【長期連載】異世界ブリテン戦記〜戦火の無限軌道

猫海士ゲル

prologue

第1話 護れなかった平和

 いつものように朝練へ向かうわたしを、珍しく母が呼びとめた。


「今日はお父さんに送ってもらいなさい」


 いやいや、子供じゃないんだから。

 それに車内という密室でお父さんと一緒だなんて、学校までの道すがら何を話せばいいのよ。気まずいじゃん。


「一人で行けるわ」

 結果的にそれが母と話した最後になった。

 お父さんとも──もっと、たくさん話しておけば良かったと今は後悔している。


 まさか、こんなことになるなんて、いったい誰が想像した?

 飢餓やテロなんてテレビの中で語られるだけの遠い異国の話。


 わたしたちは平和に満ちた日本国エデンで、女子高生というモラトリアムな幸せを謳歌していた。


 この日常はこれからも、ずっと当たり前に続くと信じていた──根拠もなく。




詩乃しのおはー、」

 バス停で、いつものように玲奈れいなに声をかけられる。


 髪の長い綺麗な子だ。

 わたしのようなソバカス日焼け肌ではなく、お人形さんのように白い肌。


 同じ高校の同じ女子水泳部のはずが、なんなのこの違いは。

 朝日を後光のごとく浴びるその輪郭線は「アイドル」を自認しても許される。と、いうかわたしが認定する。


「玲奈は、きょうもべっぴんさんだねぇ」


「おばあちゃんか」


 ツッコミ漫才よろしく、バスが来るまでの僅かな時間のおしゃべり。

 部活のこと、今日の体育のことへ話が流れる。


 なんでもない、いつもの煌びやかなるアドレッセンス。


「あれ、なんだろう」

 玲奈の何気ない一言。空を見あげた。

 幾筋もの飛行機雲が雲間を抜けて飛んできた。


「ぶるーいんぱるす? いや少し違うかな」


 ゆっくり降下してくるように見える。



 突然、街中に響く聞いたこともないサイレンの音に呆ける。


 街頭スピーカーで、何事かをたてる知らないおじさんの声。


「なに、津波でも来るの?」

 玲奈の惚けた声。


「いやいや玲奈サン、ここ海岸線から何キロあると思ってんのよ。ああ、思い出したわ。夏の合宿で海に行くじゃん、あれって……」


 パトカーのサイレンが聞こえたのと同じタイミングだったろうか、雲間から抜け出した飛行機雲の主たちが眼前に落ちてきた。


 重たい振動。


 空気が揺れる。

 直後の巨大地震……つづき地面のアスファルトがめくれあがり土煙が視界を覆う。


 そこではじめて玲奈が叫び声をあげた。


 このときのことを思い出すと、本当にわたしたちは平和ボケしていたのだ。


 次々と日常が壊されていく。

 肌を焼く炎の熱さ、鼻を突き上げてくる火薬の匂い──そう、今ならハッキリわかる。



 戦争の匂いだ。


 洋上に緊急展開したイージス艦の防空システムをくぐり抜けた僅か数発(百発の敵ミサイルのうち9割は迎撃出来た)が、都市まで辿り着いた結果だった。

 しぶとく生き残ったのは対地攻撃用のミサイルだった。


 わたしたちは、外交上反発し合ってきた『war junkie state気の短い国』から戦場に引きづり出されたのだ。


 こちらが拒否し、逃げ惑い、「平和に話合いをしましょう。ラブ&ピース!」と泣き叫んだところで、感情をもたない戦争は街へ殴り込んできて無慈悲に虐殺をはじめた。

 むこうにしてみれば手慣れたいつものやり口だったが、平和に慣れきったわたしたちは混乱した。




 あとになって聞いたのだけど、その事実を受け入れられない人々が市役所や警察にを入れようと殺到したそうだ。


 交番からミニパトで緊急出動お巡りさんへスマホを叩きつけ「なぜ誰も電話に出ないのか!」と激高する市民もいたらしい。


 電話なんて繋がるわけがないのに。


 自分たちが暮らす街がとなれば『戦う』以外に生き延びる選択肢なんてない──けれど戦う方法なんて知らない。

 

 銃の撃ち方どころか防空壕ひとつ整備されていない現実。


 それを知ったとき、わたしは既に死んでいた。

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