第12話 戦端は海流にのって

 エーゲ海沖合いの公海上。

 ブリテン・レルム大王国に所属することを示す『守護聖人の十字旗』がひるがえる貨物船は、ゆったりとした速度で北上していた。


「船長、やはりあの軍艦は俺たちを追尾していますね」


 見張り台に立つ若い船員は隣に立つ大柄な人物に告げた。薄くなった髪を潮風に晒している大男は船長だった。


 船乗りにロマンを感じなくなって久しいが、そんな時代にわざわざ志願してきた若者が顔に不安な色を浮かべていた。ベテラン船長は「気にするな、ここは公海上だ」と肩を叩いて安心させてやる。


 本国から遠く離れた洋上であっても国際法の取り決めはある。

 公海上を航行する船舶に対して何かしらのアクションを取れるのは同じ国の司法機関だけだ。これを『旗国きこく主義』という。たとえその船舶が重大な犯罪に関わっていたとしても公海上にある場合は、外国政府は拿捕や臨検が出来ないのだ。


 ずいぶん昔にレルムが世界に先駆け宣誓し、それが国際連で受理され世界各国が守るべき法となった。


 貨物船を追尾している軍艦はベッリゾーニア帝国の三色旗を掲げる駆逐艦だった。

 朝の挨拶すらしない、互いに毛嫌いしている国同士だといっても、外国船舶であるレルムの貨物船へ警察行動を行えば戦争になるだろう。


 否、そこまで互いに悪感情を募らせている国同士だ。

 現場を預かる軍人は、だからこそ慎重な行動を取るはずだ。


「そこまで馬鹿ではあるまい」

 と船長は高を括っていた。


 そう、相手を嘗めていた。

 まもなく海峡を抜けて大西洋へ出ようとしたときだった。駆逐艦は突然、大砲を発砲したのだった。






「なんなのよ、レイナ。あなた昔と違って、ほんと性格悪くなってるよ。あんなに優しい子だったのに、どうしちゃったの」


「お母さんか」


「ん?」


「あなたから説教される謂れはない。そもそも、いつまでモラトリアム気分でいる気よ。ここは猫動画が氾濫し、動物愛護団体が我が物顔で闊歩し、最先端で奇抜なファッションとテロさえも許容する人権意識と飽食すぎてコオロギにまで手を出して笑われていた、そんな平和をむさぼっていた日本エデンじゃないのよ」


「そういうことじゃなくてッ」


「ほら、」

 と、激高するシノへ数枚の紙束を差し出す。


「なに?」


「読めばわかるわ」


 ファックス用紙だった。

 枚数は3枚、といっても一枚目は送信元と送信先が記されているだけの表紙のようなものだ。


「統合参謀本部?」


「そこの情報本部からの緊急入電よ。二枚目以降をしっかり読み込みなさい……あら、美味しい」

 レイナはグレイスが入れたコーヒーを勝手に飲んでいた。


「そりゃあ、そうよ。この世界では希少種のブルマンなのよ、グレイスが入れたのよ。美味しくないわけがないでしょう。そこのピザも彼女が揚げたのよ」


 レイナはコーヒーを見つめながら「彼女、給養科コックの出身だったかしら」と思わず呟いた。


 それを聞いたシノはくすくす笑いながら否定する。

S,B,S特殊部隊よ、バリバリの陸戦要員だったわ。でもお料理が得意なのよ。わざわざ作ってくれたのに、あんな意地悪な追い出し方して」


「いいから、早く読みなさい」

 胸の前で腕組みをしながらレイナはツンとそっぽを向いた。

 シノはぶつぶつと、まだ何か言い足りなさそうに呟きながら紙面に視線を落とす。


 読み進めるうちに顔色が変わった。

「ベッリゾーニア帝国が、我が国に対して宣戦布告せんせんふこくきざしあり?」




 女王陛下を乗せた迎賓げいひん艇が投錨とうびょう停泊する各艦を巡る。

 海軍の礼装をお召しになった姿は凜々しくも美しい。


 約千年にわたり紡がれるレルム王国の歴史。

 数年前に病死した国王にかわり妻である女王陛下が現在の国家元首である。

 つまりレルム全軍の最高統帥権を持つということだ。


 政治の重職に就く者達へは常に優しくも厳しい言葉をかけられる。

 すべて国王から受け継いだ「国民のための国家」を理想としているからだ。


 錚々たる軍艦の列を見あげながら侍従と時折会話を楽しむ。

 そして今回の観艦式で最大の目玉であるヴァン・ニョルズに近接すると陛下は無邪気に手を振られた。


 露天甲板上で退屈していたアリスがそれを見つけ、不謹慎にも手を振り返す。

 しかも「おばあちゃまぁ!」である。


 周囲の将兵は動揺するが参列者である以上、整列を崩すことはしない。

 新兵教育時代に叩き込まれた『呪い』それは軍人のサガだ。


 ここは我々の役目とばかり、艦内秩序を維持するための国防大臣直属警察部隊『艦上憲兵隊FleetPolice』がこっそり後ろから近づくと肩に手をやり、「めっ」と叱った。


 だがアリスの大きな青い瞳に翻弄され、顔を真っ赤にしてめろめろになる。


 憲兵はアリスのファンクラブの会員だったのだ。

 後ろに控える上官へ振り向き「どうしましょう」と尋ねる。

 上官もまた「どうしようもないだろ」と赤ら顔で知らん顔をした。






「これは、間違いないのだね」

 レルムの若き首相のもとに伝えられた軍事情報は、彼を窓辺へ引き寄せ空を仰ぎ見させるに充分な迫力を持っていた。


 曖昧だった想像が具体的な形を伴う現実となって眼前に迫る。

 この国で政治を司る──美辞麗句に飾り立てられた綺麗事、あるいは尊厳を捨て他国にへりくだるようでは失格だ。


 理解してはいた。


 おそらくあの日、海賊から我が国民を救い出す決断をした日、すでに今日の運命は決まっていたのだろう。


 確実に戦火があがる。

 絶対に勝利せねばならない──敗北などあってはならない戦いで自分は最高指揮官を務めるのだ。そのプレッシャーに押し潰されそうになる。


「我が国へ対する侮蔑行為は女王陛下に対する侮蔑と同じです。絶対に容認出来ません。海軍艦艇に護衛させます」

 国防大臣の言葉に「少し待て……」と頭をかかえ、ゆっくり振り返ってから緊張の面持ちを崩さない大臣に「……頼みます」と伝えた。




 ──告げる。横暴悪辣なるレルム王国の全艦船へ対し、我がベッリゾーニア帝国は臨検を実施する!

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