Singularity of the world
第21話 焦燥感漂う朝に
ラストデイは王国から東方100㌔ほどにある浅瀬での待機となった。
本来なら深海深くに身を潜めることも容易い超巨大潜水艦は僅か100㍍ほどの水深でカブトガニのように身を潜めている。上空から哨戒機に狙われればお終いだ。
「逃げ足も速いだろう」
いつものように無茶を命じられる。
ステリー艦長は溜息を漏らしながら推進力となるウォータージェットに不備は無いか機関科へ点検を命じた。
ウエーブ居住区はピリついた朝を迎える。
6時2分きっかりにレディー・レイナ・スズキ・ハワード中尉は自室のドアを開けた。
濡れたような艶やかな黒髪。涼やかな切れ長の目の奥には黒曜石のような瞳。北部のアジア系に見られる白い肌はアングロサクソン系の白人とは違う。
けれど彼女はハワード伯爵の養女であり、つまりは貴族だ。
纏う雰囲気は民芸品の兵隊人形のようだった。
無言のまま敬礼する部下たちを横目に居住区外のポストから自分宛ての郵便物と新聞を抜き取ると、再び敬礼で出来た道を通って自室へ戻る。
部屋へ入るまえにアディ軍曹を招き入れることも忘れない。軍靴の踵を軽く鳴らしてからアディはコーヒーを淹れる為だけに中隊長室へ入っていった。
部屋のドアが完全に閉まると居住区内はゆったりした空気に戻る。
いくら上官とはいえ士官ひとりが行き来するだけでこの緊張感だ。部屋に招かれるアディはどんな心境なのだろうかと皆は同情した。
グレイス曹長がコーヒーカップを手にした頃合いに今度は別の士官が自室のドアを開けた。中隊の副官を務めるアリス・ディビーズ少尉だ。知らない者が見れば中学生……いや、小学生が潜り込んでいるぞと騒ぎ出すほど背丈が小さい。
いつも朗らかで可愛らしい彼女だが今朝は大きな碧眼に涙をいっぱいに浮かべて「ぐれいすぅ」と呟いた。
「どうされましたか。お腹でも痛いのですか」
腰を曲げて目線を落とすと気分は児童相談所の指導員だ。
「ちがうよぉ、シノちゃんが」
「シノ少尉がどうされたのです」
「起きないの」
「起きない?」
「ベットから出て来ないの」
その説明に「ああ、新兵がよくかかる心の病か」と脳裏に過る。
だが、しかしシノは少尉だ。士官だ。
水兵とは受けてきた教育のレベルが違う。
ましてや多くの水兵が十代で部隊へ送り出されるのに対して四年もかけて兵学校で教育をうけたシノは二十代半ばだった。
「困ったお嬢ちゃんだね」
つい本音が口から漏れる。
アリスの見上げる視線に気づき「了解しました。自分が起こしてみます」と敬礼する。
ドアの前に立ってノック。
するとアリスが「どうぞ」とドアを開けた。
「は、失礼します」
アリスと一緒にシノのベット脇まで進む。
毛布は頭まで隠したシノ・アンザイ少尉の形に膨れていた。
「シノ少尉、朝です」
グレイスが呼びかけるが返事どころか動く気配すらない。
グレイスは腰を屈めてシノの耳元(と、思われる位置)で囁く。
「シノ、一緒にコーヒーを飲もうよ。ラウンジにおいで」と姉のように語りかける。
毛布が僅かに動き「やっぱり起きてるじゃん」とまたグレイスは呆れた。
「持って来て」
掠れたような小さな声が毛布の中から聞こえた。
「ここで団欒したら、また中隊長に𠮟られます。少尉がラウンジへお越しください」
再び部下と上司の関係に戻って言う。
「出たくない」
「困ります」
間髪入れずピシッと断る。
毛布が少し盛りあがって奥から怯えた黒い瞳が覗いた。
グレイスは優しく微笑み「なんでも話して」と声をかけた。
のそのそとベッドから這い出してくる細い躰。黒いショートヘアに黒い瞳。レイナ中尉よりやや浅黒いが同じ北部アジア系の顔立ちだ。
「ごめんなさい」
いつもの愛嬌あるシノとは違った。何かに怯えるように俯いていた。
グレイスはとにかく部屋から出そうとパジャマ着のままラウンジへと連れ出す。それが判断ミスだった。ラウンジに腰掛けさせてすぐレイナ中尉に見つかった。
制服姿なら誤魔化せたかもしれないのにパジャマ姿で下士官に囲まれていれば綱紀粛正の意識高い中隊長の機嫌を損ねるのは明らかだった。
「あなたは何をやっているの!」
グレイスが慌てて事情説明しようと立ち上がるが、それを一睨みで黙らせる。
その状況に一番イラついたのはシノ自身だった。
「レイナ、あんた何なのよ!」
これまで鬱積していた想いが口を突いて出る。
「昔はもっと優しい子だったのに、何なの。もっと優しくしてよ、友達でしょう!」
叫ぶなり駆け出すと、そのまま居住区を出ていった。
突然のことに皆は呆気にとられたが「パジャマ姿のままだったよ」とアリスの呟きに女性将兵らは慌てて追いかけた。
それは突然の命令だった。
CICの薄暗がりでステリー艦長は「もう一度確認してくれ」と統合参謀本部作戦室に問い合わせをさせた。
「間違いありません。作戦部長から全部隊へ通達がなされました」
火のついてないパイプを口に加え直すと少しだけ目を瞑る。
覚悟は決まった。
戦争だ。敵の拠点を叩くために我らはここにいるのだ。
「1番から12番まで注水。目標は──帝国の首都ロマンだ」
浅瀬のドッカーバンクへ埋もれる巨大潜水艦の背に並んだ
それは国境を易々と越えていく弾道ミサイルの群れだ。
その数時間後、ベッリゾーニア帝国は終戦を受け入れた。
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