コンソーラ町の不可解 2

 一人で出歩くのは危険だと言われて、騎士一人とデリアの三人で離宮の外に出ると、散歩道として整えられている小道をのんびり歩いていく。


「この前散歩していたときに栗の木を見つけたじゃない? そろそろ落ちているかしら?」

「どうですかね? 寄ってみます?」

「ええ。落ちてたら拾って帰ってお菓子にでもしてもらいましょ」

「それは構いませんが、棘が刺さったら危ないので触らないでくださいね」


 一緒についてきてくれた女性騎士のヴァネッサが苦笑気味に注意をした。

 アドリアーナは自分の足元を見て、確かにいがぐりを踏んづけて栗を出すには向かない靴だと思い頷く。


「そうね、この靴じゃあ棘が刺さりそう……」

「栗が落ちていたら、わたしが拾いますから」


 ヴァネッサが自分のブーツを指さして言う。ヴァネッサのブーツはいざと言うときに走りやすいよう、底に分厚いゴムが張ってあるし、丈夫そうなので、いがぐりを踏んでも大丈夫そうだ。

 前回散歩したときに見つけた大きな栗の木のあるあたりに向かいながら、アドリアーナは栗を拾ったらどんなお菓子にしてもらおうかと想像を働かせる。


(クリームにしてもらってモンブランとかパイにしてもいいけど、そのまま甘露煮にしても美味しいわよね)


 離宮の周りの山の中には、栗の木もそうだが、他にもリンゴやミカン、梨やレモンなど、びっくりするくらいたくさんの木が生えていた。

 これらは、かつてこの地を治めていたボニファツィオ辺境伯が、もし隣国が攻めて来た場合に備えて少しでも食料を確保するために植えたものらしい。

 兵糧は戦場において何よりも優先して確保しなければならないもので、それが底をつけばいかに兵士がたくさんいようとも戦い続けることは不可能だ。


 ボニファツィオ辺境伯が植えたそれらの植物は、年月を経て野生化し、周囲の木々と同化するようにしてあちらこちらに点在するように生えていた。

 動物や鳥の糞で運ばれたりした種があちこちで芽吹いたりしたのだろう。

 人が管理して育てたものではないので味は落ちるかもしれないが、散歩中にそれらに出くわすとなんだかわくわくしてしまうものだ。


「止まってください」


 三人並んで栗を拾ったらどうするかと話しながら歩いていると、突然ヴァネッサが表情を険しくしてアドリアーナとデリアに歩みを止めるように指示を出した。


(野生動物の気配でもするのかしら?)


 このあたりに熊は生息していないと聞くが、猪は意外とどこにでもいる。巨体が突進でもしてきたひとたまりもないので、アドリアーナはごくりと唾を飲みこんだ。

 ヴァネッサはアドリアーナとデリアにその場から動くなと伝えて、重心を低くして足音を殺すように先に進んでいく。


「大丈夫ですお嬢様。何があってもわたくしが守りますから」


 デリアが拳を握り締めて、アドリアーナを守るように前に立った。


「何言っているの、万が一の時は全員で逃げるのよ。猪だってそう遠くまで追ってきたりしないわよ、きっと」

「は? 猪?」


 デリアがハトが豆鉄砲をくらったような顔で振り返った。


「違うの?」

「いくら何でも、ヴァネッサ様が猪ごときであれほど警戒することはないと思いますよ」

「じゃあ、熊?」

「熊はこのあたりにいないと聞いています。って、そうじゃなくて、人間ですよ! きっと何者かが入り込んでいるのかもしれないです」

(ああ、なるほど)


 その可能性は考えていなかった。

 山の出入り口からここまではそれなりに距離があるし、王家の敷地に無断で入り込むなど恐れ多くて普通は考えないだろう。


(でもあり得ないことはないわよね。うっかりしていたわ)


 山の中だから出てくるのは動物だと思い込んでいた。


「だけどデリア。相手が人間だったとしても逃げなきゃダメよ。何が目的かわからないけど、万が一のときには走って逃げるわよ。ここから離宮はそれほど離れてないもの。デリアが逃げなきゃ、わたしも心配で逃げられないじゃない」

「またそういうことを言う。わたくしよりもお嬢様の方が――」


 大事です、と言いかけたデリアの声が途中で途切れた。

 ヴァネッサが向かった先から「うわあ!」という子供の声と、「何者です⁉」というヴァネッサの声が同時に響いたからだ。

 何が起こったのだろうかと警戒しながら待っていると、ヴァネッサが十歳くらいの男の子と七歳くらいの女の子を両脇に抱えて戻って来た。


(子供二人を抱えるとか、ヴァネッサ、力持ちね……)


 ヴァネッサが捕まえてきたのが子供だったからだろうか、アドリアーナはほっと安堵して、変なところで感心してしまう。


「ヴァネッサ、その子たちは?」

「栗の木の下にいました。事情は今から聞くところです」

「栗の木の……」


 見れば、男の子の手には麻袋がしっかりと握られていた。栗拾いをしていたのかもしれない。

 男の子も女の子も真っ青な顔をして震えていて、可愛そうになったアドリアーナはヴァネッサに二人を下してあげるように指示を出す。


「逃げようとしたら斬ります」


 ヴァネッサが腰の剣に触れて言うと、女の子がわっと泣き出した。

 その子をかばうように男の子が抱きしめて、強張った顔をこちらへ向ける。


「ヴァネッサ、相手は子供だから……。ええっと、君たち、ここで何をしているの?」


 子供相手にも容赦がないヴァネッサに困惑しつつ、アドリアーナはその場にひざを折って子供たちの目線の高さに合わせる。

 デリアが「お嬢様、危険です」と言っているが、栗拾いをしていただろう子供二人の何が危険だろうか。

 まったく二人とも警戒しすぎだとあきれて、アドリアーナは震えているだけで答えない子供に「どこから来たの?」と質問を重ねた。

 男の子がごくりと喉を鳴らして「コンソーラ町」と小さく答える。


「コンソーラ町? 距離がずいぶんあるけど、まさか歩いてきたの?」


 森の出口まで馬車で一時間、そこからさらに馬車で一時間半かかる町だ。子供の足では何時間もかかるだろう。

 男の子がこくんと小さく頷く。


(どうしてこんなところまでわざわざ……、というか、この子たちボロボロじゃないの)


 着ている服は土や砂で汚れていて、継ぎはぎだらけだ。服の袖や裾からのぞく手足もびっくりするほど細い。

まさか親から虐待を受けている子たちではなかろうかとアドリアーナは表情をこわばらせたが、見える場所には殴られたようなあざはない。


(ってことはネグレクトとか? でも……)


 服が継ぎはぎだらけと言うことは、服に穴が開けば継いでくれる誰かがいると言うことだ。ネグレクトであれば、それすらしてもらえないはずである。

 怪訝に思っていると、男の子が「領主様?」と遠慮がちに聞いてきた。


「えっと、領主様じゃないのよ。この先の離宮に住んでいるのは間違いないけれど……。ええっとヴァネッサ、この子たちを離宮まで連れて行ってもいいかしら? ここで立ち話も何だし、何か理由があるかもしれないから」


 ここが王家の敷地であることは、おそらく子供たちも知っているはずだ。無断で侵入して罰を受けないように大人たちが言って聞かせているはずだし、森の出口には門があって、そこには門番が置かれている。子供たちが門から侵入しようとすれば門番が止めるだろう。つまり、この子たちは人目を避けて道らしい道のない木々の間から山に入ったことになる。この子たちをそこまでさせた理由は何か、とても気になった。


「しかし……」

「いいじゃない。武器なんて持っていなかったんでしょう?」


 ヴァネッサがここまで連れてきたということは、彼らが武器を持っていないからだ。武器を持っていたらヴァネッサはその場で縛り上げるなりなんなりして、武器も取り上げていただろう。

 ヴァネッサは肩をすくめて、仕方ありませんねと頷いた。

 行きましょうと声をかけると、子供たちは警戒しながらアドリアーナの後をついてくる。

 できるだけ子供たちの緊張を解きほぐそうと、アドリアーナは笑顔で話しかけた。


「そういえば名前は何なの? わたしはアドリアーナよ」

「ダニロ。……こっちは妹の、エンマ、です。アドリアーナ様」


 たどたどしい言葉遣いだったが、親からそれなりに教育を受けているとわかる受け答えだ。

 ヴァネッサが少しだけ警戒を解いたのがわかった。

 アドリアーナに無礼を働かないかどうか目を光らせていたデリアも、ダニロの慎重に言葉を選ぶような話し方に表情を柔らかくする。


「ダニロとエンマね。栗を拾っていたの?」


 ダニロが、持っていた麻袋を握る手に力を入れた。取られると思ったのだろうか。


「……はい」

「そう。たくさん採れた?」

「え?」


 ダニロがぱちぱちと目をしばたたく。


「わたしも栗が落ちているかどうか見に行こうと思っていたのよ。たくさん落ちていたかしら? それとももう少し待った方がいいかしら? どう思う?」

「えっと……たくさん、落ちていまし、た」

「そうなのね。じゃあまた明日にでも行ってみるわ」

「……怒らない、んですか? その、勝手に拾ったし」

「怒らないわよ。だってわたし一人じゃ拾いきれないくらい大きな木じゃない」

「そういう問題じゃないんですけどね」


 横で聞いていたデリアが苦笑する。

 アドリアーナはデリアに「いいじゃない」と笑って、ダニロとエンマに視線を戻した。


「栗が好きなのかしら?」


 純粋な疑問で訊ねると、ダニロが悩むように視線を落とした。

 そんなに難しい質問ではなかったはずなのに様子がおかしいと思っていると、小声で「食べられれば何でもよかったから」という。


(食べられれば何でもいい?)


 いったいどういうことだろうか。

 アドリアーナはやせ細っているダニロとエンマの腕や足にもう一度視線を向けて、デリアに言った。


「一足先に戻って、お菓子とお茶……あと、お腹に溜まりそうな何かを準備しておいてくれないかしら?」


 アドリアーナの言わんとすることがわかったらしいデリアは、二人に顔を向けた後で、わかりましたと離宮に向かって走り出した。




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