第7話 兵学校
高校を卒業するときに再び役人がやってきて一枚のプリントをシノに提示した。
契約書だった。
まだ、こちらの言葉が良くわからなかったときにサインさせられたものだ。
無効だ、と騒ぐことも出来たがレルム王国には世話になった。病院の入院費用を含む代金はレルムの税金から出してもらったことも知った。
「じゃあ、まあ、いいか。別にやりたい仕事があるわけじゃなし」
それでシノは『軍人』になった。
「シノ・アンザイ少尉ッ!」
「はいッ!」
歴史を感じさせる講堂で壇上の偉いサンから名を呼ばれる。
即答して前に進む。
そこは海軍の将校を養成する『兵学校』だった。
「優秀な成績でご卒業なさるのね。これまでの辛い人生を撥ね除けた貴官の努力に敬意を払います」
優しい声色だった。
泣くはずがない、と思っていたのにシノの大きなドングリ眼からぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。
偉いサンの真横で、衛兵らに護られるように立つ高齢女性が歩み寄り、首から『優秀賞』の勲章をかけてくれる。
誰あろうレルムの女王陛下そのひとだ。
海軍兵学校では毎年の卒業式に
今年は『移民』として受け入れた少女が海軍の士官となった日としてマスコミも駆けつけていた。
しかも、ここ十数年出ていない『優秀』学生の授与式も同時に行われるという。
シノが敬礼した瞬間フラッシュがバチバチと光り輝いた。
シノは有名人となった──その日の晩のことだった。
「シノも元気でね、また会いましょう」
同室の子たちは次々とバスに乗って去っていく。
出発が明日になったシノひとり残して。
賑やかだった居室の空気は冷たく感じた。
「一人で夜を明かすなんて何年ぶりだろう」
孤児院施設の方は年齢も出身も人種さえもバラバラな女の子ばかり十人近くが生活する大部屋だった。だから兵学校女子寮の四人部屋はシノにとって快適だった。
むしろ「ひとりぼっちなんて寂しいなあ」と他の部屋を覗きに出かける。
さすがに卒業式が終わると小煩かった寮母は小言を言わなくなった。
タンクトップに短パン姿の素足で通路をパタパタ歩くシノに、仏頂面どころか笑顔で「少尉、どちらへ?」と尋ねてくる。
「は、はい。最後の夜に寮内のパトロールを実施しております」
シノのちょっと冗談めかした言い訳に「ふふっ」と笑い「お務めご苦労様です」と頭を下げて行ってしまった。まるで別人だと、驚愕した。
「少尉……そうかぁ、わたし士官になったんだなあ」
厳密にいえば「少尉候補生」であり階級は准尉なのだが、兵学校卒業者はこのあと半年の各用兵教育で全員が正規の少尉となる。
それで慣例的に、兵学校卒業式以後は「少尉」と呼ばれるのが通例だった。
「シノ少尉」
後ろから呼ばれた。振り返ると学生指導を担当していた下士官の海軍曹長だった。怖いひとだ、と身を強ばらせる。
「あの、これは……つまり、ぱとろーるを……」
「遅れましたが、ご卒業おめでとうございます」
ピシッ、と敬礼された。
「ああ、いや。ありがとうございます」
敬礼仕返す。
すると「無帽のときは頭をさげる敬礼ですよ」と突っ込まれた。
しかも、これまでにないほど優しい声だ。違和感しかない。
「イエス、マム!」
「ふふっ、あなたが上官ですよ」
「ああ、そうか……失礼した」
曹長は初めて見せるにこやかな笑顔で「少尉はレイナ中尉とお知り合いだったのですね」と言った。
レイナ?
「伝言をお預かりしております」
封書を手渡された。そこには綺麗な筆記体でレイナ・スズキ・ハワードと記名されていた。
「れいな……すずき……、え?」
用事は済ませたとばかり立ち去ろうとする曹長の背中をつかまえる。
「これ、誰が、ああ、いやレイナか。レイナはどこにいるの?」
「そのお手紙に必要なことは書かれていると仰られていました。ほら、ああいう性格の方ですから、わたしとしても深く突っ込んだ質問は致しかねます」
「え、レイナの性格。普通に可愛くて綺麗な子だよ」
「なるほど、シノ少尉にとってはそうなのでしょうね」
これ以上は関わりたくないとばかり曹長は「自分は当直中ですので、これで」と再び敬礼すると有無を言わさず逃げる。
「ひょっとしてレイナって嫌われてるの? なんで?」
すぐに部屋へ帰り開封する。
手で破ろうとして、少し考え、片付けたばかりの鞄を開いてペーパーナイフを出した。
便せん三枚にびっしり文字が連ねられていた。
しかも日本語だ。
冒頭に「気づいているかな。滅びたジパニの言葉は暗号代わりになるのよ」と書かれていた。
「ジパニ語じゃなくて日本語でしょう」
次に『兵学校卒業おめでとう』とあり、続いて『卒業式の様子はしっかり見せてもらったわ』と書かれている。
そのあとは自身の身の上と、ここまでの話。
懐かしさと、嬉しさと、いろいろな感情が湧き上がってきて気づけば泣いていた。
「レイナってハワード家の養子になったの? 大金持ちの、あのハワードさんのところ?」
孤児院送りの自分との違いにショックを受けた。
「でも施設は、あれはあれで楽しかったからいいけどね。そういえば、みんなどうしているのかな」
休暇が貰えたら一度帰ってみようか、などと考えながら手紙に目を通していると……『いま、あなたを学校の喫茶店で待つ』とあった。驚愕した。
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