悪役令嬢、断罪される 1
アドリアーナが、ここが前世でプレイしていた乙女ゲームの世界で、自分がそのゲームの悪役令嬢アドリアーナ・ブランカであると気がついたのは、五歳か六歳か、そのあたりだったと思う。
成長過程で前世の記憶を思い出したのではなく、生まれ落ちたその日から前世で二十歳まで生きた記憶を持っていたアドリアーナは、それまでも「おかしいな」と思う部分は多々あった。
それが決定的になったのが、父に連れられて城に向かった、五歳だったか六歳だったかのときのことである。
乙女ゲームは、恋愛シミュレーションゲームだ。
ざっくりと説明すれば、ヒロインが攻略対象である男性と出会い恋に落ち、ハッピーエンドをむかえるというゲームである。
父に連れてこられた城で、その攻略対象の一人であるヴァルフレードを紹介されたアドリアーナは真っ青になって、あまりのショックでその場で昏倒した。
ヴァルフレードは乙女ゲームの中でもメインの攻略対象だ。
アドリアーナは前世で攻略対象すべてのルートをクリアしていなかったが、ヴァルフレードのルートはメインだけあってクリア済みだった。ヴァルフレードのメインルートをクリアしないとほかの攻略対象が選択できないという仕組みのゲームだったからである。
その、ヴァルフレードルートの中に登場するスチルで、ヴァルフレードが幼少期の姿を描いたものがあったのだが、紹介されたヴァルフレードがその姿そのものだったのである。
ブランカ公爵家のタウンハウスの自室で目覚めたアドリアーナは、ここが乙女ゲームの世界だと確信して絶望した。
何故なら悪役令嬢ポジションであるアドリアーナは、のちのちに婚約者になるヴァルフレードから断罪されて幽閉されるという憂き目にあうからである。
(……最悪だわ。最悪すぎる)
このゲームの舞台となるのは、ここ、カルローニ国。
貴族子女はよほどの事情がない限り、国が定めた学園を卒業しなくてはならない。
それは王太子であっても公爵令嬢であっても例外ではなく、アドリアーナは十六歳の時に学園に入学する。
そして男爵令嬢であるヒロインも、アドリアーナより一年遅く、一つ下の学年に入学し、ヴァルフレードと急速に心を通わせていく。
その過程でアドリアーナはヒロインを虐げ、ヴァルフレードに近づかないように妨害し、そのやり方があまりに過激で命の危険すら伴うようなものであったために、プロムでヴァルフレードから婚約破棄を突きつけられ断罪されるという流れだ。
ありがちなストーリーだが、自分が悪役令嬢であるのだから笑えない。
頭を抱えそうになったアドリアーナは、そこでふと、重大な事実に気がついた。
アドリアーナはゲームの世界では確かに断罪される。
だがそれは、ヒロインを虐げて命の危険があるほどの過度な嫌がらせをしたからである。
つまり――、罪を犯さなければ断罪されないはずなのだ。
(いくらゲームの世界だからってここは現実なのよ。無実の、しかも公爵令嬢がそう簡単に断罪されるものですか!)
アドリアーナはベッドから跳ねるように飛び起きた。
そばで様子を見ていた使用人がびっくりして慌ててアドリアーナの肩を抑える。
「お嬢様、まだ安静にしていないといけませんよ」
「あ、そうね。ごめんなさい」
もうなんともないが、一応、気を失って倒れた身だ。使用人や両親を心配させないためにもしばらくおとなしくしておくべきだし――おとなしく横になって、今後の計画をいろいろ立てておきたい。
(計画その一。ゲームの悪役令嬢のようなふるまいは絶対にしない!)
ヒロインをいじめないのは絶対条件だが、それ以外にも、おとなしくつつましやかな令嬢であるべきだ。何故ならゲームの中のアドリアーナは、悪役令嬢らしく高飛車で我儘なお嬢様だったからである。
もっとも性格面で言えば、生まれたときから前世の記憶があったおかげか、今のところ「高飛車で我儘なお嬢様」ではないはずである。少なくとも前世日本人であるアドリアーナには「もったいない精神」が身についていて、散財はしないし、あれが欲しいこれが欲しいという我儘は言わなかった。というか、公爵令嬢であるアドリアーナの周りには、目が回るような高価なものが溢れていて、彼女自身が何も言わなくてもあれやこれやと買い与えられたので、何かを欲求する必要がこれっぽっちもないからだ。ご飯もお菓子も美味しいし、至れり尽くせりな環境なのである。
(よく考えてみたら、ラッキーじゃない?)
アドリアーナはヒロインのライバルになるだけあって容姿端麗。
くるくると波打つ金髪に、紺色のぱっちりとした瞳を持ち、幼女である今でも将来有望なのがうかがえるほどの可愛さである。
そして、乙女ゲームではじめて登場するアドリアーナは十七歳だったが、その時の彼女の容姿は天使かと思うくらいの美少女だったのだ。もちろん、多少気は強そうな顔立ちだったが、それを抜きにしても、信じられないくらいの美人だったのである。
前世で平々凡々な顔立ちだった自分からすれば、アイドルなんて鼻で嗤えそうな美少女に転生したという時点で儲けものだ。
しかも公爵令嬢で超がつくお金持ち。
使用人たちもたくさんいるので、前世で苦手だった家事をする必要は一切ない。
一生左うちわで遊んで暮らせる環境である。
まあもちろん、貴族には貴族の義務や仕事があるので、何もせず三食昼寝付きついでに二回のティータイムもあるよ、的な悠々自適な生活だけを送るわけにもいかないことはわかっているけれど、それを引き算しても美味しすぎる環境である。
これは何としても、悪役令嬢として断罪されずに今の環境を享受したい。
(そのために綿密に計画を立てないとね。計画その二は、学園ではおとなしく、絶対にヒロインには近づかない!)
いじめないだけでは足りない。近づいたら何を言われるかわかったものではないので、極力関わらず、「名前も顔も知らないんですけど」くらいの距離感が望ましい。
(その三! 婚約者になる予定のヴァルフレードとは仲良くなるべし!)
ストーリーの通りに行けば、どこかのタイミングでアドリアーナとヴァルフレードは婚約するはずだ。ヴァルフレードに断罪されないためにも、彼と仲良くなっておく必要がある。
(ついでに国王陛下や王妃様も味方につけておくべきね。万が一の時にお二人がかばってくれるかもしれないし)
そのためには勤勉で心優しい素敵な令嬢にならなければならない。……性格面で言えば一般ピープルだった前世の自分がかなり出張って来ていて「淑女」とは程遠いかもしれないが、表面上取り繕えるようになれば問題なかろう。たぶんこれから教育係とかがたくさんつくだろうから、彼らの言うことを素直に聞いて学んでおけば間違いはないはずだ。
アドリアーナはそのまま計画その十まで綿密に立て――幼女の体でたくさん頭を使って疲れてしまったのか、気を失うようにもう一度眠りに落ちた。
夢の中に引きずり込まれるまま、「これで安心だー」と安堵したアドリアーナが、せっかく立てた計画がすべて無意味だったと知るのは、それから十数年後のことになる――
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