第11話 それぞれの時間

「アリス少尉」


 呆けていた彼女の背に声をかけるのはヴァン・ニョルズの第6分隊……俗に「陸戦分隊りくせんぶんたい」と呼ばれる大所帯を任せられているジョーンズ分隊長だった。


 丸太のような二の腕に分厚い胸板は制服の上からも見て取れる。

 分隊というと陸軍でいう小部隊を想像するかもしれないが、海軍では軍艦内の職域区分を表す。肩には少佐の階級章を付けているが、まだ三十になったばかりの若手指揮官だ。


「なんでしょう」

 あくびが出そうな、まったりした雰囲気。


 あんにゅいな気怠さを醸す金髪碧眼の少女に、大隊長は苦虫を噛みしめたような渋い顔で応える。

「しっかりしたまえ、キミは士官なのだぞ。それも我が陸戦隊を代表するエリート将校ではないか」


「ほえ?」


 頭をかかえる。

 アリス少尉のこういうところは、独身貴族のジョーンズとしては嫌いではない。と、いうかむしろ愛らしく思う。

 彼女が軍人でなければプロポーズしていたかもしれない。


 けれど彼女は軍人、しかも将校だ。

 それも幼年学校を飛び級で卒業し兵学校も首席で卒業した……まさに天才児だ。


 彼女は全軍人の憧れでなければならない。


 否、たしかに彼女は人気者だ。だからこそ栄えある観艦式で、こうして陸戦隊を代表して整列している。

 噂では水兵らの間でファンクラブが結成されているとも聞く。


 けれど、そういう類いの憧れを軍は推奨してはいない。

 軍人として頼られるスーパーヒーローでなければならないからだ。


「いいかね、直立不動で。もっと、こんなふうに胸を張って立ちなさい」

 そういって自ら手本を見せる。

「こうだ」


「こうですかぁ」

 アリスは両手をピッとハの字に伸ばし、胸を張って顎をあげる。


「……ペンギンじゃないかッ!」

 可愛すぎる。このはなんだ。自分を誘惑するつもりなのか……と、ジョーンズは頭の中が真っ白になる。

 数秒の夢想妄想のあと「ハッ」と我に返って役割を思い出す。


「と、とにかく、もうすぐ迎賓げいひん艇が本艦の横を通る。陛下が乗船なさっておられる。失望させないようにな」


「……へいか?」


「女王陛下だ」


「うぉぉ。おばあちゃま来るの?」


「こらこら、軍の士官が陛下を婆さん呼ばわりするんじゃない」


 不思議そうにジョーンズの顔を覗き込んでくるアリスの大きな青い瞳。引き込まれそうになるのをグッとこらえて咳払いひとつ。


「潮風に打たれていると喉が乾くだろう。あとで紅茶をご馳走してやる。ヨークチャーのアールグレイ・リーフティーが手に入ったんだ。王室御用達だぞ」


 ジョーンズのドヤ顔にアリスはにんまり笑顔になる。

 けれど「大丈夫です。また今度奢ってくださいね」と、意外にもしっかりした声色で断りをいれてきた。


 子供に見えても(実際に未成年者だが)男社会で揉まれただけあってあしらい方は心得ているのだ。


 ジョーンズは自尊心の瓦解と恥ずかしさで泣きそうになるのを堪えながら「そうか」とだけ呟いてその場を立ち去った。







 広大なヴァン・ニョルズ艦内に複数存在する男性用士官室は下士官・水兵とは隔絶された場所にあるが、対して女性用士官室はウエーブ用居住区のなかに設けられている。


 シノが自室でパソコンを叩いているとドアがノックされた。

 第2小隊の腹心でありシノの相談役──士官とはいえ若いシノは戦闘経験は少ない。ベテラン下士官のアドバイスは必須だった。


 そんな頼りになる存在、グレイス・エバンズ曹長が鉄扉の外から声をかけてくる。

 シノは笑顔で招き入れた。


「ピザを焼いてみたの。それとコーヒー。少尉のお好きなブルーマウンテンよ」


 プライベートな休暇時間ということもあり、フランクな物言いで声をかけてくる齢上の部下。


「わぁ、美味しそう」

 シノがグレイスの力作に声をあげた。


 シノは中隊長のと違ってフレンドリーだった。とても付き合いやすい上官だ、とグレイスは感じていた。

 特に齢上の自分に『お姉さま』的な感情を抱いていると気づいているからこそ、二人っきりのときは『姉』として振る舞うよう心がけていた。



「さあ、座って。一緒に食べよ」

 シノが同室のアリス少尉の椅子を勧める。

 あの子はいま甲板に立って潮風にあたっている。当分は戻って来ないから「遠慮しなくて大丈夫よ」と笑顔で誘った。


「でも士官の椅子に腰掛けるのは、ちょっと、」


「淑やかね、意外」


「な、なによ。どういう意味ですか」


「あーん、だってぇ……」

 鼻にかかった声で甘える。


「ったく、もう。しょうがないなぁ」

 グレイスは折りたたみ式の簡易テーブルにピザとコーヒーを置くとシノから椅子を受け取る。それを待っていたかのようにシノは逆に椅子から立つと「ピザ分けよう、ナイフ持ってくる」と告げた。


 男社会の軍隊のなかにあって、ほんの一刻の小さな女子会。

 厳しい顔が目立つグレイスの表情も柔らかくなった。



 そんなとき、ノックもせずにドアが開かれた。


「シノ、いる?」

 レイナだった。


 その視線はすぐに、アリス少尉の椅子に腰掛け談笑していただろう曹長を捉えた。忌々しいものを睨みつけるかのような鋭い眼力で刺す。

 グレイスは冷や汗とともに直立不動に立ちあがると、腰から直角に頭を下げる無帽の敬礼をした。


「曹長、ここは士官寝室だぞ」


「申し訳ございません。すぐに退室します」


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。グレイス曹長はわたしが呼んだの。そして彼女はわたしの部下です」

 シノが慌ててレイナに


「グレイス曹長はレイナ中隊の所属だ。わたしの部下でもある。教育の不徹底だとわたしが笑われる」


「だから、あたしが呼んだって言ってるでしょッ!」


「お二人ともお辞めください。自分の考えが浅はかでした。退出致します」


 グレイスの言葉に打って変わってレイナ中尉が「そうよ。軍隊生活の手練れとしてを導いてやるのも最上級下士官としての務めです」とうっすら微笑を浮かべる。


 その表情に蒼ざめグレイスは「イエス、マム!」と踵を鳴らす最敬礼で退出した。


 シノは口を尖らせてレイナを睨んだが、レイナは飄々と……そして軍人らしく「これを読め」とファックスされた文章を差し出した。そこには驚くべき事態が書かれていた。

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