元婚約者からの手紙 2
「今夜は一段と綺麗だね、アドリアーナ」
晩餐の前にも数回会ったというのに、ダイニングに降りたアドリアーナに向かってジラルドがそんなお世辞を言ってきた。
「さっきも見たじゃないの」
ジラルドの対面の席に腰を下ろして肩をすくめて見せると、ジラルドは「さっきは髪を結っていなかったし化粧もしていなかった」と言う。
まあ確かに、どこのパーティーに行くんだと言わんばかりの華やかな髪形に化粧を見れば、驚くのは仕方がないかもしれない。
デリアは満足そうだが、ただ夕食を取るためだけにここまで着飾る必要があっただろうか。
ジラルドと穏やかな晩餐を終えると、ジラルドがせっかく着飾ったのだからと言って庭に誘ってくれた。
ジラルドのエスコートで庭をゆっくり歩いて四阿へ向かう。
「ねえ、ジラルド。やっぱりここには長居をせずに帰った方がいいんじゃないかしら? 口さがないことを言う人も出てくると思うのよ」
四阿に隣り合って座って、アドリアーナが彼の横顔を見上げながら言ったのだが、ジラルドは首を横に振った。
「言いたいやつには言わせておけばいいよ」
「でも……」
「俺は君を守りたいんだ」
(……え?)
ジラルドの、びっくりするくらい真剣なエメラルド色の瞳に、アドリアーナは思わず息を呑む。
秋も半ばのひんやりと冷たい夜の風が、四阿の丸柱の間を通り過ぎていった。
「王都よりこっちの方が冷えるね」
ジラルドがジャケットを脱いでアドリアーナの肩にかけてくれる。
けれども、アドリアーナはそれに「ありがとう」と返すこともできなかった。
(守りたいって、どういうこと?)
これまでだって、ジラルドはアドリアーナのために動いてくれた。アドリアーナを守って来てくれたと言っても過言ではない。
だが、さっきの「守りたい」は、今までのそれと何かが違う気がしたのだ。
肩にかけられたジャケットに残ったジラルドの体温と残り香が、アドリアーナの体温を上昇させていく。
ざわざわと心臓がざわめくのは、ここから先の彼の言葉を、聞きたいからなのか、聞きたくないからなのか、よくわからなかった。
なんだか落ち着かなくて、不安で、逃げ出したくなるような、それでいて離れたくないような、変な感じなのだ。
ジラルドが長い指を伸ばして、アドリアーナの頬にかかる髪の毛を払う。さっきの風で少し髪が乱れたのだろう。
手袋をつけていないジラルドの指の温かさに、アドリアーナの頬に熱がたまった。
「アドリアーナ、ずっと言いたかったんだ。でも君は殿下の婚約者だから……言えなかった」
ジラルドが膝の上のアドリアーナの手に手のひらを重ねる。
「君がこの離宮から出たら、俺と結婚しないか?」
アドリアーナは大きく目を見開いた。
「な……にを言っているの?」
アドリアーナは名目上幽閉されている身だ。離宮にいる間は結婚できない。アドリアーナの生活を保障してくれた国王でも、さすがに結婚までは認めないはずだ。
結婚できるのは離宮から出た後のことになるだろうが、アドリアーナが離宮から出られるのは、何年先のことになるかわからない。
「いつになるのかわからないのよ?」
からからに乾いた喉で声を絞り出すと、何故かジラルドが笑った。
「よかった」
「なにがよかったのよ」
「だって、その言い方だったら、俺との結婚が嫌なわけじゃないだろう?」
(あ……)
アドリアーナはハッとした。
ジラルドを待たせてしまうことへの心配は感じたが、彼との結婚が嫌だから断ろうとはこれっぽっちも思わなかったことに気づいたからだ。
どう返すべきかと視線を彷徨わせていると、ジラルドがアドリアーナの手を持ち上げて、指を絡めたり握ったりして遊びながら続ける。
「心配しなくても、周囲には話を通してあるよ。俺は殿下と違ってちゃんと許可を得てから来たからまったく問題ないよ。うちの両親も、君のところの両親も、国王夫妻だって了承している」
本当はすぐに追いかけてきたかったのだけれど、全員の許可を得るのに思ったより時間がかかったとジラルドが言う。
(時間がかかったって言うけど、まだ二週間しか経っていないのよ?)
どう考えても、アドリアーナが旅立ったその日に動きはじめたとしか思えない。そしてよくこの短時間で国王夫妻の了承まで取り付けたと驚くばかりだ。
(ということは、ジラルドの離宮の滞在はお父様たちも陛下たちもオッケーを出したってこと?)
それならばせめてこういう話があるよと誰か知らせてくれてもいいのに。
知らせる時間がなかったのか、ジラルドが自分の口で言いたいからと言って周囲を黙らせたかのどちらかだろうけれど、あまりにも心臓に悪い。
アドリアーナはじろりとジラルドを睨みつけた。
「わたしがここから一生出られなかったらどうするつもり?」
国王は落ち着いたころにアドリアーナを離宮から出すつもりでいるけれど、状況が変わることだったいくらでもある。例えば国王が病か事故かで早世して治世がヴァルフレードへ移ったらどうだろう。彼がアドリアーナの幽閉処分を解くとは思えないではないか。
「それはないよ。王家がもしそんなことを言い出せば、ブランカ公爵家もうちも黙っていない。というより、俺と君が婚約すれば、うちも表立って君の処遇に口が挟めるようになる。きっと予定よりも早く出られるよ」
「そんなにうまくいくかしら?」
「うまく事を運ぶ方法なんていくらでもあるから」
(つまり場合によっては圧力もかけるってことね)
ブランカ公爵家とオリーヴェ公爵家から圧力がかかれば王家はひとたまりもないだろう。この二家が手を取り合えば、おそらく国内の貴族の大半は掌握できる。
というか、すでにその可能性まで示唆して国王を脅していそうな気もした。穏やかで優しいジラルドも、父や兄と同じでいざと言うときは容赦しないから。
(ついでにわたしが躊躇しそうな問題は全部潰してきたってことね)
発生しそうな問題は用意周到に潰してきて、アドリアーナの気持ち一つで答えが出せるようにしてきている。
「それで、どうかな? 俺じゃあ不満?」
不安そうな顔でジラルドが訊ねる。
さっき「よかった」と言って笑ったくせに、何が不安なのだろうかとアドリアーナはおかしくなった。
驚いたけれど、考えなくてもわかる。
この国の貴族男性で、アドリアーナが一番信頼しているのはジラルドだ。
「……どのくらい待たせるか、わからないわよ?」
アドリアーナがおどけて肩をすくめて見せると、ジラルドが満面の笑みを浮かべてアドリアーナを引き寄せる。
ジラルドのびっくりするほど早い鼓動を聞きながら、アドリアーナは彼の背中に腕を回して微笑んだ。
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