悪役令嬢、断罪される 3

(って、どうあっても回避できなかったか……)


 華やかなワルツの音がぴたりと止んで、シーンと静まり返った学園の社交ホールで、アドリアーナは血の気の引いた顔でヴァルフレードを見つめていた。


 先ほどまでワルツを踊るために大勢の男女がいた中央のダンスホールは、アドリアーナとヴァルフレード、それからヴァルフレードに庇われるように立つクレーリアを残して、不自然な空間が広がっている。


 本来ここは、本日卒業した卒業生と教師、それから配膳を担当している使用人たちと楽師以外は立ち入れないはずなのに、どうして一学年下の在校生であるクレーリアがいるのか――そんな当然の疑問を口にする人間は誰もいなかった。


 何故なら王太子であるヴァルフレードはこの場における最高権力者である。教師とて彼に逆らうことはできない。

 けれども、これからよくないことが起こると判断されたのだろう、数名の教師が慌てて社交ホールの外に駆けだして行くのが見えた。 


(おそらく陛下に連絡を入れに言ったんでしょうけど……今からだと間に合わないでしょうね)


 城から学園まででは距離がある。

 そして教師が向かったところで、取次もなくすぐに国王と面会できるはずもない。

 学園から城までの距離、そして城で待たされる時間を考えれば、国王の命令を受けて宰相か騎士団長あたりが駆けつけてきたとしてもすべてが終わった後に違いなかった。


 正面に立つヴァルフレードの表情は険しい。

 それを遠巻きに見やる学生たちは、好奇心にくすぐられた表情をしている人が半分、不安そうな顔をしているのが半分だ。


 ヴァルフレードの発言によって国内の勢力図が一変する可能性があるため、ブランカ公爵家が落ちぶれて得をする人間と損をする人間によって顔色が違うと言ったところだろう。

 国内でトップクラスの財力と権力を持つ公爵家が落ちぶれると言うことは、それだけ影響力があると言うことだ。下手をすれば国が大混乱に陥る。


(元がゲームとはいえ、いくら何でもご都合主義すぎるストーリーよね)


 国中を大混乱に陥れ、王太子と男爵令嬢が結ばれてハッピーエンド。本人たちがよくても周りは大迷惑のバッドエンドでしかないとアドリアーナは思うが、今からどんな目に遭うかわかりきっているので、もはや国の命運を心配している余裕はない。


「アドリアーナ」


 ヴァルフレードが低く固い声でアドリアーナの名前を呼ぶ。

 ここからのセリフは、予想通りだった。


「お前は公爵令嬢という身分を笠に着てここにいるクレーリア――ミラネージ男爵令嬢を虐げ、あまつさえ命まで狙おうとした。その行いは未来の王妃にふさわしいとは思えぬ! よって、私はここでお前との婚約を破棄し、非道な目に遭ってもそなたをかばおうとした心優しきクレーリアと婚約を結びなおすことを宣言する。お前は未来の王妃殺害未遂の罪で処刑が妥当だろうが、クレーリアの嘆願により幽閉とす。連れていけ!」


 一字一句ゲームと同じ言葉に、さすがにここまでくるとアドリアーナは馬鹿馬鹿しくなってきた。


(結局、ゲーム通りに進むのね)


 はあ、とため息をつきたいのを我慢して、しかし、このまま言われっぱなしでは腹が立つと、アドリアーナはヴァルフレードに向き直った。


「虐げたとか殺害未遂だとおっしゃいますけれど、証拠はございまして?」

「な――」

「このような公の場で罪だと言い、婚約破棄を宣言なさるのですから、相応の証拠があるのでしょう? 皆様にもわかるよう、お見せいただけないかしら?」


 証拠なんてあるはずがない。

 アドリアーナは何もしていないし、兄のグラートやジラルドも調べたがそのような証拠は何一つ存在していなかったと言っていた。

 ヴァルフレードがこの場で証拠を提示できないのは明白である。


(どう転んでも宣言した以上撤回はできないでしょうけど、意趣返しくらいはしたいもの)


 アドリアーナが言い返すとは思わなかったのだろう。

 これまでのアドリアーナは、断罪の未来を回避すべく、何とかヴァルフレードに気に入られようと、彼に逆らったためしは一度もなかったからだ。たとえそれがどんな理不尽であろうとも笑顔で頷いてきた。そんなアドリアーナが、ヴァルフレードの言葉に反論するとは思わなかったに違いない。

 顔を真っ赤にしてふるふると震えると、アドリアーナに指を突きつけた。


「ここにきてまでそのような横柄で傲慢な態度! それが証拠だ‼」

「わたくしは当然のことを言ったまでですのに、それが横柄だとか傲慢だとか言われても困りますわ」


 あまり反論するとアドリアーナの今後の立場がさらに悪くなるかもしれないが、ブランカ公爵家のためにも、これが確たる証拠のない断罪であることをこの場にいる人間に示しておきたい。


(証拠不十分であることが周知されれば、お父様やお兄様のことですもの、そこの隙をいくらでもついてくださるでしょうし。わたしはともかく、公爵家はそれほど悪いことにはならないでしょう)


 アドリアーナはドレスのスカートの下で軽く足を開くと、床をぎゅっと踏みしめて臨戦態勢になる。ここでどれだけヴァルフレードの口から「証拠がない」という事実を引き出せるかが今度のブランカ公爵家の命運を左右するのだ。できるだけ引き出しておきたいところである。


「そんな適当な証拠では皆様納得いたしません。わかりやすい証拠のご提示をお願いいたします。いつ、どこで、わたくしがミラネージ男爵令嬢を害したのか。わたくしがやったという証拠を、今すぐご提示くださいませ。まさか王太子殿下ともあろう方が、証拠もそろっていないのに感情に左右されて行動されたはずはございませんものね?」


 ついでに、この場にいる人間に王太子の資質が疑問視されれば、なおのことブランカ公爵家は動きやすくなる。

 婚約破棄を宣言されたのだ、アドリアーナがヴァルフレードの立場を守ってやる必要はどこにもない。王太子の位から引きずり下ろすのは無理でも、そのブランドに傷の一つや二つくらいならつけてやれるだろう。


「いい加減にしろ! 何をしている! 早くこの無礼者をつまみ出せ!」


 ヴァルフレードの怒鳴り声に、おろおろしながら男子学生たちが寄ってこようとしたのを、アドリアーナは微笑みと、「あら、よろしいの?」という一言で押し留める。

 罪が確定していない時点でブランカ公爵家を敵に回したい家はいないだろう。彼らは中途半端に近寄っただけで立ち止まり、ヴァルフレードをすがるように見た。


「今この場で提示できる証拠がないのならば結構ですわよ? 陛下の御前に参りましょう。そこでぜひ、わたくしや我が家を納得させられる証拠をご提示くださいませ」

「ふざけるな!」

「ふざけているのは殿下では? この場のことは、陛下はご存じなのかしら?」

「――っ」


 ヴァルフレードが言葉に詰まった。

 この場で押し通せば何とかなると踏んでいたのかもしれないが詰めが甘すぎる。


「この場で証拠をご提示なさるか、陛下の前でご提示なさるか、どうぞお選びくださいませ」


 どちらにせよ、提出できる証拠はない。

 アドリアーナは嫣然と微笑んでヴァルフレードの答えを待つ。

 すると、それまでヴァルフレードの腕にしがみついて黙っていたクレーリアが顔を上げて、茶色の大きな瞳をうるうると潤ませながら口を開いた。


「アドリアーナ様、ヴァルフレード殿下をこれ以上いじめないでください!」

「……は?」


 あまりに論点の違う言葉に、アドリアーナは目を点にした。


(いじめるって、子供か!)


 アドリアーナがあきれて反論できないでいると、アドリアーナがひるんだとでも勘違いしたのか、クレーリアがぽろぽろと涙をこぼしながら続ける。


「どうしてご自分の罪を認めないんですか? わたくし、アドリアーナ様が反省なさってくれればそれでいいのです! 処刑なんてことにならないように、わたくしから殿下にお願いいたしますから、最悪なことにならないうちにどうぞ謝罪を!」

(……ええっと…………)


 クレーリアは一体何を言っているんだろうかと、アドリアーナの頭の中が混乱する。

 罪を認める認めないの話ではなく、証拠を出せとこちらは言っているのに、クレーリアの頭の中ではアドリアーナが罪を認めたくないがゆえにごねていることになっているらしい。


(この子の頭の中は大丈夫なのかしら……?)


 ゲームのヒロインは、プレイヤーが操作していた。ゆえにアドリアーナもきっちりと認識できていなかったが、どうやら現実のクレーリアはいろんな常識が欠落しているらしい。ついでに今の発言から考えると頭も悪そうだ。


(まるで自分の発言で王太子が動かせるみたいな言い方もそうだし、公爵令嬢のわたしに対して上から目線がすぎるけど、そのあたり何とも思っていないみたいだし)


 アドリアーナは前世の記憶があるせいか、身分社会について理解はしているが、下位の貴族の行動一つにそこまで目くじらを立てたりしない。

 けれどもこの場にいる人間は違うだろう。

 クレーリアの発言に目を見張った卒業生は、一人や二人ではなかった。

 教師たちなどは青ざめている。


(まあいっか、クレーリアのこのバカ発言のおかげで、殿下に非難が集まるでしょうし)


 分を知らない男爵令嬢をかばい、あまつさえ婚約して未来の王妃に据えようと考えるヴァルフレードは、王太子としてどうなのか――全員でないにしても、何人かは必ずそういう疑問を持つだろう。彼らが今日のことを帰って家族に説明すれば、貴族たちから王太子の資質を問う声が上がるのは必定だ。

 ぼろぼろと泣いているクレーリアを抱きしめてアドリアーナを睨んでいるヴァルフレードの口からは、証拠については何も出て来ない。


「お前はどこまでクレーリアをいじめれば気がすむんだ!」


 などと、こちらも論点がずれた主張をはじめて、アドリアーナはうんざりしてきた。

 これ以上は付き合いきれない。


「この場で証拠がご用意できないみたいですので、陛下の御前でお願いしますね。わたくしはつかれたので失礼いたしますわ。陛下へは、父を通して場を設けてくださいますようお願いしておきます」

「おい――」

「ごきげんよう、殿下。それではまた、陛下の御前でお会いいたしましょう」


 アドリアーナはヴァルフレードの制止を聞かずに踵を返すと、振り返ることなく社交ホールを後にする。


(……さて、この場で宣言された以上婚約破棄と幽閉は回避できないかもしれないけど、できるだけうちに利益があるようにお父様たちと対策しなくっちゃね)


 ついでに幽閉先での環境も確保できれば万々歳だ。

 アドリアーナを心配し走って追って来た教師に帰宅を告げると、アドリアーナは公爵家の馬車に乗り込んだ。


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