【web版】幽閉令嬢の気ままな異世界生活~転生ライフをエンジョイしているので、邪魔しに来ないでくれませんか、元婚約者様?
狭山ひびき
プロローグ
「君の罪は取り消す。だから戻ってきてくれ。カルローニ国には……いや、私には、君の支えが必要なんだ」
アドリアーナ・ブランカは、突然やって来た元婚約者ヴァルフレードのあまりの厚顔無恥さに開いた口が塞がらない思いだった。
つい一か月前の学園の卒業式のプロム。
貴族の子女や教師たちが大勢いる中で、アドリアーナに向かって婚約破棄を突きつけ、ありもしない罪でこの地に幽閉したヴァルフレードの、あまりに身勝手な言い分に怒りを通り越してあきれ返る。
カルローニ国の王太子であるヴァルフレードは、あろうことか男爵令嬢クレーリア・ミラネージにうつつを抜かし、彼女を虐げていると噂のアドリアーナを公然の場で断罪したのである。
その上、王家が管理している直轄地の一つ、東の国境近くにあるこの地の離宮へ、アドリアーナを生涯幽閉すると国王の裁可もなく勝手に決定しておいて、何を言い出すのだろうか、と。
(クレーリアを支えるために側妃になれですって? 馬鹿にするのも大概にしなさいよね)
要約すると、クレーリアがあまりに無知すぎて、国王夫妻や忠臣から彼女を王太子妃にする許可が下りないらしい。
それはそうだ。
もともと国王夫妻も大臣たちも、アドリアーナが王太子妃――ゆくゆくは王妃となってヴァルフレードを支える未来を見据えて動いていた。今更妃教育も終わっていない、それどころか取り掛かってすらいない相手に代わりましたなどと言われて、はいそうですかと受け入れられるはずがないのである。
ましてや、アドリアーナはブランカ公爵令嬢だ。
アドリアーナとヴァルフレードの婚約は、国内の力関係を考えて、二人が十歳の時に整えられたものだった。
アドリアーナとの婚約が白紙になったため、ヴァルフレードは国内でも有数の資産家であり、絶大な権力を持つブランカ公爵家の後ろ盾が得られない。
男爵家の、それも落ちぶれかけているような貧乏貴族であるミラネージ男爵家が、ブランカ公爵家のかわりが務まるとは誰も思わないし、むしろ余計な血筋を王家に取り込もうとしているヴァルフレードの愚かさに頭を抱えることだろう。
(そこで殿下は、わたしを再び表舞台に引っ張り出そうと思ったわけね)
側妃で、というのはクレーリアの立場を考えてに違いない。
落ちぶれた男爵家の令嬢の側妃など誰も見向きはしないが、王太子妃や王妃であれば無視できないからだ。
クレーリアが冷遇されないように地盤を確保しつつ、クレーリアが行えない王太子妃や王妃の仕事はアドリアーナにさせようという魂胆らしい。
(やっとゲームのエンディングが終わって静かに暮らせると思ったのに、いい加減にしてほしいわ)
アドリアーナはこっそりとため息をついた。
言ったところで誰も信じないだろうが、アドリアーナには前世の記憶がある。
こことは別の世界で生きた記憶で、その記憶をもとに判断した結果、生まれ変わったこの世界は前世でプレイしていた俗に「乙女ゲーム」と言われる世界であると判明した。
ゲームの世界で悪役令嬢のポジションにいたアドリアーナは、なんとかして悪役令嬢として断罪される結末を避けようともがいたがどうしようもなく、こうして断罪されて幽閉されたというわけだ。
最初は絶望しそうになったが、よく考えてみると、幽閉先は王家の離宮で、使用人たちもいて、自由に出歩けないことを除けばなかなか優雅な生活が送れる。
これは息子が暴走した結果巻き込まれてしまったアドリアーナに対して、国王陛下がせめて不自由しないようにといろいろ配慮してくれた結果だった。
公然の場で宣言してしまったので、今更なかったことにはできない。
さすがにそれをすると王家の威信に関わるからだ。
だから国王夫妻は可能な限りアドリアーナの生活水準の確保に努めてくれたのである。
もちろん、表立ってはできないがブランカ公爵家にも内々にかなりの慰謝料が払われたと聞く。
ブランカの父はとても優しいが、政治的なことが関わると貴族らしく辛辣で容赦がない面があるので、おそらく搾り取れるだけ搾り取ったはずだ。
多少の不自由はあれど、胃がキリキリするような学園生活からも解放され、好きでもなかったヴァルフレードとの結婚からも解放されて、公爵家も潤って万々歳だと、アドリアーナは前向きに考えることにした。
その矢先に、ヴァルフレードは意味不明なことを言い出したのだから、もういい加減放っておいてくれないかしらと嘆きたいところである。
「殿下、お手紙のお返事でお断りしたはずですが?」
実はヴァルフレードが直接やってくる前、彼から「罪をなくしてやるから王都に戻ってこい」とずいぶん上から目線の手紙が届いていたのだ。
腹が立ったので「お断りします」と一言だけしたためた手紙を送り返してやったのだが、どうやらその一言では納得できなかったらしい。
「クレーリアでは外交も内政も社交も難しいんだ。アドリアーナの力が必要だ」
つまり全部でないか!
それに、だ。
アドリアーナは何もしていないのに、彼女にいじめられたと意味不明な発言をしてヴァルフレードに泣きついたクレーリアを、どうしてアドリアーナが助けてやらなければならないだろう。
ましてやあっちが正妃でこちらが側妃となれば、どんな理不尽な要求をされるかわかったものではない。
ちょっと考えただけでもストレスで禿げそうな環境だとわかるのに、そんな提案をアドリアーナが受け入れると、本気で思っているのだろうか。
「君の気持ちもわかるつもりだ。私も、君には可能な限り配慮すると誓う」
(可能な限り、ね)
それはまったく宛にならない配慮であるし、ヴァルフレードにアドリアーナの気持ちがわかるとはこれっぽっちも思わなかった。
「繰り返すようですが、お断りします」
すると、ヴァルフレードがムッとしたように眉を寄せた。
「君は公爵令嬢だろう? 少しは国のことを考えたらどうなんだ?」
(その言葉、そっくりそのままお返しするわよ!)
クレーリアが役に立たないからアドリアーナを頼って来たくせにどの口が言うのだろうか。アドリアーナを捨ててクレーリアを選んだヴァルフレードのどこが「国のこと」を考えていると? 公爵令嬢以上に国のことを考えなければならない王太子が目も当てられないような馬鹿なことをしでかしておいて、偉そうなことを言わないでほしい。
ムカムカしてきたアドリアーナは、すっかり冷めてしまった紅茶に口をつけた。
そして、にっこりと、妃教育で身に着けた社交的で完璧な笑みを浮かべる。
「国のことを考えてわたくしと婚約破棄をすると、あの時殿下はおっしゃったではありませんか。わたくしと婚約破棄することが国のためになるんでしょうから、わたくしが再び表舞台に戻るのはおかしいでしょう?」
一か月前に自分で言ったことも忘れたのかバーカ、と言う嫌味を込めて言ってやると、ヴァルフレードがばつの悪い顔になる。
「……状況が変わったのだ」
「状況が変わったとしても、わたくしは国のためにならないと一度はおっしゃったのですから、ご自分の発言には責任を持っていただきたいですわ。王太子ですもの、当然でしょう?」
国のトップが、ころころと意見を変えていたら臣下が戸惑う。
未来で国王になろうというヴァルフレードが、自分の発言に責任を持てなくてどうするというのだ。
(だから陛下も、愚かしいとわかっていながら殿下の発言を撤回できなかったのに、本当にわかっているのかしら?)
簡単に撤回できる発言なら、アドリアーナがここに送られる前に国王がヴァルフレードの発言をもみ消していた。
それができないからブランカ公爵家を繋ぎとめるため奔走して、非公式ではあるがわざわざ頭まで下げに来てくれたのである。
両親にそこまで迷惑をかけたくせに、それがわかっていないヴァルフレードは愚かすぎる。
アドリアーナはぐるりとサロンを見渡した。
離宮に連れてきたブランカ公爵家の使用人たちが、その視線を受けて一斉に動き出す。
一人はヴァルフレードが脱いだ秋物のコートを、もう一人がサロンの入り口を大きく開けた。
「ミラネージ男爵令嬢を補佐する方が必要だと言うのなら他を当たってくださいませ。わたくしはもう、殿下も、ミラネージ男爵令嬢の顔も見たくありません」
もう帰れ、と大きく開かれた扉を振り返る。
しかし、わかりやすく退場を示してあげたのに、ヴァルフレードは立ち上がるそぶりを見せなかった。
「他がいないからアドリアーナに頼んでいるのだ」
「そうでしょうね。妃教育を終えているのはわたくしだけですもの。……でしたら、アロルド殿下の婚約者様が妃教育を終えるのをお待ちになったらいかが?」
アロルドは今年十三歳になるヴァルフレードの弟だ。
言外に、ヴァルフレードではなくアロルドが次期王になる可能性を示唆してやると、ヴァルフレードが顔を真っ赤に染めた。
「お前……!」
「殿下は今、ご自身で渡る橋の橋脚を一本叩き折ったような状況ですのに、気づいていませんの?」
一本と言わず数本折ってしまったようなものだが、さすがに倒壊寸前だと伝えるのは可哀そうだし逆上しそうなので一本と言っておく。
「倒壊する前に修復なさいますようアドバイスしておきますわ。ただし、わたくしはお手伝いいたしません。だってもう、わたくしは殿下ともう何の関係もございませんもの」
元婚約者が、いつまでも自分のものだと思っているのならば考えを改めるべきだ。
アドリアーナはもうヴァルフレードの理不尽な要求にこたえる義理はないのだから。
おそらくヴァルフレードがこのまま王太子の座に残れるかどうかは、これから彼がどれだけの貴族――それも高位貴族を味方につけられるかにかかっているだろうが、ブランカ公爵家は少なくとも彼にはつかない。そして、国内でもトップクラスの権力を持つブランカ公爵家がそっぽを向いた王太子に、どれだけの貴族が手を差し伸べるだろうか。
そういう意味でも、ヴァルフレードはアドリアーナと和解して、彼女を得ることでブランカ公爵家のバックアップを受けたいのかもしれないがそれは不可能だ。
たとえクレーリアと別れて、もう一度婚約者にと言って頭を下げてきても無理な話だった。
それなのに、クレーリアと別れずに側妃になれなんて、だれが考えても馬鹿げている申し入れだろう。
「アドリアーナ、お前、冷たいぞ! 八年間も俺の婚約者だったのに!」
とうとう情に訴えてきた。
(ああもう、本当にイライラするわ!)
アドリアーナだけではない。
すでにサロンにいる使用人の顔は険しかった。
よく教育が行き届いている使用人たちなので、最初は表情を取り繕ってくれていたがもう無理なのだろう。アドリアーナだって無理だ。
ヴァルフレードをどうやってつまみ出してやろうかと考えていると、開けっ放されているサロンの扉をくぐって、背の高い黒髪の青年が入って来た。
「殿下、冷たいと言うのなら、八年間も殿下に尽くしたアドリアーナを公然と切り捨てた殿下の方ではありませんか」
冷ややかな声にヴァルフレードがハッと顔を上げる。
「ジラルド! なんでお前がここに……!」
「ジラルド……」
アドリアーナも、彼の姿にホッと胸をなでおろす。
ジラルド・オリーヴェ。アドリアーナやヴァルフレードより一つ年上の彼は、オリーヴェ公爵令息でアドリアーナとヴァルフレードの幼馴染だ。
襟足にかかるくらいの長さのさらさらの黒髪に、エメラルドのように綺麗な緑色の瞳。彼の叔父が騎士団に在籍していて、幼少期から稽古をつけてもらっていたからか、騎士のように引き締まったすらりと高い体躯をしている。
ジラルドはアドリアーナの側にやってくると、座りはせずに、じっとヴァルフレードを見下ろした。王太子を見下ろす時点で不敬ではあるが、王妹を母に持つジラルドはヴァルフレードと従兄弟の関係でもあるので、ヴァルフレードもこのくらいで騒ぎ出したりはしない。
「あまり我儘が過ぎますと、我が家まで敵に回すことになりますよ?」
「……ぐ」
ヴァルフレードは低くうめいて視線を彷徨わせる。
アドリアーナを切り捨ててブランカ公爵家の反感を買ったヴァルフレードにとって、叔母が嫁いだオリーヴェ公爵家が最後の綱なのだ。ここでオリーヴェ公爵家にまでそっぽを向かれると、いよいよ王太子の座から引きずり降ろされることになるだろう。
「今なら黙っておいてあげます。俺の気が変わらないうちに、早々に立ち去ってください。――これ以上、アドリアーナを煩わせるな」
最後に特別低い声を出して、ジラルドがヴァルフレードを睨みつける。
ヴァルフレードは悔しそうに唇を噛んで、それから渋々立ち上がった。
使用人からコートを受け取り、それを片手に玄関へ向かう。
さすがに無視できないのでジラルドとともに見送りに出ると、ヴァルフレードは何度もアドリアーナを振り返りながらとぼとぼと去っていった。
「こうなることはいくらでも予測できただろうに、殿下は相変わらず見通しが甘い」
「本当にね……」
ジラルドに同意しながら、アドリアーナは、ここに至るまでのことを思い出した。
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