第5話 地獄の黙示録

 ガッ、と拳が飛んできた。

 勘違いした若造の頭は飛ぶほど強く叩かれた。怒りの鉄槌をくだしたのは中年海賊のボネットだった。


「てめえ、大切な商品に手を出すんじゃねぇ。こいつらはカネだ。欲しいなら、おまえも料金を払え」


「んな、あにきぃ。一人くらい、いいじゃんかよ」


「同じ事を二度言わせるな。チームに損害を与えるなら、おまえも……」

 ボネットが突然口ごもる──建物に微震!


「……なんだ、この振動は」


 揺れは次第に大きくなっていく。数秒で立つのも困難なほどの揺れが襲う。

 窓ガラスは悲鳴をあげ、カーテンは生き物のように波打つ。石造りの建造物は苦しそうに歪み軋み「地震か、」と皆が想像したが、すぐに打ち消す。


 なによりも微かに鼓膜を擽る、この心臓を圧迫するような曲はなんだ──発動機の高周波音に混じって聞こえるオペラには聞き覚えがあった。一分間で60ビートを超えるハイテンポの楽曲。心拍数があがり精神を麻痺させる麻薬の歌声。身の毛もよだつ地獄の旋律。


 リヒャルト・ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』第二部・第三幕の前奏曲。

 ワルキューレの騎行。



「やつらだッ! ブリテンが来たんだッ!」


 狼狽する伝説の海賊ブラック・バート。その胸元を鷲づかみ、ボネットは激高した。

「あんた、いいかげんにしろよ。ふざけんな、さっき説明しただろうが。連中がここまで来ることはない。もし来たとしても……」


 顔面に恐怖を浮かべ──あの世界中を震撼させた『洋上の悪魔』の面影すら残っていない老体を、ゴミのように床へ投げ捨てる。

 代わりに人質の男を掴んだ。同い年くらいの、けれど高級そうな容姿をした、ふくよかな男だった。


「……いいか、人質を盾にする……」


 ドスッ、という空気に穴をあけるような奇妙に低い音がした。

 瞬間、ボネットの頭はスイカのように弾け飛んだ。







《ガン・バトルモードへ移行》

 コクピット内に無機質で中性的な声が響く。


《パワーバッテリーへスイッチ。車高をローダウン。車輪を油圧ロック。スタビライザーを始動》


《目標物をロックオン。モニターへ投影しますか?》



「出してちょうだい」

 シノの命令にAIが即答する。


《モニターに出力。マルチ画面です》


 暗い車内で唯一光を湛える眼前のモニターへ建物内を彷徨く人影が映る。


 地上から五〇〇メートル上空を周回する偵察衛星。

 その赤外線カメラで捕らえられた目標がミアトゥへ伝達されていた。

 車内に搭載されるAIが解析し砲身の向きや斜角を瞬時に計算する。


 砲身は寸胴で短いが異様に太い。

 だが太くても実際に弾丸が射出される銃口の経は、ライフル銃の口径よりほんの少し大きい程度だ。


「セカンド・リリーより小隊各位。一列横隊ラインフォーメーションにて各個射撃体勢。射撃順はブリーフィング通り」


 それだけ言うとシノは操縦桿の射撃用スイッチを深く押し込む。

 振動もなく、ただ発動機が甲高い音を一瞬だけ奏でる。


 まるでテレビゲームだ、とエデンのそれを思いだし苦笑した。この瞬間に、すでに人命がひとつ失われているという実感はない。


 シノのミアトゥに部下たちも続く。

 まずはグレイス。そしてルナとアイラ。


 火薬ではなく『電磁力』によって撃ち出される弾丸は排煙すら存在しない。

 王国海軍の技術部が長年にわたり開発した車載用レールガンだ。

 寸胴で太い砲身ながら銃口はライフルのそれと大差ない。


 発射される金属製の『杭』はコンマ数秒で石壁に丸い穴を空け室内の海賊だけを確実に仕留めた。その射速から逃れることなど不可能だ。

 彼らが信仰しているだろう神に祈る猶予すら与えない。






 石壁はベニアの薄板でしかなかった。

 床に突っ伏している人質以外──血の気の多い海賊たちは中腰状態であってもからだに風穴が空いた。

 焼けた弾で一瞬にして血液が蒸発するのですぐに出血はしない。躰が倒れ、痛みと、制御不能な痙攣で躰をよじったときに一気に吹き出す。

 それで絶命した。


 若手リーダーのジャックは軍用ライフルのAKを手に窓へ近づく。

「連中、ぶっころしてやる!」


「馬鹿か、そんなもので戦車がやれるか!」

 バートが叫ぶ。


「じゃあ、どうすんだ」


 言い争っている間に再び二発、三発と銃撃を受けた。

 どのみち、このままでは建物自体がもたない。


「逃げるしかない」


「どこへだ」


「地下室はないのか!」


「んなもん、あるわけ……」

 ジャックの頭が粉々に吹き飛んだ。



《三名が玄関から出ます。一名が窓枠で自動小銃を構えています》


「グレイスは窓。ルナとアイラは玄関」

 短くそれだけ伝えれば部下は要領を得る。

 彼女らのミアトゥから、シュッという空気を切る音だけがした。


 あまりに静かな殺し合い……いや、殺し合いにすらならない。一方的な殺し。


 頭に沸いて出る嫌悪感をグッと押さえ込み、シノは射撃スイッチに力を込めた。


 しばしの沈黙……


《全対象の沈黙を確認》

 情緒を感じないAIの淡々とした報告に軽く深呼吸をする。

 外部カメラで両隣一列に並ぶミアトゥ。戦車というには、あまりに斬新かつ個性的な姿をしている。


「楕円形に近いボディラインをセクシーだなんて宣う人がいたわね。いやいや色こそ違うけど、この容姿はあいつだよ。台所の天敵」


 もちろん、こっち世界にも奴らはいた。幸いにも潜水艦の中では見たことがない。否、潜水艦のなかにいる大きな……ご・き・ぶ・り。


「小隊長、指示を」

 グレイス曹長から帰宅の催促だ。


 シノは気持ちを切り替えると、家族同然の仲間たちへ溌剌と伝えた。

「みんな周囲の警戒を怠らないで。潜水艦おうちに帰るまでが遠足よ」

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