第16話

 彦枝は眩しい光で目が覚める。

 薄目を開けながら自分の状況を確認する。

 自害する寸前までの記憶があるが、どうやらあの世ではないらしい。


 (死にそびれたか? 

 しかしここは?)


 口の中に違和感がある。

 どうやらさらしが口の中に喰い込んでいるようだ。

 腕も縛られており動かすと肩口に痛みが走る。斬られた場所が痛む。


「おや、気づいたようだねぇ」


 女の声。

 彦枝はゆっくりと声のした方へと視線を向ける。そこには血に濡れた刀を眺めている女の姿があった。


 もがもがもが(それは私の刀・・・・・・返せ!)


「何言ってるんだぃ? 

ああ、猿轡さるぐつわかましてたんだっけ。舌を噛まないと約束するんだったら解いてやるよ」


 彦枝はその言葉に一瞬躊躇したが猿轡さるぐつわさえ外れれば近くにいるのは女子おなごのみ、どうとでもなると考えていた。

 女子おなごの手の中にある自らの刀が突然消える。その刀は彦枝の眼前へと振り下ろされていた。

 はらりと緩む猿轡さるぐつわ

 舌を噛み自害を図る予定だった彦枝は驚きと戸惑いで行動に移すことを完全に忘れていた。

 ゆっくりと立ち上がった女子おなごが近づいてくる。細い女子おなごの手が顎に掛かったと思った瞬間、鈍い音が直接頭の中に響いた。

 痛みは無い。


「すまないねぇ。何かやりそうな雰囲気だったからやっぱり顎を外させてもらったよ。

しかしまぁ派手な使い方をしたみたいだねぇ。

肥前刀か、忠吉ただよしかねぇ。

ん? 

これ晩年の作風だから忠廣ただひろが正解かな?」


 茎すら見ずに刀剣の銘を当てる女。

 彦枝の警戒心は一層高まった。

 そこで初めて彦枝はじっくりと女子を観察する。

 丈は高く顔は少し特徴のある作り。

 髪もぼさぼさで小袖こそでも着崩している。

 しかし夜鷹よたかなどのような春を売る女とは何かが違う。

 身体は胸の辺りが大きく膨らんでいるが太いわけでは無くむしろ細い。

 ただし着崩れた小袖から除く肩口、腕、太股には鍛えられた肉が付いている。普通の者が見たら気がつかないほどの巧妙な肉だ。


「・・・・・・あんた、失礼なこと考えてないかぃ」


 女子おなごの視線に危ない光が灯る。

 彦枝は先程の刀の振り下ろしと肉の付き方を見ていたので、逆らったら酷い目に遭うと直感した。

 慌てて首を振る。


「そう・・・・・・かい? まあいいさね。何時ものことだしねぇ。

で、あんた何をしたんだい? 

肥前者のようだけどさ。

最近肥前者に酷い目に遭わされたから印象悪いんだよねぇ。

あ、この刀手入れするよ。

このままじゃあ駄目になる」


 女子おなごは先程まで座っていた場所へ移動すると水で血を洗い流す。そして乾いた布で丁寧に水気を拭き取り乾かしてゆく。

 彦枝は口をきけないうえ、身体の自由を奪われている為にそれを黙って見ているしか無かった。

 仕方なしに今いる場所を観察する。どうやらこの女子おなごの住んでいる場所のようだ。

 視線の先には女子おなごが刀を手入れしている場所。女子おなごの近くには桶と砥石らしきものがある。それも数種類。

 その後ろには槍、刀、鎧、等が所狭しと並べられている。そしてそれが並べられている所は古い家具などがある。 

 また部屋の隅には着物が並んでいた。それはかなり上質な物で上級武士や家中の姫などが着るような物まである。

 この女子おなごは何者なのか?

 彦枝は混乱した。何しろ部屋の中の物に統一性が無いのだ。

考えても答えが出ないので彦枝は自分の状況を考えることにする。

 記憶があるのは下手人から逃げたところまで、そして町方を避けながら移動。力が抜けて動けなくなったから自害しようとした。

 そこからの記憶が無い。

やはりこちらも考えても仕方が無いようだ。この女子おなごに状況を聞くしか無い。

 そう考えていると女子おなごから声が掛かる。


「よしよし、綺麗になった。 

で、自害する気が無くなったのなら在る程度は自由にするけど?」

 

 にやりと笑う女子おなご

 とりあえず状況を確認する為に黙って頷いておくことにした。女子おなごはすぐに開け放たれた顎を簡単にはめる。

 少しばかり違和感があったがそれはすぐに解消された。


「か、かたじけない。

素性は明かせぬが世話になった。

して、今はいつになる?」


 女子おなごは刀を鞘に戻すと湯飲みに湯を注いでいた。


「あぁ、あんたを拾ったのは今朝だよ。

たく、うちの裏で首筋に刀を押し当てて気を失っているんだから吃驚びっくりしたさね。

ここで死なれちゃあ商売あがったりだよ。

 取り敢えずこれでも飲みねぃ」


 女子おなごは私の目の前に湯気の上がる湯飲みを置いた。


「・・・・・・」


「どうしたんだい?」


 手をつけない私に女子おなごは不思議そうな表情を浮かべた。


「ああ、薬なんか入ってはいないから安心して飲みなよ。

それ以前にあんた死のうとしてたでしょ?

それともお武家は庶民の飲み物はいらないのかぃ」


 少しばかり険呑けんのんな視線を送ってくる女子おなご

 一言だけ呟く。


「腕を解いてくれないかな? 

さすがにこの体勢では折角の物も飲めないのだが・・・・・・」


 私の答えに女子おなごはきょとんとした表情を浮かべる。


「あ、あはは。そりゃそうだねぇ。縛ったままだったねぇ。

ちょいと待っておくれ」


 そう言うがいなや一閃。

 縛られた手首の縄が抜きで斬られた。

 座ったままからの抜き。しかも速度が尋常では無い。

 正直自分よりも速い。

 抜きは専門では無いが先日戦った細い男よりも更に速かった。

 自由になった手首から力が抜ける。一瞬だが肩口に痛みが走った。

 慌てて手を当てるとそこにはさらしが巻かれている。上半身は裸にされていた。


「手当てをしてくれたのか?」


私の問いに女子おなごはにこりと笑い頷いた。


「まぁねぇ。結構深手だったから仮縫いと酒をかけただけだからね。

今夜か明日には熱が出るよ」


 私はその言葉を聞きながら身体を起こす。そして自分がいる場所を再確認した。入り口の方へ目を向けるとそこには様々なものが並んでいる。

 どうやら骨董を扱う店のようだ。


「すまぬな、助かった。

ところでここはどこら辺になる?」


 私の問いに女子おなごは素直に答えてくれた。


「ここは吉原近くになるけど? 

あんた江戸者じゃあ無いんだね。それ以上は詮索はしないさ。

そう警戒しなさんなよ」


 どうやら顔に出ていたらしい。

 私は湯飲みの中に注がれている白湯を少し口に含む。問題がなさそうなのでゆっくりと飲む。


「・・・・・・それで、すぐに発つのかぃ? 

今は町方がうようよしているけどねぇ」


 女子の言葉に少し顔を歪ませた。死んでいった配下の顔が浮かぶ。


「あぁ、急ぎで戻らねばならぬのでな。

礼はする。

後日届けさせてもらう。馳走になった」


 私は白湯をもらい一服できたのですぐに立ち上がった。

 血が流れていたせいで身体がふらつく。


「無理するんじゃぁ無いよ。

ほれ、腰の物」


 女子は私を支え立たせてくれた。そして得物を差し出してくる。


「・・・・・・物騒な考え起こすんじゃあないよ」


 刀を腰に差した瞬間、柄頭を手のひらで押さえ込まれた。

 斬るつもりだったのだが読まれたようだ。


「安心しねぃ、誰にも言わないさね。

もっともこれ以上殺るんだったら容赦しないがねぇ」


 女子おなごは微笑みながら柄頭から手を離す。


「済まない。気が立っていた。後日また礼をする。

では御免」


 私はその見世を後にした。外に出ると見世みせを目に焼き付ける。

 骨董屋鬼灯。


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□


「ったく、向こうからやってくるとはねぇ。

どこの家の奴かはわからないけど・・・・・・つけるか」


 腕はそこそこ立つ相手のようだ。

 肥前刀。

 まぁ鍋島か姉川の者だろう。

 そして昨晩からの町方の動きから殺りあったのだろう。

 相手は多分あの細い男。傷が刀傷ではなかったからだ。

 鬼灯はすぐに着崩した小袖を直し見世みせを出ようとする。しかしそれは突然開いた戸の先に立っている者に遮られた。


「あら、お久しぶり。今、忙しいんだけど後にしてくれる?」


 鬼灯は久しぶりに見た男に暗に帰れと言う。


「・・・・・・仕事を持ってきたがそれ以上の用事か?」


 この男の持ってくる仕事。これは榊原に廻す類いの仕事だ。

 鬼灯は一瞬悩む。

 どのみち昨夜の件は夕刻に榊原が来たら在る程度は分かる話だ。

 それにこれだけ町方が動いている時に下手に武家屋敷に近づくとあらぬ詮索を受けないとも限らない。

 相手は姉川か鍋島の者だと推測はつく。

 探し出すのはたやすいだろう。

 鬼灯はそう判断し、先程の男を追うのを止め目の前の男を見世みせの中に招き入れた。


「で、仕事って? いつものやつかい?」


 鬼灯の問いに男は首を振る。


「今日は試し斬りでは無い。殺って欲しい者がいる」


 男の言葉に鬼灯はにやりと笑い、見世みせの前に準備中の札をかけ、見世みせの中に入っていく。 

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