厚顔無恥な元婚約者 3

 二時間後にやって来たヴァルフレードは、相変わらず偉そうだった。


 鮮やかな金髪に、ジラルドとよく似た緑色の目。この目を見ると、そういえばジラルドとこの男は従兄弟同士だったなとしみじみと感じ入る。遺伝子と個人の性格には何の因果関係もないのだと、妙な感慨を覚えるのだ。


 ジラルドも同席しようかと言ってきたが、ひとまずは一人で話を聞くことにして、アドリアーナはヴァルフレードをサロンへ案内した。

 デリアがサロンの中に控えて、カルメロがお茶を運んで来た。


「久しぶりだな。元気そうで何よりだ」

(……これは、嫌みなのかしら?)


 お茶が用意される間、妙に機嫌よさげに話しかけてきたヴァルフレードに、アドリアーナはイラっとする。

 ヴァルフレードのせいで表向き幽閉処分となりここでの暮らしを余儀なくされているアドリアーナに向かって、「元気そうで何よりだ」? おそらくヴァルフレードに嫌味を言ったつもりはなく、純粋にそう思っての発言だろうが、もう少し考えてものを言ってほしい。


「殿下もお元気そうですね」


 アドリアーナは嫌味を込めて言い返してやったのだが、ヴァルフレードには通じなかった。


「そうでもない。いろいろ忙しくてね」


 忙しくなったのは自分の責任だろうに、まるで他人事のように言う神経が信じられなかった。


「それで、今日は何の御用で?」


 ヴァルフレードと長時間話したくなくて、お茶の用意が終わったと同時にアドリアーナは訊ねた。さっさと用事を聞き出して断って追い返したい。

 ヴァルフレードはうむ、と頷いて、姿勢を正し――こう宣った。


「君の罪は取り消す。だから戻ってきてくれ。カルローニ国には……いや、私には、君の支えが必要なんだ」


 予想はしていたことだが、悪びれた様子もなく発せられたヴァルフレードの言葉に、アドリアーナは唖然としてしまった。


 側妃になれと言われるとは思っていたけれど、その前に何かしらの謝罪などがあってしかるべきだと思っていたのだが、ヴァルフレードの辞書には謝罪という言葉は存在しないらしい。

 まるで罪を取り消してやるからそのくらいして当然だろうと言わんばかりの態度である。


(罪って、冤罪だってわかってるのかしら?)


 国王が冤罪だと認め、けれども王家のために当面幽閉されていることにしてくれと頭まで下げた事実を、この男はまるでわかっていない。

 あきれ返ってアドリアーナが何も言えないのをいいことに、ヴァルフレードは滔々とアドリアーナが必要な理由を語りはじめた。


「この国で妃教育が完了しているのはアドリアーナだけだ。クレーリアはもう十七歳だろう? 今から学ぶには量が膨大すぎて大変なんだ。すでに学び終えた人間がいるのならば、クレーリアのかわりを務めればいい。妃教育にかかった金はすべて税金なのだから、その分働いて返すのは当然のことだ。罪人である君を側妃として遇するのだから、君としても有り余る光栄だろう?」

「…………」


 視界の端で、デリアが拳を握り締めたのが見える。

 さすがに王太子相手に殴り掛かりはしないだろうが、すでに表情が取り繕えなくなっていた。

 だが、アドリアーナはデリアを咎めるつもりは毛頭ない。アドリアーナだって、沸々とした怒りを抑え込むだけで精一杯だからだ。


「このことは陛下も王妃様もご承知なのですか?」

「父や母には言っていないが、二人とも君が仕事をすると言い、そして私が幽閉処分を解くと言えば反対はしないはずだ」


 つまり、相談もなく勝手に動いている、と。


 まあそうだろう。もし相談を上げていたら、ヴァルフレードは国王からも王妃からも叱られていたはずだ。

 何のために国王がアドリアーナに離宮で「幽閉」されていてくれと頭を下げたと思っているんだろう。

 すべては王家の威信を守るためなのに、ヴァルフレードは今まさにそれをすべて水の泡にしようとしている。


(とはいえ、説明しても無駄そうね)


 何を言ったところでヴァルフレードは自分が正しいという考えを曲げないだろう。ならば相手をするだけ無駄だ。


「殿下、お手紙のお返事でお断りしたはずですが?」


 ヴァルフレードから届いた手紙の返事には、「お断りします」という一文のみを叩き返している。


「手紙は読んだ。だから説明が必要だろうと、わざわざ私が足を運んでやったんだ。クレーリアでは外交も内政も社交も難しいんだ。アドリアーナの力が必要だ」


 つまり何もかもできないから、王妃としての仕事をすべてアドリアーナが引き受けろ、とそう言いたいのか。

 それにしても「足を運んでやった」か。まるでアドリアーナが悪いみたいに言ってくれる。


「君の気持もわかるつもりだ。私も、君には可能な限り配慮すると誓う」

(可能な限り、ね)


 この怒りをどこにぶつければいいだろう。


(気持ちがわかる人間が、そんな上から目線で意味不明なことを言うはずがないでしょうよ!)


 所詮ヴァルフレードは口だけだ。何も配慮するつもりがないことはその言い分から読み取れる。


「繰り返すようですが、お断りします」


 すると、ヴァルフレードがムッとしたように眉を寄せた。


「君は公爵令嬢だろう? 少しは国のことを考えたらどうなんだ?」

(その言葉、そっくりそのままお返しするわよ!)


 アドリアーナの苛立ちはそろそろ限界に達しそうだった。

 何度嫌だと言っても聞き入れず、とうとう「冷たいぞ!」と情に訴えて詰りはじめたヴァルフレードを実力行使でつまみ出したくなってきたときだった。


「殿下、冷たいと言うのなら、八年間も殿下に尽くしたアドリアーナを公然と切り捨てた殿下の方ではありませんか」


 冷ややかな声が響いたと思うと、サロンにジラルドが入って来た。


「ジラルド! なんでお前がここに……!」


 ジラルドがここにいるとは知らなかったのだろう。ヴァルフレードがはじめて動揺を見せた。

 どうやらジラルドはサロンの外で、アドリアーナとヴァルフレードの話に聞き耳を立てていたらしい。

 綺麗なエメラルド色の瞳をすがめ、氷のような冷ややかな視線でヴァルフレードを見据えると、アドリアーナの隣までゆっくりと歩いてくる。


「あまり我儘が過ぎますと、我が家まで敵に回すことになりますよ?」

「……ぐ」


 ヴァルフレードは低くうめいて視線を彷徨わせる。

 ヴァルフレードにとってオリーヴェ公爵家が最後の綱なのだ。さすがの彼もそれは理解しているようで、反論できずに視線を彷徨わせる。


「今なら黙っておいてあげます。俺の気が変わらないうちに、早々に立ち去ってください。――これ以上、アドリアーナを煩わせるな」


 アドリアーナには好き勝手が言えても、ジラルド相手にはそれができないヴァルフレードは渋々席を立つとサロンを出ていく。

 来て早々離宮から追い出されたヴァルフレードは、けれども文句を言わずに、肩を落として去って行った。




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