悪役令嬢、断罪される 2

(ああもううんざりだわ、何なのかしら。もしかしなくてもここはテレビの中で、テレビの外で誰かがコントローラーを握り締めて操作してるんじゃないでしょうね)


 もちろんそんなはずはないだろうが、そうとしか思えない状況にアドリアーナはこめかみを押さえて嘆息した。


 卒業式が間近に迫った夏――


 この世界は元が乙女ゲームだけあって、季節感も日本の四季が意識されている。

 暦も太陽暦が選択してあって、一年は三百六十五日で十二か月だ。


 だが、どういうわけか学園の卒業と入学は三月や四月ではなく、卒業式が九月初旬、入学式が十月に設定されていた。

 たぶんだがこれは、ゲームのエンディングが攻略対象との結婚式に設定してあり、スチル的にその結婚式を春にしたかったからこのような形を取ったのではないかと思われるが、アドリアーナはゲームを作った側の人間ではないので定かではない。


 とにかくあと一か月で卒業式となった現在、アドリアーナは落ち着かない日々を送っていた。

 アドリアーナは自分が悪役令嬢として断罪されないために様々な計画を立てたが、それを嘲笑うように、現実は悪役令嬢路線をまっしぐらに進んでいるからである。


(最初の誤算は、やっぱりあれよ。殿下ね……)


 断罪されないように仲良くしておこうと思ったのに、ヴァルフレードはアドリアーナに対して、はじめから好意的でなかった。

 婚約してしばらくたってから知ったことだが、この婚約にはヴァルフレードの意思は全く反映されておらず、政治的な力関係によって強制的に定められた政略的なものだったらしい。

 貴族や王族に政略結婚は珍しくもなんともないが、ヴァルフレードは驚くべきことに、結婚するなら好きな女の子がいいと口に出して言うような夢見る少年だったのだ。


(王太子が「好きな子でないと嫌だ」なんて我儘を言うとはね……)


 貴族令嬢や子息も、家のために結婚するのが義務と認識している世界で、王太子が感情を優先するとは誰が思うだろうか。

 おかげでアドリアーナは何もしていないのに、「お前がいるから悪いんだ」とばかりにヴァルフレードに嫌われていて、その冷え切った関係は未だに改善されずにいた。


 アドリアーナとしてもそんな面倒臭い我儘王子は願い下げだが、彼と極力仲良くしておかないと将来に関わると、必死になって距離を縮めようとした。

 何を言われても文句を言わず、妃教育も必死になって頑張って、とにかくヴァルフレードに認めてもらおうとしたのだが――何をしても無意味だった。


 そして次に絶望的だったのが、ヒロインである。

 ヒロインの名前はゲームのデフォルト通りにクレーリア・ミラネージで、ゲーム通りにピンク色がかった茶髪に茶色い瞳の小柄で可愛らしい女性だった。


 アドリアーナはヒロインの容姿も名前もわかっていたので、とにかく彼女に近づかないように近づかないように頑張ったのだ。

 それなのに、どういうことか、アドリアーナが避けてもクレーリアの方から近づいてきた。

 逃げても逃げてもしつこく関わろうとしてきて、仕方がないので当たり障りのないように関わっていたら、何故かアドリアーナがクレーリアをいじめているという噂が学園の中に広まりはじめたのである。


 アドリアーナが何もしていないと言っても、そのころにはクレーリアとすっかり仲良くなったヴァルフレードは、アドリアーナの言い分をこれっぽっちも聞いてくれなかった。


 それどころか、言い訳すればするほどに状況が悪くなっていく。

 その場にいなかったのに、クレーリアが転べばアドリアーナが足を引っかけたという噂が流れ、噴水に落ちれば突き飛ばしたと言われる。

 悪役令嬢がヒロインをいじめるイベントが発生する予定の日には、念のために王妃のお茶会に呼ばれたことを理由に学園を欠席しても、次の日にはアドリアーナがクレーリアに危害を加えたことになっているのだ。

 ここまでくれば、何が起こっているのかアドリアーナにもさっぱりわからなかった。


「アドリアーナ、ジラルドが来てるよ」


 自室でこれからどうすればいいのかと頭を抱えていると、兄のグラートが部屋にやって来た。

 ジラルド・オリーヴェはアドリアーナより一つ年上の幼馴染で、ヴァルフレードの従兄弟だ。

 アドリアーナが階下に降りると、ジラルドはダイニングでお茶を飲んでいた。小さい頃は平気でアドリアーナの部屋にも入って来ていたが、お互いもう成人していて、アドリアーナはヴァルフレードと婚約しているので、異性が無暗に立ち入っていい場所ではない。そのため、ジラルドが来るときはいつも、使用人たちの目のあるダイニングや庭で会っていた。


「アドリアーナ、弟からいろいろ聞いたんだが……その、大丈夫?」


 ジラルドは去年学園を卒業しているが、彼の弟が現在学園に通っている。ジラルドは三人兄弟の真ん中で、四つ年上に兄が、一つ年下に弟がいるのだ。そして弟の方は、この乙女ゲームの攻略対象の一人でもある。


「何かあったのか?」


 ジラルドの心配そうな顔と声に、兄のグラートも眉をひそめた。アドリアーナが学園で不名誉な噂をされていることは、ジラルドも兄も知っているのだ。


「どこまで本当なのかはわからないけれど、アドリアーナの噂がどんどん膨れ上がっているらしいよ。学園は夏休みだというのに、いったいどこから発生している噂なのか……」

「殿下にはくぎを刺しておいたと言うのにまだわからないのか」


 グラートがチッと舌打ちする。

 グラートも父も、妙な噂からアドリアーナを守るようにと再三ヴァルフレードに進言していたのだ。


(ま、その本人がわたしがいじめてるって言う男爵令嬢に入れあげてるんだから、わたしを守るはずはないんだけどね)


 ただ、それを教えてしまうとグラートや父が激怒する可能性がある。二人が本気で怒ればアドリアーナとて押さえるのは不可能だ。ブランカ公爵家の怒りがそのまま王家へと向かえば、王家もただではすまない。


 もっとも、ヴァルフレードがクレーリアに入れあげているのは、兄や父も情報としてはつかんでいるだろう。その上でヴァルフレードがどう動くかを見ているのだ。王族としての立場を優先するか、感情を優先するのか。アドリアーナにはヴァルフレードがどう動くのか答えは出ているが、二人はこの世界が乙女ゲームの世界だと知らないから、ヴァルフレードが自分の行いを顧みて反省するかもしれないという希望も抱いているわけだ。ブランカ公爵家としても、好き好んで王家と対立したいわけではないからである。


「俺もリディオに探らせて、証拠の有無を確認させたんだが、今のところ噂は信憑性のないものばかりで、なんだか誰かが作り話をしているように思えると言っていた」


 リディオとはジラルドの弟の名前だ。


(リディオは攻略対象なのに、冷静に噂を判断してくれているのね)


 リディオまでクレーリアよりだったらどうしようかと思ったが、そうではなかったらしい。

 ジラルドによると、リディオが集めた情報では、アドリアーナが実際にその場にいなくても、クレーリアに何かあればすべてアドリアーナのせいにされているような状況らしい。


「あり得ないことに、アドリアーナがクレーリアを毒殺しようとしたという噂まで出はじめた。リディオにもみ消すように言ったが……その噂を聞いた殿下が騒ぎ立てたせいでもみ消せないと嘆息していたよ」

「殿下にはもう一度特大の釘が必要なようだな」

(いくら言っても無駄だと思うけどね)


 とはいえ、アドリアーナが断罪の憂き目にあわないためには、ヴァルフレード側をどうにかするしかない。クレーリアの考えていることは、関わらなさ過ぎてアドリアーナにはさっぱりわからないからだ。


「うちからミラネージ男爵家に圧力をかけておいたけど、殿下があちら側についていたらどこまで有効かわからないね」

「ジラルド、そんなことまでしたの?」

「当たり前だろう? 男爵家が公爵家にたてついているようなものだ。分をわきまえろと父上を通して強めに抗議させてもらった」

「……そんなことをして、大丈夫なの?」


 ジラルドがアドリアーナのために動いてくれたのは嬉しい。けれど、ジラルドが言った通り、ヴァルフレードがミラネージ男爵家についているのならば、下手に動けばジラルドの立場が危うくならないだろうか。

 アドリアーナが心配していると、ジラルドが笑った。


「大丈夫だよ。こちらとしても、動く前に陛下にも連絡を入れてある。陛下も殿下の王太子らしからぬ行動には頭を抱えているようだった。陛下側が動くと大事になるから、うちから男爵家へ苦情を入れてもらえると助かるともおっしゃられたよ」

「そう……」


 アドリアーナはホッとした。国王の許可があるのならばジラルドやオリーヴェ公爵家におとがめはないだろう。それに、国王が苦情を入れることをよしとしたということは、アドリアーナにもまだ希望が持てると言うことだ。ヴァルフレードはともかく、国王はアドリアーナを批判するつもりはないと思われる。


(このまま何事もなくプロムが終わってくれるといいけれど……)


 プロムさえ終われば、ゲームのストーリーは終わりと考えていい。

 プロムで悪役令嬢を断罪した後でエピローグが流れて、あとは春の結婚式のスチルが出て終わるという流れだったので、プロムさえ無事に終われば問題ないはずだ。

 ジラルドとクレーリアの関係についてはその後もひと悶着あるかもしれないが、普通に考えれば男爵令嬢が王太子の妃になれるはずがない。もしヴァルフレードがクレーリアを娶ろうとしても、愛妾か、よくて側妃だろう。


(愛妾とか側妃でクレーリアが殿下に嫁いだ場合、わたしに一生付きまとう問題ではあるんだけど……)


 可能ならば阻止したいところだが、プロムが終わっていない今に下手に動くわけにはいかない。ここはプロムが終わるまで静観し、その後、父や兄を通して国王夫妻との相談の場を設けてもらう方向で考えるべきだ。

 ゲームのストーリーが終わったとしても、その後、アドリアーナが安寧とした日常を手にするまでは、まだまだ先は長そうだ。ひと悶着どころか十や二十もいざこざが待ち受けていそうで憂鬱になって来た。


(穏便に殿下と婚約破棄できれば最高なんだけど、政略結婚である以上無理でしょうし)


 アドリアーナはすでに妃教育の大半を終えている。

 学園を卒業後、一年間の準備期間を経てヴァルフレードと結婚するのは、プロムで断罪されない限り既定路線だ。


「アドリアーナ、大丈夫だ。殿下が何を言っても、アドリアーナと殿下の婚約は白紙になんてさせないよ」


 グラートがアドリアーナの肩を叩いて言う。

 穏便に婚約解消ができるのならむしろそっちの方がありがたいんだけど――と言う言葉を飲み込んで、アドリアーナは微笑む。


 ジラルドが複雑な顔をしてアドリアーナを見ていたことには、気がつかなかった……。



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