悪役令嬢、代官代行になる 2
「仮設住居で生活していた町民は全員町に戻っていただきました。それから食糧配給所ですが、広場に近い場所にあった空き家を一軒確保しています」
「ありがとう。食糧の調達はどうなっているかしら?」
「ご指示いただきました通り、没収したルキーノの私財を使って、近隣の領地から買い付ける手はずを整えています」
「助かるわ。引き続きお願い」
書斎でカルメロから報告を受けた後、再びアドリアーナが書類の山に視線を落とそうとすると、その前にひょいっとマグカップが差し出された。
顔を上げるとカルメロと入れ違いで入って来たジラルドがマグカップを二つ手に持っていて、その一つをアドリアーナに差し出している。
「少し休憩したら?」
「そうね、ありがとう」
アドリアーナはミルクティーの入ったマグカップを受け取った。
このマグカップは、アドリアーナが先日、ティーカップよりも大きなカップが欲しいと言って作ってもらったものだった。
代官代行となってから、優雅にティータイムをすごすような時間的余裕がなくなったので、仕事をしながら飲み物が飲みやすいマグカップが欲しかったのだ。
前世の、特に試験前などは、勉強机の上にコーヒーの入ったマグカップを置いて、ちびちびと飲みながら勉強をしていたことを思い出したのである。
アドリアーナが使いはじめると、あっという間に離宮中に伝染して、今ではみんながこの大きなマグカップを使っていた。
捕らえたルキーノたちは、三日前に到着した護送馬車に押し込めて王都へ送り返した。
不思議だったのは、てっきりルキーノたちと一緒に王都に帰ると思われていたヴァルフレードが離宮に残っていることだった。
アドリアーナはマグカップを持ってジラルドとソファに移動する。
忙しいが、ジラルドも、何故かヴァルフレードも手伝ってくれるため、不慣れな代官仕事も何とかこなすことができていた。
「ねえ……わたしの気のせいかもしれないけど、殿下、ちょっと雰囲気が変わったわよね?」
「アドリアーナもそう思う?」
「なんとなくだけどね」
ヴァルフレードはこれまで、他人の意見に耳を貸すような性格ではなかった。すべて自分の意見が正しいと思っている節があって、アドリアーナに対してもつい最近まで「罪人」であるという姿勢を崩そうとはしなかったのだ。
アドリアーナに側妃の話を持ち掛けてきたのはヴァルフレードにとってはやむを得ない選択であり慈悲であると彼は思っていて、だからさも当然のように命令してきたのである。
それが、ここ最近のヴァルフレードは、少し様子が違うようなのだ。
アドリアーナは確かにヴァルフレードに代官代行に任命されたが、あくまで代官代行で、管理責任者はヴァルフレードである。けれどもヴァルフレードはアドリアーナのすることに横槍を入れるでもなく、こちらの話に耳を傾けて、文句ひとつ言わないのだ。
ときにはこちらがヴァルフレードに対して意見をすることもあるが、そのときも冷静に受け止めて頭ごなしに否定したりしない。
(まるで人が変わったみたいだわ)
ヴァルフレードに何があったのだろう。
考え込んでいると、ジラルドがそっとアドリアーナの手を握った。
「殿下が気になる?」
「うーん、と言うより、不思議……」
「それだけ?」
「そうだけど、どうして?」
アドリアーナが顔を上げると、ジラルドがどこか困ったような顔をしていた。
「いや……、アドリアーナが殿下を気にかけるのは、元婚約者だからかなって、ちょっとね……」
「確かに元婚約者だけど、別に……、あ」
(もしかして、やきもち?)
困ったような、それでいて面白くなさそうなジラルドの顔を見ていると、その勘が正しい気がする。
ちょっとくすぐったくなって、アドリアーナはジラルドの手を握り返した。
「そういうのじゃないわよ」
「本当に?」
「本当よ。わたしはジラルドが好きだもの」
さらりと口にして、そのあとでハッとした。
急に恥ずかしさがこみあげてきて、ジラルドの手を離してソファから立ち上がって逃げようとするも、ジラルドが手に力を込めたのでそれもかなわない。
「もう一回言って」
「な、なにを……」
「だからさっきの。アドリアーナ、そう言うこと言ってくれないから」
逃げるどころか、ジラルドに引き寄せられて抱きしめられてしまう。
あわあわしていると、ジラルドの手がうなじのあたりを撫でて、彼が耳元でささやいた。
「好きだよ。アドリアーナが好きだ。だからアドリアーナからも言葉が欲しい」
「さ、さっき言ったわ……」
「もう一回」
こうなれば、アドリアーナが観念するまでジラルドは離してくれないだろう。
うぅ……とうめいて、ジラルドの腕の中で小さく顔を上げる。
「だから……」
「うん」
「…………好きよ」
たっぷりと沈黙して、消え入りそうな小さな声で告げて、ジラルドの顔を仰ぎ見る。
すると、ジラルドはこれ以上ないほどに幸せそうに微笑んで、アドリアーナの髪に顔をうずめた。
「たまにでいいから、言ってね。安心するから」
「……ジラルドも、不安になったりするの?」
「そりゃあ、俺も人間だからね」
「そっか……」
アドリアーナの目には、ジラルドはいつも自信があるように見える。卑屈なことは言わないし、頼りになるし、一歳しか違わないのにとても余裕があるように見えるのだ。
(ジラルドでも、不安になるんだ……)
ジラルドとは長い付き合いだし、仲がいいのは間違いないけれど、彼のことを何でも知っているわけではない。
ジラルドの小さな弱音に、アドリアーナはちょっと嬉しくなった。
知らなかったジラルドの一面を知れた気がしたからだ。
「……そっか」
アドリアーナは笑って、彼の背中に手を回した。
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