第13話

 江戸の夜道を一人の男が疾走していた。

 ただ、目的の場所へは中々近づけない。


 (なんなんだ、この警戒は? 

 この夜半にこの数の役人。ただ事では無い。

 先程の男が口にした言葉が関係しているのか?)


 先程九名の配下を討たれた松沼彦枝まつぬまひこえは傷口を押さえながら路地裏へと慌てて潜む。

 闇の中からいくつもの提灯が走りすぎてゆく。

 呼吸を整えながら提灯を持った捕り手、同心などの動きを観察する。


 (嗚呼、我らの争った所へ向かっているのか・・・・・・。

 はは、血を流しすぎて思考が低下したか)


 役人達が走り去った後、彦枝はすぐに移動を開始した。

 鍋島家中屋敷へはまだまだ距離がある。彦枝は絶対に生きて戻らねば成らない事情があった。

 情報の持ち帰り。

 あの細い男の言ったことが正しければ全ての情報が漏れていることになる。

 これは常に先手を打たれることになるからだ。


 (しかし、うちの家の御家老も下手を打たれたものだ。

 まさか当家へ輿入れされる予定の姉川家の姫が黒田家とも被っていることを確かめずに事を進めるとは・・・・・・。

 しかも材木の取引で偽銭を掴まされるとは・・・・・・)


 鍋島家のうち、小城鍋島家おぎなべしまけに急に嫁ぐ事になった姉川家の姫。

 その姫のことを調べると病が進み、嫁げるかどうかも怪しいということだった。

 更に出てきたことが黒田家とも婚姻の約束をしていた事。

 これには小城鍋島家だけでは無く、本家鍋島家も激怒した。

 そして姉川家と黒田家の家老との三者の話し合いで婚姻が被るという事は無いという姉川家と、被っていた事を初めて知った黒田家の激怒。

 その話し合いは話が噛み合うこと無く平行線を辿った。

また、鍋島、黒田に突然幕府から下知された姉川家の材木を引き取ること。

鍋島も黒田も特に材木の流通には困っていなかったのに突然の市場介入。これは幕府からのお達しであったため無視できなかった。

 この一方的な取引の開始は鍋島本家も小城鍋島家も与り知らぬ事であり、同時に黒田家も寝耳に水の事であった。

幕府の一部からの指示ではあったが仕方なしに取引は開始したものの、今度は取引の金子の中に偽銭が混ざっている始末。

 姉川家と鍋島家、黒田家の勘定方が幕府に届けずにこっそりと出所を探った結果、姉川、鍋島、黒田の領内で数か所、偽銭の製作所のようなものが発見される。

 その偽銭の製作所らしきものを最初に掴んだ姉川家の勘定方の役人が何者かに殺害された。

 殺害したものは東国へと逃げたとの情報があり、下手人を捕まえるため姉川、鍋島、黒田からそれぞれ追手が出された。

 正直、幕府に痛い腹を探られたくないという姉川、鍋島、黒田諸家の思惑だったのだがこれが悪手であったのだ。

 これが松沼彦枝まつぬまひこえが小城鍋島家から追っ手として出されたあらましである。

ちなみに、三家が揉めていた重婚の件は完全に有耶無耶になった。



 (ただ、あの男を捕まえるとなると事だ。

多少手傷を負わせてどうなる相手ではない。

しかも黒田と姉川の追っ手も殺したと言っていた。

あそこの二家からもかなりの使い手が出ていたはず。

あれほどの使い手を動かせる人物となると余程上の方が動いていると見える。奴が使った技から見て当家か姉川辺りの者だと思われるが・・・・・・)


 彦枝は闇の中をゆっくりと移動する。

 町方に見つかっては事だ。

 最悪見つかった事を考え彦枝の手には抜き身の刀が握られていた。


 (ん?

 ここはどこだ?

 知らぬ間に知らない所へ来てしまった・・・・・・か?)


 突然彦枝の視界が歪む。

 身体から急激に力が抜け、地に手をついた。


 (あぁ、駄目か。

 血を流しすぎた。

 ここで自害する・・・・・・しか、あるま・・・・・・い)


 彦枝はゆっくりと手に持った刀を首筋に持って行くが既に遅かった。

 急激な脱力と共に彦枝の意識は闇の中へ沈む。


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□


「なんと! 

うちから出した追っ手が全滅しただと?」


 朱引きの外で見張っていた追っ手が全滅したという知らせが入ったのは暮れ六つ(18時頃)刻であった。

 先程鍋島家から下手人を確認したので手勢を寄越すように伝令があったばかりだ。その知らせを聞いたと同時に草が入ってきたのだ。

 黒田家の江戸上屋敷で江戸家老の西脇守善にしわきしゅぜんは頭を抱えていた。

 黒田家から出した追っ手は三十名。

 それが各街道ごとに十名ずつに分かれていた。

 誰もが黒田家でも中堅から上位に食い込む程の使い手である。

 それが全て全滅。

 家としてもかなりの痛手であるがそれ以前に散っていた全員が殺されたことが問題であった。


「下手人は馬を使っているのか?」


 西脇は報告に来た草に問いかける。


「申し訳ございませぬ。

馬の気配は無かったのでございますが・・・・・・」


 詳しいことを聞くと三十名に張り付いていた草は各二名。

 そのうちの一名、この草が別街道の者へ繋ぎを取るために一里ほど離れた別の草へと繋ぎを取った。

 そして元の場所に戻ると追っ手は全滅。

 残っていた草も殺されていたという。


「最初近づいてきた時は徒歩でございました。槍を持ち、刀を差した旅の浪人のような風体でございました。

ただ顔は確認出来ておりませぬ。

笠を被り旅装束のまま襲いかかって来ましたので・・・・・・」


 草は失態を感じているのか全てをありのままに話していた。

 西脇はそれを聞き考え込む。


 (うちの手練れが、しかも遠目から見ておった草までも始末するとは・・・・・・。

余程の使い手。

これは姉川家に素性を調べて貰わねばならぬな。

それよりもうちの追っ手を全滅させた者を鍋島家の者が捕まえに向かった? 

引き戻させないと被害が増えかねぬ)


 西脇は報告をした草にすぐに鍋島家の追っ手を引き戻すように伝えるよう指示を出す。

 草はすぐに屋敷を出た。

 もっとも刻すでに遅し。

 引っ張り出された鍋島家の手の者は涅槃ねはんへと旅立っていたのだが・・・・・・。


「誰かおらぬか! 

姉川家上屋敷へと参る! 

書状をしたためるゆえ、すぐに姉川家上屋敷と鍋島家上屋敷へ持って行け。

それと中屋敷と下屋敷から手勢を集めろ。

屋敷の手勢は最小限残せば良い!」


 黒田家上屋敷は大騒動となった。

数名は夕刻の江戸の街へと走り出してゆく。

その様子を見ながら西脇はすぐに書状をしたため使いの者を出す。


(鍋島家は先程出した草とは被るが・・・・・・。

一度三家で話し合う必要があるな) 


 当の本人は気がついてはいないが西脇の目は血走っており、屋敷の者が近づけないほどの怒気を身に纏っていた。

それは駕籠かごの用意が出来たという知らせを持ってきた腰元が若干粗相をするほどのものであった。

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