第8話 親友との再会
兵学校の敷地内には民間企業が出している喫茶店がある。
レイナからの手紙には、その喫茶店で「待ってる」と書いてあった。
シノは慌ててタンクトップと短パンを脱ぎ捨てると同時に制服へ袖を通す。
時計を見ると20時を回っていた。たしか閉店時間は20時半だ。
「なんで、もっと早く連絡しないかなあ」
部屋を抜け出して寮内を散策していたことなどすっかり忘れ、レイナの優柔不断さに怒る。
寮を飛び出し走る。
全力で走る。
制服にシワが出来ることなどお構いなしだ。
閉店一〇分前に飛び込んだ。
そこに一人、静かに珈琲を飲んでいるお人形さんがいた。
肩に乗る階級章は中尉だった。
「遅かったわね、すっぽかされたかと思ったわ。それに制服もシワだらけ。わたしの部下なら腕立て伏せよ」
そういって笑顔を見せた。
長かった黒髪は肩が出るまで切り揃えているが、端正な顔立ちと涼やかで切れ長な目。透き通るような白い肌。
やはり、良く知る鈴木玲奈その人だ。
「まさか玲奈もこっちへ来ていたなんて……なんで、いままで黙っていたのよ」
「それはこっちの台詞。知らなかったわ、詩乃もこっちに来ていたなんて。卒業式の報道を見て驚いたわたしの気持ちわかる?」
スッと空気を通すあの日のままの声色に泣きそうになって「れいなぁ」と抱き付こうとすると鈴木玲奈は席を立ちあがり「場所を変えましょう」と外へ出るよう促した。
卒業式を終えたばかりの静かな兵学校敷地内をふたりで散策する。
「シノ。あなたハイスクールを卒業して、すぐに兵学校へ入学しなかったのね」
「よく分からなかったのよ、軍のシステム。一年間、一般水兵をやっていたわ。駆逐艦の砲雷科で大きな砲弾をカートリッジに込める仕事よ。分隊長の勧めもあって兵学校を受験してみたら合格したの……ああ、だから玲奈は中尉なんだ。わたしより先輩になるんだね……あれ、でも四年間の学生生活で玲奈の姿を見てないわよ」
「わたしは入学式前日から外部研修よ。ここには宿泊さえしたことがない」
「それは……どういう」
「パパの……こっちの父の力ね。ハワード家の者は代々そういうことになっているそうよ。特別待遇で入学日と同日に
「わ、ずるー」
「そういう世界なのよ、ここは」
ハワード家に限らず、貴族階級は陸軍なり海軍なり、とにかく軍将校となるのが通例だ。
けれど一般庶民とは課程が異なる。また各貴族も階級(伯爵なのか、男爵なのか)やそれまでの軍への貢献度などで、扱いはそれぞれの子弟で違っていた。
現在の女王陛下の息子、つまり王子に至っては軍事訓練すら受けなかった。
それでも四年後に卒業式へやってきて、『卒業生代表』として登壇し訳知り顔で抱負を述べた。
しかも軍人であったのは一年間だけで──それも海軍省内で報告書に目を通すだけの簡単な仕事をしてから政治家(貴族院)へ転身した。
シノも同期らとの会話の中でそういう話は聞いたことはあったが、まさか目の前の旧友がそうだったとは──少し混乱して言葉が出ない。
「誤解されっぱなしだと面白くないから言っておくけど……」
レイナはツンとした表情で胸の前で腕組みをする。
「なに?」
「貴族っていうのは文武両道が常。わたしもフェンシングや格闘技の類いを女だてらに徹底やらされたわ。兵学校のカリキュラムなんて、いまさら
「へいへい、そうですか」
「そもそも軍の将校になれるのは、かつては上流階級だけだった。下士官兵は王様が大金と将来の保障を約束して数年間だけ拘束する──それもちゃんと面接があって領主クラスの貴族が許可しなければ採用されなかった。つまり『戦争を出来る権限』は一般庶民にはなかったのよ。日本でも戦国時代に刀をもって戦っていたのは武士だけでしょう。町人のところに『赤紙』もっていって無理矢理徴用するなんて時代劇を見たことある?」
レイナはやや興奮気味に一気に捲し立てる。
シノは半分も理解出来ないまま、ただ愛想笑いを浮かべていた。
「それと……、まあ、今晩は良いわ」
「ん?」
「わたしは中尉。あなたは少尉。そしてここは階級が全ての軍。わかるわね」
シノはそのとき、うっすらとレイナが怖いと感じた。
懐かしさの中に覗く──性格が変わってしまった旧友の本性が垣間見えた気がした。だから、あえて明るく戯けるように声を出した。
「……はいはい、そうね。明日から、ね。もっとも、同じ部隊に配属されるってわけじゃないし、そのうちわたしだって昇進するんだし」
少しムカつく気持ちを愛想笑いで抑えながら言った。
「聞いてないの?」
「なにが?」
今度はなんだ、まだ何かあるのか、とレイナの顔を覗き込む。
「シノ少尉は陸戦用兵で機甲科配属」
「それは、もちろん知ってる。用兵教育で明日、戦車学校へ着任するわ」
「わたし機甲科よ」
「え!?」
「それに貴族だからね。レイナが中尉になる頃には大尉……いえ少佐になっていると思うわ」
当然とばかりに自慢するわけでもなく、飄々とした表情で答えた。
「ず、ずるーッ!」
シノはこのとき、こっちの世界へ来てから初めて、少しだけこの世界が嫌いになった。
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