狙われた悪役令嬢 1

「殿下はどうして戻って来ないの⁉」


 クレーリアは叫んだ。

 彼女は今、ミラネージ男爵家のタウンハウスにいる。

 というか、当分の間城に来なくていいと言い渡されたのだ。

 よくわからないが、何かいろいろ大変なことが起こって、城は今大忙しらしい。だからクレーリアの相手をしている暇はないと言うのである。


(あたしは未来の王妃よ⁉ どいつもこいつもなんなのよ‼)


 妃教育はうんざりするので受けたくないけれど、これはこれでないがしろにされている気がして許せない。

 しかも、ヴァルフレードがアドリアーナに会いに行ったっきり戻って来ないと言うのが、クレーリアの怒りに拍車をかけていた。


(なんでよ! なんで殿下は悪役令嬢に会いに行くの⁉ 春には結婚式でしょう? だってそういうストーリーだもの‼)


 もう冬になったというのに、結婚式の「け」の字も出ないのもおかしい。王族の結婚には時間がかかるということは、クレーリアも知っていた。もう準備をはじめていなければ春に間に合わないはずなのに、結婚式をする話すら出ていないのはあり得ない。


(どういうことよ⁉ どうなっているのよ⁉ プロムでちゃんとアドリアーナの断罪イベントを起こしたじゃない‼ それなのになんでよ‼)


 クレーリアは前世でこのゲームをやりこんでいた。

 ゲームのストーリーはプロムの断罪までで、そのあとどうなるかは何も書かれていない。エンドロールの後で春の結婚式のスチルが手に入るだけだ。

 だが、プロムで悪役令嬢の断罪イベントを起こせばハッピーエンドのはずなのだ。クレーリアは正しくヴァルフレードルートを「クリア」したはずなのである。後は彼との幸せな人生を送るだけのはずなのに、なんでこんな番狂わせが起きているのだろう。


(アドリアーナよ! あいつが悪いんだわ! おとなしく幽閉されないから……‼)


 確かにアドリアーナは幽閉になった。けれどもその前に彼女がゴネたことをクレーリアは知っている。きっとそのせいで番狂わせが起きているのだ。


(あいつを何とかしないと、あたしのハッピーエンドが訪れないわ‼)


 クレーリアはぎりりと爪を嚙み、この状況を打開する方法はないものかと考えた。



     ☆



 アドリアーナがヴァルフレードに呼び出されたのは、アドリアーナが代官代行になって十日後のことだった。


「アドリアーナ、ちょっといいか」


 夕食後、ヴァルフレードは席を立ちながら、少し話がしたいと言ってきたのだ。

 やけに真剣な顔のヴァルフレードに、アドリアーナは戸惑ってジラルドを見た。

 ジラルドは心配そうな顔をしていたが、小さく頷くことでアドリアーナを送り出してくれた。


 ヴァルフレードに連れていかれたのは、一階のサロンだった。

 デリアがお茶を用意してくれて、ちょっと心配そうな顔をアドリアーナに向けてから部屋を出ていく。

 ローテーブルを挟んで向かい合って座ると、ヴァルフレードは視線を落として暫時沈黙した後で、意を決したように顔を上げた。そして、がばっと勢いよく頭を下げる。


「すまなかった!」

「…………え?」


 アドリアーナは目を見開いた。

 何が起こったのか、脳の処理が追いつかない。


(殿下が、頭を下げた……)


 それどころか「すまない」と謝った?

 いつも自分が正しくて、人に謝るということを知らないヴァルフレードが?


 茫然として何も言えないでいると、ヴァルフレードが顔を上げて、まっすぐにアドリアーナを見つめてくる。

 その、強い光をたたえた緑色の瞳に、アドリアーナはぎくりと肩をこわばらせた。

 なんだかこれ以上は聞いてはいけないような気がしてきたからだ。


「これまでのことを……アドリアーナと婚約してから、婚約解消し今日までに至るまで、いろいろ思い出して考えてみたんだ。君に対する私の態度や、学園でのこと……。学園での、君がクレーリアを虐げているという話については、不可解な点はたくさんあったのに、私は冷静に物事を考えられていなかったのだと、気がついた。私は今まで、君に向き合おうともしてこずに、私の意思を無視して君と婚約させられたと反発して、その怒りを君にぶつけて……、周囲への意趣返しに、君が私の婚約者にふさわしくないと証明したいがために君のあら捜しばかりしていたように思う。そして学園での噂を聞き、クレーリアから話を聞き……君との婚約を破棄できる理由を見つけたと事実確認もせずに飛びついた。君は何も悪くなかったのに」


 首肯していいのか、それとも首を横に振るべきなのか――アドリアーナはどうしていいのかわからずにただ戸惑い瞳を揺らす。

 アドリアーナにクレーリアを虐げたという事実はないが、それに頷けば、自分が望まない言葉をヴァルフレードから引き出してしまうような気がした。

 おそらくだが、ヴァルフレードの謝罪を受け入れればそれで終わるという問題でないと思うから。


「私はさらに、そんな君に対して側妃になれなんて言った。君が怒るのは当然だ。だが……私には君が必要なんだ」


 ああ――、とアドリアーナは顔を覆いたくなった。

 ヴァルフレードの顔を見ていられずに視線を落とせば、彼が立ちあがったのが気配でわかった。

 こちら側に回り込んできて、アドリアーナの側に膝をつく。


「婚約破棄を、なかったことにしてもらえないだろうか」


 アドリアーナは大きく息を吸い込んだ。

 やっぱり想像していた通りのことを言われてしまった。

 嫌な予感はしていたけれど、直接言葉にされると血の気が引いていく。

 ジラルドとの婚約は国王が認めたものだけど、アドリアーナが離宮に「幽閉」されているため、正式な婚約は交わしていない。婚約の書類が整っていないからだ。

 世間的にも公表されていないため、今であれば婚約の話そのものをなかったことにできる。


 ヴァルフレードがアドリアーナとのやり直しを望めば、おそらく国王も考えるだろう。アドリアーナはブランカ公爵家の娘で、すでに妃教育を完了している。クレーリアが妃としての役割をこなすことができないから側妃になどと言う話が出るくらいだ、ヴァルフレードとアドリアーナとの復縁は、大臣たちも、もろ手を挙げて賛成するだろう。


(でも、わたしは……)


 ジラルドと気持ちを交わした後でなければ、アドリアーナも考えたかもしれない。

 都合のいいことを言うなと、怒りはしただろうが、アドリアーナも十八年公爵令嬢として生きてきた。妃教育も受けている。この国のために、自分がどうするのが最善か、激怒しながらも考えて、最終的に諦めたかもしれない。


 けれど今は、ジラルドがいる。


 アドリアーナはジラルドと一緒にいたいし、命令でヴァルフレードと復縁したとしても、きっと一生ジラルドを忘れられないと思った。

 心の中にジラルドを想い続けて、ヴァルフレードの隣で微笑むことなんてアドリアーナにはできない。

 そんな苦しい人生を送るのはまっぴらだった。


 だが――、ここで断って、ヴァルフレードは理解してくれるだろうか。

 断ったところでヴァルフレードが自分の意見を曲げなかったら?

 アドリアーナの意思に反して、国王と話をつけてしまったら?

 膝の上で拳を握り締めると、びっくりするくらいに手が冷たくなっているのに気がついた。


 ヴァルフレードはしばらく黙って答えを待っていたが、青ざめたアドリアーナの顔に何を思ったのか――、静かにつぶやいて立ち上がる。


「困らせたかったわけじゃないんだ」


 アドリアーナはハッとして顔を上げた。

 見上げれば、寂しそうに小さく笑ったヴァルフレードの顔がある。


「私は君に対してひどいことをした。この上君の意思を無視して勝手なことをしようとは考えていない。……ただ、君の答えが知りたかった」

「……わたくしは…………」


 ああ、ここで何も言わないのは卑怯かもしれない。

 すべてを水に流すことはできないけれど、ヴァルフレードが彼なりに過去に、アドリアーナに、向き合おうとしてくれているのがわかったから。

 アドリアーナは一度大きく深呼吸をしてから、まっすぐにヴァルフレードを見つめ返した。


「わたくしは、ジラルドと一緒に生きていきたいと思っています」

「……そうか」

「ごめんなさい……」

「君が謝ることじゃない。私が……私が気づくのが遅すぎたんだ」


 ヴァルフレードはちらりとサロンの扉に視線を向けてから、アドリアーナに手を差し出した。


「君の名目上の幽閉処分は、私が速やかに撤廃するように父上に働きかける。何、今回のルキーノの件があるんだ、いくらでもやりようがあるだろう」


 アドリアーナがヴァルフレードに差し出された手を握っていいのかどうなのか逡巡していると、ヴァルフレードが苦笑して続けた。


「私の話は以上だ。……君のジラルドが、扉の外でやきもきしながら待っている。出ようか」

「え?」


 アドリアーナは驚いてサロンの扉に視線を向けた。

 もちろん扉はきっちり閉まっていて、外の様子はわからないが、ヴァルフレードはどうして外にジラルドがいるとわかったのだろう。

 ヴァルフレードの手を取って立ち上がり、サロンの扉を開けると、部屋を出てすぐの廊下には本当にジラルドが立っている。

 ヴァルフレードはアドリアーナの肩をポンと叩くと、そのまま何も言わずに去って行った。


「ジラルド……」


 ジラルドは両手を大きく広げて、アドリアーナをぎゅっと抱きしめた。


「……聞き耳を立てていたのね?」

「うん、ごめん。……不安で」


 アドリアーナはジラルドの腕の中で小さく笑う。


「わたしはジラルドと一緒がいいわ」


 アドリアーナがジラルドを抱きしめ返すと、ジラルドはさらに腕に力を込めてくる。


「好きだよ、アドリアーナ」


 ジラルドが耳元で囁くように告げてきて――


 たまには言ってねと言われたことを思い出したアドリアーナは、顔を赤くしながらささやき返した。


「ええ、わたしも大好きよ」





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