追いかけてきた幼馴染 1
「ヴァルフレード、いったいどうなっているのかしら?」
廊下を歩いていたヴァルフレードは、母である王妃に呼び止められ、開口一番にそう詰られて首をひねった。
「母上、どう、とは?」
母の声色は明らかに不機嫌だ。
アドリアーナとの婚約解消の一件で母をひどく怒らせたばかりのヴァルフレードは警戒して、けれども表情を取り繕う。ここは城の中の王族の居住区域とはいえ廊下である。使用人たちの目もあるので目立ちたくなかった。
(アドリアーナはやたらと使用人人気が高かったからな)
アドリアーナは妃教育を受けていたので、王家の居住区域にも出入りしていた。母との関係も良好だったので、よくお茶会にも招かれていたし、母から直接王妃の心構えなども学んでいたと聞く。その際に居住区域で働いている使用人にも接していたが、使用人に対しても穏やかで丁寧に対応するアドリアーナは使用人人気が高かったのだ。
それだけではない。
勤勉な彼女は妃教育を担当していた教育係にも気に入られていたし、すれ違えば笑顔で挨拶をするため大臣や文官たちにも人気だった。
というか、この城でアドリアーナを悪く言う人間はほぼいないと言い切れるくらいの好感度の高さだったと言える。
おかげで、アドリアーナに婚約破棄を突きつけたヴァルフレードは一夜にして彼らの中で悪者になって、どこへ行ってもあたりが強かった。
(やり方を間違えたな)
婚約を解消するにしてももっといい方法があっただろう。今更後悔しても遅いが、ヴァルフレードは何故プロムの場であのような宣言をしてしまったのかと悔やんだ。
(クレーリアが、大勢の前で怒られたらアドリアーナでも反省するはずだなんて言ったから、つい真に受けてしまった……)
クレーリアの証言だけで、証拠を集めなかったのも悪い。証拠が出て来なかったのはアドリアーナがうまく証拠隠滅を図ったためだと思うが、ヴァルフレードがうまく立ち回っていたらアドリアーナが隠す前に証拠を集めることだってできただろう。
(くそ、アドリアーナめ……!)
あの女はどこまでヴァルフレードの邪魔をすればいいのだろうかと忌々しく思っていると、母がこれ見よがしなため息をついた。
「わたくしが言いたいことがわからないのですか? まったくあなたの教育係は何をしていたのかしら。本当に……、嘆かわしいったらないわ」
ヴァルフレードはムッとした。
「アドリアーナの件でしたら、もう終わったはずです」
「終わってはいません! むしろ影響を受けるのはこれからですよ! まったくあなたは、本当に見通しが――でもいいわ、今はそのようなことが言いたいのではありません」
「じゃあなんですか」
「クレーリアです」
「……クレーリア?」
公の場で宣言したがためにアドリアーナを幽閉せざるを得なかったのと同様に、クレーリアと婚約すると宣言した発言もなかったことにはできなかった。ヴァルフレードとしては万々歳な結果だが、父や母にはこの上なく遺憾だったらしく、散々嫌味を言われた結果、仕方がないのでクレーリアに妃教育をするしかないという結論へ至った。
男爵令嬢なので実家からの後ろ盾も期待できない分、本人に頑張らせるしかないと、母はさっそく妃教育のカリキュラムを組ませた。それはもう、休む暇もないほどみっちり組まれて、クレーリアが悲鳴を上げていたことを思い出す。
妃教育が完了するまでは絶対に結婚させないと両親から言われたので、ここはクレーリアに頑張ってもらうしかないが、これは俗にいう嫁いびりと言うやつではなかろうかとヴァルフレードは母に対して不信感を抱いていた。
そんな不信感から警戒を強めると、母がじろりと睨みつけてくる。
「妃教育の教育係たちから聞いていないのですか?」
「何がですか?」
ヴァルフレードはわざととぼけて見せた。
教育係から聞いていないのかと言われれば、多少の心当たりはある。
(クレーリアの教育が遅々として進まないというあれだろう? だが、まだはじめて一週間しか経っていないんだぞ。結果を急ぎすぎなんだ)
ヴァルフレードにクレーリアの教育進度を報告に来る教育係たちは、何かにつけて「アドリアーナ様は」「アドリアーナ様なら」「アドリアーナ様では」と余計な単語をくっつけて文句を言うのである。十歳の時から妃教育を受けていたアドリアーナと比較されてはクレーリアが可愛そうだ。男爵家ならろくな教育係も付けてこられなかっただろうし、これまでの積み重ねでアドリアーナとは大きな差があるのである。
ヴァルフレードは、だからアドリアーナが妃となるべきだったという結論には至らず、比較してクレーリアを陥れようとする教育係たちに腹を立てていた。
「クレーリアの教育ははじめたばかりです。結果を急ぎすぎですよ」
「結果よりも態度の方が問題です」
「態度?」
「教育を受ける態度があまりに不真面目だという報告があがっているのですよ」
「それは、教育係たちの方に問題があるからです」
クレーリアはよくやっている。
クレーリアは毎日妃教育を受けるために城へやって来ているが、毎日夕方になると泣きはらした目でヴァルフレードの元を訪ねるのだ。教育が厳しくてつらいと言って泣いているのである。クレーリアをそこまで追い詰めている教育係こそ非難されるべきで、クレーリアが非難されることではない。
しかし母はあんぐりと口を開けた。
「本気で言っているの? あなた、今がどういう状況なのか、自分が置かれている立場も含めて本当に理解している?」
「理解していますよ」
それならば父からも口酸っぱく言われていた。
プロムでのヴァルフレードの行動は王太子としては決して褒められたものではない。
アドリアーナとの婚約破棄でブランカ公爵家および、その派閥の後ろ盾を完全に失った。
国内からヴァルフレードの王太子の資質を問う声が上がっている。
このままではヴァルフレードを王太子の位にとどめておくことは難しくなる。
廃嫡になりたくなければ、これからの行動はよく考えるように。
また、クレーリアを周囲に認めさせるべく、完璧な淑女に教育し、妃教育も完璧に終わらせるように。
ほかにもまだまだあるが、大体このようなことをうんざりするほど何度も何度も繰り返し言われたのである。
ヴァルフレードが今のところ王太子の位に留まっていられるのは、叔母が嫁いだオリーヴェ公爵家が中立を保っていることが大きい。もしここがブランカ公爵家側につけば一気に形勢は崩れ、下手をすれば次期王はヴァルフレードを含める父の子たちではなくオリーヴェ公爵家から出すことになるだろう。
オリーヴェ公爵も叔母も国が乱れることをよしとしないし、ジラルド含め三人いる息子たちは王位に興味がないため、今のところ中立でいてくれているだけなのだと父は言った。
本当ならば問題を起こしたヴァルフレードを廃嫡とし、弟のアロルドを王太子にした方が貴族たちを納得させられるとも言われたが、その場合、今後の憂いを除くためにヴァルフレードは国外に出る必要が出てくるらしい。
ヴァルフレードに言わせればすべてアドリアーナのせいなのに、父や母がアドリアーナは被害者だという姿勢を崩さないのが何よりも腹が立った。
「理解しているならクレーリアを何とかしなさい。今のままではあの子をあなたと結婚させられません。何かあれば泣けば許してもらえると思っているあの子では、妃としての仕事ができるとは到底思えないもの」
「クレーリアは心根が優しく傷つきやすいんです。妃としての仕事は誰かに代わってもらえばいいじゃないですか」
「誰かっていったい誰のことを言っているのかしら? クレーリアを側妃にして、誰か別の正妃を娶るの? それならば別にかまいませんよ。わたくしが正妃にふさわしいご令嬢に打診して差しあげます。あなたには任せられないもの」
「クレーリアを側妃になどしません!」
アドリアーナをやっとのことで追いやったのに、また好きでもない女と結婚させられるなどまっぴらだ。
母は、額に手を当ててこれ見よがしなため息を吐いた。
「だったら、クレーリアをなんとかなさい!」
ヴァルフレードは奥歯を噛みしめた。
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