第10話 潜水艦の暮らし方

 強襲揚陸潜水母艦ヴァン・ニョルズがレルム海峡ポーツリン沖合いに姿を現したとき他艦艇の将兵らは声をあげた。

 深海に棲む伝説級の巨大鯨を思わせる船体。それがトランスフォーメーションしたのだ。


 最前部の水密ハッチが解除され、隙間に溜まっていた海水が滝のように流れ落ちる。観音開きの両ハッチはそのまま航空甲板となり、昇降機を通じて艦内から何機もの軍用機がせり上がってきた。


 まるで日向ぼっこを待ちかねていたのように、航空機や陸戦兵器が次々と滑走路脇のエプロンへ整列する。電磁カタパルト付きの滑走路は戦闘機はもとより、大柄な情報収集機さえも射出可能だ。潜水艦たる『鋼鉄の鯨』は、『黒金の城』航空母艦へと変化したのだ。


「こんなものが潜水艦だというのか」

 呟いたのは海軍司令部で少将の階級章をつける幕僚のひとりだ。


 就役からしばらく最高国家機密トップシークレットだったこともあり、艦長や艦隊司令など高級将校らも艦橋横の見張り所に飛び出し目を丸くした。


 年季の入った旗艦フラグシップの横を、堂々通過する推定10万トンの浮上潜水艦……いや巨大潜水空母か。味方で良かったと胸をなで下ろしたのは彼だけではないはずだ。



 数年ぶりに開催された真夏の観艦式かんかんしきは多くの艦艇が洋上を埋め尽くしていたが、巨大空母に混じりながらもヴァン・ニョルズだけが異様に目立っていた。


 レジャー目的の一般観光客が押し寄せる岸辺からほど近い場所だ。

 周囲の海域は海軍保安部の哨戒艇により封鎖され接近は出来ないといっても、ついこの間まで存在そのものが国家機密だった潜水艦だ。

 こうも堂々と見せびらかすのかと、図面だけは技術部から提示され頭に入っていた統合参謀本部詰め海軍わけしり将校らは、事情の知らぬ他の無邪気な幕僚達とは違う印象でザワついていた。


 今頃は各国の偵察衛星が、このポーツリン沖上空でニアミスを起こしかけていることだろう。


「勘違いしている周辺諸国へ、我が王立海軍の力を見せつけてやろうではないか」

 提督だけが一人、にんまりご満悦だった。






 レディ・レイナ・スズキ・ハワードが自室で目を覚ましたのはレルム時間で0600午前6時きっかり。躊躇無くベットを抜け出すと手早く着替えを済ませドアをあける。


 ウエーブ居住区内を軍靴の音を響かせながら通過。

 敬礼する女性下士官らへ答礼しながら「おはよう」と無表情で呟く。


 当番水兵が居住区ポストへ投函した朝刊を手にすると再び来たコースを戻る。

「以前もお伝えしましたが、仰って頂ければお部屋までお届けしますよ」

 若い伍長が声をかけてきた。


「構うな。日課だ」

 やはり無表情のまま応える。


 『鉄仮面』という渾名を付けられていることはレイナも知っていた。

 けれど別段抗議しようとは思っていない。自分は軍人なのだ。それも士官だ。

 相手が歴戦の猛者である男性下士官であっても、彼らを率いて戦場へと赴かねばならない立場だ。笑顔の素敵な『お嬢さん』などと揶揄されるよりはマシだ。


「アディ軍曹、頼む」

 唯一、私用に自分の部下を使うのが朝のコーヒーだった。

 アナベル・アディ軍曹はレイナが直接指揮する第一小隊へ所属する三十代の中堅だった。戦場も経験している。しっかりした躰つきに鋭い眼差し。戦士然とした無口な性格。それが何故か、コーヒーを淹れるのが上手い。


「ハッ」

 アナベルは軽く敬礼するとレイナの部屋へ入る。

 第一小隊以外の女性兵士からは奇妙な光景に映っているだろう。

 それをシェリル・シェパード曹長が察して「レイナ中尉に気に入られたければ何かしら特技を持つことだ」と声にした。


 小隊でレイナの横暴とアリス・ディービーズ少尉のワガママに慣れてしまっているだろう宮使いみやづかいの言葉に、皆は哀れみを込めた愛想笑いで応えた。






 女性ウエーブ用居住区は、当直の女性水兵が目を光らせている細い通路の奥に通用口がある。

 ドアは電子ロックにより自動的に施錠される仕組みになっており艦長でさえ近づけない『女の園』だ。


 区画内は細かく仕切りられており、それ自体は男性用と変わらないがシャワールームやミニ食堂まで設置されていた。プライベートな時間は居住区内だけで済ませられる配慮がなされている。


 むろん士官は下士官・水兵らが利用する大部屋とは別に『士官用寝室』として私室が割り当てられている。






「アナベル、済まない」

 他の将兵がいない私室でレイナは肩の力を抜くと椅子に腰掛け、コーヒー豆をミルで挽き始めたアナベル・アディ軍曹を名前で呼んだ。


「いえ、自分もコーヒーの香りは好きですから」

 レイナ同様、無表情なまま応えるアナベル。


 お互いに「不器用だな」とレイナは軽く溜息をつくと新聞を広げた。


 一面に大きく掲載される『ベッリゾーニア帝国海軍が周辺海域で臨検りんけんを実施』の文字に胸騒ぎを覚えた。おそらく先日の意趣返しだろうと分かる。


「戦争でも始める気か」


 レイナの独り言にアナベルが振り返った。

 その瞳に困惑を見て取ったレイナは「いや、わたしの妄想だ。気にするな」と安心させる。指揮官が直掩の部下を不安にさせてしまったことを後悔した。





 そんな頃、潮風吹きすさぶ甲板で少尉の階級章をつけた『ちびっ子』は退屈していた。

 日焼けとは縁の無さそうな白い肌。大きな青い瞳。金髪のツインテール。

 誰が見ても「ジュニアスクールの生徒がコスプレしている」と観艦式のゲストだろうと予想するが、彼女はレイナ中隊長の副官アリス・ディービーズだった。


 陸戦隊からも参列者を出すよう士官室から通達があったとはいえ、「なぜ自分なのか」疑問に感じていた。そもそもヴァン・ニョルズ甲板上へ居並ぶ将兵のなかに敬愛する『お姉さま』は誰もいなかった。欺されたことに苛ついた。


「殿方ばっかりでつまんない。アリス、ぷんぷんですお」

 物言わぬミアトゥの前で、白い軍服姿のちびっ子少尉は憤慨した。

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