コンソーラ町の不可解 3
離宮につくと、土汚れたダニロとエンマにカルメロが眉をひそめた。
どうやら土だらけの服で離宮の中に入ってほしくないようだ。
カルメロは国王の侍従だっただけあってこのあたりにはうるさそうなので、アドリアーナは先手を打って彼に向かってにこりと笑った。
「何か着替えを貸してあげてくれないかしら? 子供服はないかもしれないけど、何かあるでしょう、着られそうなもの。気になるなら着替える時に体を拭いてあげるといいと思うわ」
「……かしこまりました」
アドリアーナが意地でもダニロとエンマを離宮に入れるつもりだと察したカルメロは、肩をすくめてメイドを呼んで二人の着替えを命じる。
「二人とも、お姉さんについて行って着替えさせてもらってらっしゃい。お茶とお菓子を用意して待っているわ」
「……お菓子」
そのときはじめてエンマが声を発した。小さな声だったが、それまで警戒一色だった彼女からそれ以外の反応が引き出せてアドリアーナはちょっと嬉しくなる。
ダニロは戸惑っているみたいだが、妹が瞳を輝かせているのを見て、申し訳なさそうにアドリアーナに頭を下げた。
「ありがとうございます、アドリアーナ様」
「お礼はいいから、ほら、エンマが待てなくなる前に着替えてらっしゃい。……カルメロはこっちにお願い」
二人がメイドに連れられて行くと、アドリアーナは一足先にサロンへ向かった。カルメロと、それからデリアとヴァネッサをも一緒だ。
サロンに入ると、メイドがお茶をお持ちしましょうかと訊ねてきたが、アドリアーナはダニロとエンマが戻って来てからでいいと断って、部屋の扉を閉めるように言う。
部屋の中が四人だけになると、アドリアーナは声を落としてカルメロに問いかけた。
「ここボニファツィオは、子供が食べるものに困るくらい収穫量が低いのかしら? 貧民に対する援助はどうなっているの?」
ダニロとエンマが親から虐待を受けているわけでないのならば、彼らがあれほど瘦せ細っているのはおかしい。ましてやコンソーラ町から遠く離れた王家の山に食べ物を求めてやってきたということは、近くに食べるものがないからだと思わざるを得なかった。
カルメロはアドリアーナが言わんとすることにいち早く気づいたようで、顎に手を当てて眉間にしわを刻んだ。
「この地からの納税分の作物が減ったとは聞いていませんし、不作の報告も受けていないはずです。もちろん今年分の報告は上がっていませんが……、アドリアーナ様がこちらにいらっしゃることになりましたので、事前調査はされているはずです」
「調査報告書はわたしが見ることも可能?」
「もちろんです。私も気になりますので、王都に連絡して調査報告書を送ってもらいましょう」
「ありがとう。お願いね」
カルメロが一礼して去っていくと、デリアが不思議そうな顔をした。
「何か気になるんですか?」
「子供が食べるものに不自由している環境っていうのがちょっとね。確かに経済状態は各家庭で違うけど……王都では、飢餓で国民が命を落とすことがないように、生活に苦しい家庭への食糧支援があるじゃない?」
「そうなんですか」
「そうなのよ」
やはりデリアは知らなかったらしい。まあ、国政についていない貴族の子女は平民向けの国の支援を知らなくても仕方がないだろう。アドリアーナは妃教育の一環で学んだので知っているだけで、ヴァルフレードの婚約者になっていなかったら知らずに生きてきただろうし。
ヴァネッサは騎士団に籍を置いているだけあって、食糧支援については知っているようだった。炊き出しや配給には兵士が駆り出され、騎士はその指揮をとらされたりするので、もしかしたらヴァネッサも配給などに携わったことがあるのかもしれない。
「王都以外の食糧支援についてはその地を治める領主の裁量に任されているんだけど、ここは王家直轄地でしょう? 王都と同等とまでは行かなくても、相応の対策は取られていると思ったんだけど……ヴァネッサ、何か知ってる?」
「詳細までは把握しておりませんが、直轄地へ騎士団が配給のために派遣されることはありません。おそらく代官の裁量に任されているのかもしれません」
「なるほどね……」
そうなると、食糧支援が適切に行われていない可能性も出てくる。貧困層への食糧支援は義務付けられているけれど、どこまで支援するかについては領主の裁量に任されているので、同様にこの地の代官の裁量で決めていいことになっているのならば、ろくな支援をしていないとも考えられた。
(まだ結論を出すには早いけど、調べたいわね)
アドリアーナはもうヴァルフレードの婚約者ではなく、将来この国を担うことはない。しかし、見て見ぬ振りはできそうもなかった。
考え込んでいると、メイドがダニロとエンマの着替えが終わったと連絡してきた。
念のためヴァネッサを残し、デリアにはサロンから退出してもらうと、ダニロとエンマを招き入れる。
メイドにお菓子とお茶、それから栄養面を考えて野菜のポタージュやサンドイッチなどの食事を運ばせると、ダニロとエンマが瞳を輝かせた。
「好きなだけ食べてちょうだい。マナーは気にしなくていいわ」
平民の子供が貴族の食事マナーを知っているはずがない。デリアが見れば眉を顰めそうなので出て行ってもらったし、ヴァネッサは騎士なので多少のマナーの崩れは気にしないはずだ。遠征先などではテーブルに座ってナイフやフォークで食事できない場面も多々あるだろうから、ある程度は目をつむってくれると思う。
「手を拭いてから食べましょうね」
そう言ってエンマの手を濡れタオルで優しく拭うメイドも、二人の食事マナーに目くじらを立てることはないだろうと判断できた。
ダニロも手を拭き終わって、ちらりとアドリアーナを見上げてくる。
大きく頷くと、薄切りにした肉がたくさん挟んであるサンドイッチを掴んで、大口を開けてかぶりついた。
エンマも兄に習ってサンドイッチを食べはじめる。
二人の旺盛な食欲にヴァネッサやメイドが目を丸くして、それから微苦笑を浮かべた。
(よほどお腹がすいていたのね)
ダニロやエンマから話が訊きたいが、二人がお腹を満たすまで待って上げた方がいいだろう。
サンドイッチ、スープ、そしてお菓子と驚くほどの食欲を見せた二人は、やがて満足したのか手を止めて、しかし残った食事を悲しそうな顔で見つめた。そこには食べ物に対する執着が垣間見える。
(いったいどんな生活を送ってきたのかしら?)
ダニロやエンマのその様子を、アドリアーナは意地汚いとは思わなかった。それだけつらい思いをしてきたのだろう。
「スープは難しいけれど、残ったサンドイッチとお菓子は包んであげるから持って帰りなさい」
「いいの⁉……ですか?」
顔を輝かせたエンマがハッと口を押えて言いなおすところが可愛らしい。
「ええ。……その代わりと言っては何だけど、どうしてわざわざ王家の山に入って来たのかを教えてくれないかしら? 食べるものがない……のよね?」
エンマがダニロへ顔を向けた。
ダニロがこわばった顔で膝の上にこぶしを握る。
「心配しないで。怒ったりしないわ。ただ、事情が知りたいの。コンソーラ町には食べるものがないのかしら? それとも食べるものを買うお金がないのかしら? 町で食料の配給とかは行われたりしないしていないのかしら?」
「アドリアーナ様、そんなに一度に質問したら彼らが困ってしまいますよ」
ヴァネッサが苦笑して、ダニロの側に膝をつく。
「食べるものがなくて困って山に入った。そうだね?」
「……はい。山の食糧は、代官様も取れないから」
「代官様が取れない?」
どういうことだと口を開いたアドリアーナをヴァネッサが手で制す。ここはヴァネッサに任せた方がうまく子供たちから情報を引き出してくれそうだと、アドリアーナは頷いて口を閉ざした。
「ダニロとエンマは兄弟だったよね。二人のお父さんとお母さんは何をしている人?」
「農家。町から近いところに畑があるんだ……です」
「農家なのに、食べるものがないのはどうしてかな? 一定量を税として治めたら、あとの収穫は自分たちで好きにできるはずだよね? 収穫量が少なかった?」
「ううん、違います。今年は麦もたくさん採れたし、リンゴの木もいっぱい実ってます。でも……税金ってやつで、ほとんど全部持ってかれるから……」
(ほとんど全部持って行かれる?)
アドリアーナは詳しく聞きたくてうずうずしてくる。
税金は収穫量に対する割合だ。たとえ収穫が少なかったとしてもその分補填しろとは言われない。税には国に納める税金と領地に治める税金があるが、ここは王家直轄地なので領主の懐に入る分の税金は計算されない。その分、王家直轄地は「領地運営税」として本来領主におさめるはずの税が領地の運営費として搾取されるが、他領と比べたら低いはずだ。王家直轄地の代官は城に勤める文官と同じ扱いなので、給料は国庫から支払われる。
「代官様は、食べるものに困るような量の収穫物を税金として持って行ってしまうの?」
「はい」
「それはいつから?」
「今の代官様……ええっと、ルキーノ様が来てからです」
子供も言うことではあるが、嘘を言っているとは思えなかった。
ヴァネッサが「ありがとう」とダニロとエンマに微笑んでから、アドリアーナを振り返って険しい顔をする。
「ヴァネッサ、ありがとう。もういいわ。なんとなくわかったから」
ここ数年、国へ治める分の税率は変わっていない。王家直轄地に課せられる領地運営税の方に変化があった可能性もあるが、こちらの税率が上がったとしても、領民が生活に苦しむほど搾取されるとは考えにくい。
つまり――代官が余分に税を搾取して私腹を肥やしているとしか考えられなかった。
けれど、ダニロやエンマの証言だけで動くのは時期尚早だろう。裏取りと証拠集めが必要だ。
「ヴァネッサ、この子たちが遅くなるといけないから町の近く……そうね、人目につかないあたりまで馬車で送ってあげてくれないかしら? 残っているサンドイッチとお菓子を包んであげて」
「わかりました」
メイドがサンドイッチとお菓子を包んでダニロに渡すと、ダニロが顔を紅潮させて「ありがとうございます!」と頭を下げた。山に無断で侵入したが、悪い子たちではないのだ。そこまで追い詰められていただけなのである。
ダニロとエンマをヴァネッサに任せて、アドリアーナは部屋を出るとカルメロを探した。
(付け焼刃でしかないけれど、事実がわかるまで当面の対策が必要だわ)
アドリアーナはカルメロを捕まえて、「王家から」と言う名目でコンソーラ町で食料配給を行うように頼む。
アドリアーナに割かれた予算は使いきれないほどあるので、カルメロはもちろん否とは言わなかった。
(これも縁だものね。何が起こっているのか調べなきゃ)
場合によっては代官の罷免を国王に奏上しなければならないが、そのためにはそれだけの情報を集めなければならない。
この離宮の使用人は、国王が急いで手配したため、カルメロ以外にも城で働いていた人間が何人もいる。中には元文官や、文官の補佐を行っていた人間もいるので、証拠集めや資料作成に手を貸してもらえるだろう。
(なんだか覆面調査官になった気分だわ)
アドリアーナは元文官と文官補佐をしていた使用人をダイニングに集めてもらうようにカルメロに伝えて、自分は父宛に手紙を書くために自室へ向かった。
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