厚顔無恥な元婚約者 1
「ねえ、本当にいいのかしら?」
「いいんだよ。だって、出歩くのは禁止されていないだろう?」
使用人のお仕着せを着たアドリアーナは、同じく使用人服を着たジラルドとともにコンソーラ町を訪れていた。
今日はコンソーラ町で炊き出しを行う日である。
ダニロとエンマの話を聞いてからコンソーラ町で配給も行ったが、今日は炊き出しを行うことにしたのだ。
前回は離宮の食糧庫にある備蓄を配ったが、さすがに町民全員が長期間食べられるだけの量を配るほど備蓄がなかった。カルメロに買い付けも頼んでおいたが、すぐに大量の食糧は用意できないので、それならばこまめに配給や炊き出しを行おうと言うことになったのだ。
こまめに配給や炊き出しを行うのは人員が駆り出されるので使用人たちが大変だが、町や町人の様子を調べられるというメリットもある。
ルキーノ子爵の不正を追いかけているアドリアーナにとっては、頻繁に町の様子を確認できるのはありがたい。
(でもまさか、こうなるとはね)
アドリアーナは使用人のお仕着せを見下ろして苦笑する。
事の発端は、ジラルドの前で「わたしも直接町の様子が見てみたいわ」とアドリアーナがこぼしたことだった。
ならば直接見に行けばいいじゃないかとジラルドが言い出し、使用人に紛れれば目立たないだろうと、あれよあれよと炊き出しに混ざる計画が決まったのだ。
(禁止されていないけど、あんまり離宮の外に出てほしくないとは言われていたんだけどね……)
アドリアーナが自由にしていることが世間に知られれば、王家の面子がないだろう。
できるだけ目立たないように、目立つ金髪はおさげにして頭巾をかぶったけれど、これだけで本当に大丈夫だろうか。
「アドリアーナはお仕着せ姿でも可愛いね」
盛大なリップサービスをくれるジラルドに苦笑して、アドリアーナは腹をくくるしかないかと彼とともに炊き出しの手伝いに加わる。
町の南門の近くで炊き出しの準備をしていると、何やらいかめしい顔つきをした役人っぽい男たちが数人近づいてきた。
ジラルドがそれとなくアドリアーナを守るように回り込む。
「あれは?」
今日はカルメロも一緒なので、小声で彼に訊ねると、彼は忌々しそうに答えた。
「この町の役人ですよ。数日前に炊き出しを行ったときにも来ました」
「何をしに?」
「監視ではないですかね。前回は炊き出しが終わるまであのあたりに立っていましたから。ほら、今回も同じみたいですよ」
カルメロの言う通り、男たちはじろじろとこちらの様子を確かめた後で、少し離れた場所に移動して、視線をこちらへ固定したまま動かなくなった。
(居心地が悪いわね……)
監視だけで何も言ってこないのは、炊き出しを行っているのが王家の離宮の人間だと知っているからだろう。文句を言われないだけましだとは思うけれど、じろじろ見られるのは落ち着かない。
「追い払おうか?」
ジラルドが小声で耳打ちしてきた。
「ううん。何も言ってこないうちは放っておきましょ。下手に追い払って苦情が来たら面倒くさいわ」
役人を追い払えば、それを理由に苦情が来ることは容易に想定できた。こちらに直接苦情を入れる分はまだいいが、この地の管理責任者であるヴァルフレードへ持って行かれると話が大事になるかもしれない。
ルキーノ子爵の近辺を調べている今、余計な問題は起こしたくなかった。
炊き出しをはじめると、五分もしないうちに行列ができるほどたくさんの町民が集まってくる。
その場で立って食べるもの、鍋や皿を持ってきて家に持って帰るものなど様々だが、集まってくる人たちの着ている服はダニロやエンマのように継ぎはぎだらけで、ほとんどの人がびっくりするほど痩せ細っていた。
少し離れたところに立ってこちらを監視している役人はピカピカのブーツを履き、肌艶がいいのに対して、町民たちの様子はあまりにひどい。
報告では貧富の差が極端に激しくなっているとあったが、弱者からむしり取れるだけむしり取って、上にいる人間が贅沢な暮らしをしているのは間違いなさそうだ。
「これでもましになった方なんですよ」
カルメロがささやいた。
「アドリアーナ様のご指示で配給へ向かった日は、門の外には何十人もの人間が死んだように横たわっていましたからね」
「少し離れた川の近くに仮設住居を用意したって言うあれね」
町の入り口にいた人たちは、税が払えず住む家を追われたのだと報告書にあった。彼らは住む家も食べるものもないのに、税が払えなければ町の中にも入れてもらえないとかで、門の外で過ごすしかなかったのだそうだ。
カルメロが急ぎ仮設住宅を用意させて、今はそちらに移ってもらったと報告を受けている。
仮設住居と言っても、雨がしのげるようにしただけの天幕のようなものだが、涙を流して感謝されたのだそうだ。仮設住居の近くには簡単な調理場も作られて、離宮から届けられる食料を使って調理したりしながら過ごしているのだそうだ。もちろんそちらでも、定期的に炊き出しを行っている。
(早く何とかしないと。冬が来たら、さすがに天幕の生活じゃあね……)
秋も深まってきてすでに朝晩はとても冷える。
離宮から使わなくなっていた布団やカーテンなど、とにかく移動できるものは移動させたというけれど、それだけでは充分な暖はとれないだろう。
かといって、苦しい思いをしている町民たちを全員離宮へ連れてくるわけにもいかない。大広間なども解放すれば全員を入れることは可能だろうが、そんなことをすればルキーノ子爵が騒ぎ出すのは目に見えていた。
今はまだ、我慢のときだ。
冬が到来したらルキーノ子爵が騒ぎ出すことを覚悟で彼らを離宮へ入れる計画もあるにはあるが、カルメロからは雪が降りはじめるまでは待つべきだと言われていた。こちらが反撃できるだけの材料を揃えていない状況でルキーノ子爵に騒がれては動きにくくなってしまう、と。
アドリアーナがそっと息を吐き出したとき、遠くから「あ!」と子供の叫び声が聞こえてきた。
顔を上げると、炊き出しの順番待ちをしている行列の真ん中あたりにダニロとエンマ、それから母親だろうか、三十歳ほどの痩せた女性の姿があった。
(しー。内緒にしてね)
アドリアーナが唇に人差し指を立てると、エンマが小さな両手を口に当てる。その様子が可愛くてアドリアーナが笑うと、母親だろう女性がぺこぺこと何度も会釈をした。
「あの子は?」
「前に話した、わたしが今の状況を知るきっかけになった子たちよ」
「なるほど。あの子たちか」
ダニロもエンマも、前よりは顔色もよさそうだ。配給や炊き出しの効果は多少なりともあるようで、アドリアーナはよかったと安堵する。
ダニロとエンマが王家の山に侵入しなければ、アドリアーナがコンソーラ町の様子に気づくこともなかっただろう。彼らはある意味、この町のヒーローだ。
順番を待つ人たちにパンを配って回っていたヴァネッサも、ダニロとエンマに気がついて声をかけている。ヴァネッサはなんだかんだと二人のことを気にかけていたようなので、二人が元気そうで嬉しそうだ。
ヴァネッサから配られたパンにその場でかぶりついているダニロとエンマを見ながら、アドリアーナはできるだけ早く彼らが笑って暮らせる環境を整えてあげたいと思った。
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