新たな問題 1

 クレーリアは苛立っていた。

 というのも、先ほど王妃に呼び出されて、とんでもないことを言われたからである。


(あたしを側妃にして、正妃は別の、しかるべき家の令嬢を据えるですって⁉ ふざけないでよ!)


 王妃はさらに、ヴァルフレードは国王や王妃が言っても聞かないから、クレーリアからその話をするようにと言った。

 つまり、クレーリアに自分から「側妃になります」とヴァルフレードに言えというのだ。


(どういうことよ! あたしはヒロインなのよ⁉)


 クレーリアはガンッとソファの背もたれを蹴りつける。

 ここはクレーリアが妃教育を受けるために与えられた城の一室で、この部屋にある調度品はすべて城のものだったけれど関係ない。

 白い布張りのソファにクレーリアの靴跡がくっきりとついたけれど、クレーリアは気にせずに二度、三度とソファの背もたれを蹴りつけて、それからどかりとソファに座った。


 しつこいくらいにベルを鳴らしてメイドを呼びつけると、お菓子とお茶を運ばせる。

 イライラしながらお菓子をやけ食いしていると、しばらくして城の女官長がやってきた。王妃がつけた、城でのクレーリアの世話役だ。世話役とは聞こえがいいが、クレーリアにしてみれば口うるさい監視役みたいなものである。

 妃教育で城に登城する際、本来であれば身の回りの世話をする侍女を伴ってくるのが普通なのだそうだが、クレーリアには侍女がおらず、仕方なく女官長がよこされたというわけだ。


 けれどもミラネージ男爵家は「男爵」と名のつく通り貴族では末席の方で、ましてや事業などもしていないので――というか、数年前に何かをはじめたという話を聞いたけれど、一年たたずに頓挫したらしい――、祖父母の代からの遺産を食いつぶしているような状況で、安月給のメイドはともかく、高給取りの侍女を雇う余裕はないのである。

 もっとも、侍女を雇ったとしても、男爵家に同じ男爵家やそれ以上の子爵家出身の女性が来てくれるはずがないので、平民上がりのメイドに色を付けたくらいの人間しか集まらなかっただろうが。


 クレーリアには難しいことはわからないが、カルローニ国では、よほど功績を立てて褒賞として与えられない限り男爵の身分で領地は得られないらしい。

 子爵や男爵家の中では、大領地を持つ公爵や侯爵家などの領地の一つの町や地域などの代官として雇ってもらったりしている家もあるらしいが、なまじプライドの高いミラネージ男爵は誰かに使われるのを嫌がった。

 自分はいつか大成を成す人間だ――これは、酒が入るたびに繰り返される父の口癖だ。

 だからくだらない仕事はしないし、誰かにこびへつらって雇ってもらったりなんかしないと言うのである。


 言い換えれば、遊んで暮らす金を誰かよこせよと言うことになる気がするが、クレーリアは父がどうしようと、実家が困窮していようと、別段なにも気にしていなかった。

 何故なら「そういう設定」で、自分は「ヒロイン」だからである。

 貧乏ながら頑張って来たヒロインが王子様と出会って報われる話――これまでそう信じてきたクレーリアにとって、今の状況は到底許容できるものではなかった。


(あたしは王妃になるはずでしょ⁉ ヴァルフレード殿下に愛されて、面白おかしく遊んで暮らせるはずじゃない‼ なのに何なの⁉)


 女官長の顔を見ると、お菓子を食べて少し落ち着いていた怒りが再び噴火しそうになった。

 何故ならこの女官長は、クレーリアが王妃に呼ばれた際に側にいてすべてを聞いていたからだ。それなのにクレーリアをかばう言葉一つなく、むしろ王妃に同調する姿勢を見せた。世話係のくせに、許しがたい裏切りだ。


「もうじきマナー教育の先生が来られる時間ですのに、どうしてこんなに散らかしていらっしゃるんですか?」


 ブラウンの髪をきつくひっつめた女官長は、きりきりと眉を吊り上げて言った。


「今日は休むわ」

「いけません。殿下の正妃となられないにしても、妃として最低限のマナーは身に着けていただきます」

「わたくしは正妃よ‼」


 たまらず叫んで、クレーリアはソファのクッションを女官長に向かって投げつける。

 クッションは女官長の肩のあたりに当たったが、彼女は顔色一つ変えずに、冷ややかな視線をクレーリアに向けた。


「何一つ教育が進んでおらず、また学ぶ姿勢もない。気に入らなければ癇癪を起して当たり散らす方を、どうして王太子殿下の正妃にできましょうか?」

「殿下がそうおっしゃったわ‼ アドリアーナは嫌だからわたくしと結婚するって、そうおっしゃったもの‼」

「アドリアーナ『様』、です。その殿下は、現在アドリアーナ様にお会いするために離宮へ向かわれましたけれどね」

「……え?」


 クレーリアは目を見開いた。


「なんですって?」


 すると、女官長はこれ見よがしなため息を吐く。


「殿下も、ようやく現実が見えてきたということでしょう。このまま最低限のマナーも身につけられないようでは、あなたは側妃にすらなれません。むしろその方が、のちのち禍根がなくてよろしいかとは思いますが、正妃でなくとも、殿下があなたを妃にと望まれている限りは、妃教育は受けていただかなくてはなりません。さあ、早くご準備なさいませ」


 女官長の冷ややかな声も、クレーリアの耳には入ってこなかった。


(殿下が、アドリアーナに会いに行ったですって?)


 何が一体どうなっているのだろうか。


(『ゲーム』ではこんなストーリーはなかったわ! プロムの後は結婚式をして、幸せに暮らせるはずだったのに……こんな……)


 しかるべき家の令嬢を正妃に据えると王妃は言ったが、もしかしなくても、その「しかるべき家の令嬢」はアドリアーナのことを指すのだろうか。


(そんなの許せないわ‼ アドリアーナは悪役令嬢じゃない! 生涯幽閉されるはずよ⁉ それなのになんで……!)


 クレーリアはふるふると拳を震わせると、勢いよく立ち上がった。


「気分が優れないから、今日は帰るわ‼」

「そんな我儘が――、ミラネージ男爵令嬢⁉」


 女官長の制止も聞かず、クレーリアは急いで部屋を飛び出すと、背後からの叱責も無視して駆けだした。


(冗談じゃない冗談じゃないわ‼ ふざけんじゃないわよ‼)


 クレーリアはヒロインだ。

 ヒロイン、なのである。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る