暫し良いか?」


 榊原は骨董屋鬼灯ほおずきを冷やかした後、近松のいる番屋へと足を向け近松を呼ぶ。近松は書き物をしていたようであるがすぐに筆を置くと榊原の元へと動いた。


「どうかなさいましたか、榊原様?」


 特に変わった様子が無いかを榊原は注意深く観察する。


「いやなに、先日の骨董屋の鬼灯ほおずきを襲ったやつがいたであろう? 

その時に置いていった鉤鑓かぎやりを見せてもらおうと思ってな」


 その言葉に一瞬、近松の視線が反応した。

しかし次の瞬間にはその戸惑いは消える。


「また、突然どうなさいました? 

あ、こちらでございます」


 近松は疑問を投げかけながらも立ち上がると、番屋の奥へと歩き出した。榊原は近松の声色に若干の変化があることを確認すると近松の後についてゆく。


「いや何、先日の斬り合いの時に拾った槍があったであろう? 

それがどうも引っかかっていたのじゃ。それでな鬼灯ほおずきを襲った者が使っていた物に似ていたような気がしてのぅ。

ただの確かめじゃ」


 榊原は近松の疑問に答える振りをして情報を混ぜ、揺さ振りを掛けてみる。


「なるほど、そういうことでございますか。確かに鎌鑓かまやりですが某には同じような槍にしか見えぬのですが。

鑓術にはとんと才能がありませんので……」


 そう言う近松の背中には何の変化もない。歩く歩調もそのままだ。


「まあ、老体の戯言に付き合わされると思ってくれ」


 からからと笑う榊原に近松は若干の戸惑いを見せ、笑う。


「どうぞこちらでございます」


 案内された部屋には様々な物が置いてあった。主に没収したものや事件に関わった物ばかりだ。

そしてその中にそれはあった。立てかけられた二本の槍。それはやはり別物であった。

 榊原はおもむろに、鬼灯ほおずきを襲ったほうということになっている槍を手に取るとじっくりと観察するふりをする。

近松はその様子を傍でじっと見ていた。

 暫くしてもう片方のやりを手にしてこれもまた観察するふりをする。そして両方のやりを元の位置に戻す。


「いやあ、近松、済まなかった。

よくよく見てみると両方とも物だよな。 

最初の鬼灯を狙ったやつが持っていた方はだったような気がしていたのじゃ」


 そう言って笑うと榊原は近松の肩を軽く叩くとそのまま番屋の表へと向かってゆく。その背中を見送る近松の額にはびっしりと玉のような汗が噴き出していた。 

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